るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三十五 洋子と近藤(3)

 尾形は、小倉の後をつけていた。どこに行くのかは無論分からないが、監察として数年勤めてきた勘で、何のつもりで出てきたかは何となく見当がつく。
 小倉がある料亭に入ると、待っている人がいると言って奥座敷に通された。尾形も続いて入り、座敷の手前の席で酒と肴を頼んで奥の様子を探る。
 それらが運ばれてきたのと前後して、自分と同じほどの背丈の巨漢が、案内されて奥へ通っていった。同じ部屋に入ったのを見て、食べながら聞き耳を立てていると
「お前、つけられてるぜ」
「つけられてる? たまたま同じ店に入っただけだろう」
「ならばいいが、どうも気になる」
立ったままの巨漢と座ったままの小倉が、障子の影になって映っている。更に数秒後
「不安ならよそに行くか。もともと私は料亭は好きではない」
小倉がそう言って立ち上がりかけたのを、今度は巨漢が制した。
「まあ待て、今日はまだ人が来る。──店の者に見てもらえ、と言いたかっただけだ」
聞いていた話とは印象が違うな、と尾形は思っていた。巨漢の方が強気で小倉の方が押されていたという話だったが、今日はむしろ小倉の方が優勢らしい。人を提供することになっているのが響いているのかよく分からないが…。
 程なくやって来た二十歳そこらの年齢と思しき店の者に、彼らは小声で頼んでいた。彼女は最初嫌がるような素振りだったが、結局引き受けた様子である。座敷から出てきた後、何気ないように周囲を見回しつつ歩いていく。尾形は最初から顔を伏せていた。
 間もなく尾形の料理を運んできたのも、その女だった。そのまま奥へ歩いていき、小倉たちにこう告げる。
「別に誰も、怪しい人はおらはりませんどすえ」
「そうか、手間をかけたな」
巨漢のものらしい、低い声。尾形はほっとして少し顔を上げた。お運びと思われるその女は料理と酒の注文を受けた後、また座敷から出て他の客の接待を始めた。
 それからまた少し経って、別の三人の男が奥の座敷に向かうべく通りかかる。槍を手に持っている一人が、たまたま酒を飲んでいた尾形の顔をちらっと見た。一瞬目が合い、相手は僅かに顔をしかめる。
 その男は小倉たちのいる部屋に入ると、巨漢に何事か耳元で囁いた。
「何っ!?」
巨漢が明らかに驚いた声を出す。頷いた槍使いが、低い声で全員に向けて何か言っているのが影絵のように見えた。
「何だと、新撰組が!?」
次の瞬間、彼らは一斉に立ち上がり、次々にその座敷を出た。尾形の傍まで歩いてくる。顔を伏せていたが、槍使いと思しき男が立ち止まって
「こいつだ。──何をどこまで聞いていた、貴様」
取り囲まれた。顔を上げて周囲を見回すと、槍使いは右頬に大きな傷がある。巨漢は筋骨隆々としており、腕に斬り傷の跡が幾つも残っていた。他の者もそれぞれ傷があり、唯一目立っていないのが小倉である。
「何のことだ? 俺は酒を飲んでいただけだが」
尾形はしらを切った。今は制服は着ていないし、第一、彼らは世間話をしていただけだ。
「とぼけやがって。貴様が新撰組隊士だってことは面が割れてるんだ!」
台詞と同時に机の上を強く叩く。料理が一瞬飛び上がった。
「新撰組の隊士に知られたら困ることを話し合ってた、と自分で白状してるようなものなんだけどな、あんたたちの態度だと」
そこに、入り口の方から声がする。顔だけを見ると美少年で通用しそうな整った顔立ちだが、羽織は紛れもなく新撰組の制服だった。男の一人が飛びかかろうとしたが、逆に一睨みで威圧される。
 洋子だった。巨漢の後をつけてきて店の外で様子を窺っていたのだが、尾形の危機に姿を見せたのである。

 「まあまあ、お二方とも、ここで喧嘩されては困りやす」
そこに、店の女将らしい四十代ほどの女性が現れた。
「特に徳田はんは、ここで死にはったら寺子屋の子供たちのこと、どないします。身よりのない子も十人はいるというのに」
横目で言われ、詰まったのは巨漢だった。それから意外そうな様子の洋子を見て
「ここは、このお朱鷺に免じて、喧嘩は勘弁してくらはりませんやろか」
「──分かりました」
と洋子は応じ、ふっと気を緩めた。もともとこの場でやり合う気はない。
「お騒がせしまして、申し訳ありません。では失礼します」
頭を下げてあっさりと引き下がる。相手の五人は拍子抜けしたような表情だったが、そのまま無言で歩いて洋子の傍を通り抜け、店を出た。
 当の彼女は尾形には会釈もせず、無言のまましばらくその場から動こうとしない。先ほどの女将が声をかけようとした途端、ぷいと店から出て行った。尾形は出された料理を食べると、何事もなかったかのように立ち去る。
「天城先生」
一つ店を挟んだ脇道に洋子が潜んでいるのを見つけ、声をかける。
「尾形君」
ほっとした様子で応じる。
「先ほどは済みませんでした。お手数をおかけして」
「いいよ、取りあえず無事で良かった。──ところで一つ、相談があるんだけど」
「はい、何でしょう」
「今日奴らと会ったこと、二人だけの秘密に出来ないかな」
尾形は戸惑った。相手の意図を理解しようと考えていると
「情報は人から聞いたことにして、探索は進めていいから」
「しかし」
尾形は反発しかけたが、洋子がそれを遮って
「さっき見た限りだと、私たち以外に隊士はいなかったからね」


 寺子屋を開いている巨漢で名前は徳田、しかもその中で身よりのない子を十人も育てている、という情報をもとに探すと、すぐにその場所らしい建物は見つかった。
 京都郊外の古い建物。付近の村々から農作物を授業料代わりに集めて寺子屋を開き、併せてここ数年の幕府側と浪士たちの争いに巻き込まれて殺された町人たちの子供を中心に、十人ほど育てているという。
「ここね」
洋子は一人で、そこに足を運んでいた。一昨日のことなので、振り袖姿だ。
 彼女は、子供たちのことが気がかりだった。親、もしくは信頼できる保護者を失った子供がどうなるかは、自分が最もよく分かっている。お夢の例もあるし、斎藤を襲って葵屋に引き取ってもらった子のこともある。監察としての仕事ではないのは分かっているが、従兄弟に捨てられ、薬屋を追い出された時のことが頭をよぎるのだ。
 加えて今まで不逞の輩と言えば脱藩した独り者がほとんどで、せいぜい愛人がいるかどうか。寺子屋で身よりのない子供を育てている者がこういう陰謀に加わるなど、聞いたことがなかった。中を見やるとため息が漏れる。
「じゃあね、先生」
ちょうど寺子屋が終わった頃らしく、子供たちが出てくる。門の陰に隠れて見ていると、建物の中から手を振って見送る子もいて、寝泊まりしている方の子らしい。やや遅れて大人が出てきた。
『徳田…』
その背格好と顔立ちからして、徳田に間違いない。だが、その表情は別人かと思うほど穏やかだった。次々に出て行く子供たちを、笑顔で見送っている。
「先生、今日の食事は?」
程なく、十歳ほどの男の子が袖を引いて訊いた。徳田は少し考えて
「粥と…昨日町で買った干し魚がある。みんなで分けて食べよう」
「うわあ!」
その場の皆が、一斉に歓声を上げる。五日、いや七日ぶりだぜ、という声も聞こえた。準備してくる、と駆け戻っていくその少年を見て何だか微笑ましい気持ちになっていた洋子の目に、ある人物の顔が映った。同じく監察方の、吉村貫一郎である。
 まずい、と洋子は思った。まさか自分の正体がばれることはないだろうが、不安である。吉村は道の反対側から遠巻きに建物の中を見やっていた。
 帰ろうと思ってそそくさと歩き出すと、吉村が呼び止めた。
「出迎えではなかったのか、あんたは」
「ちょっと子供の声がしたものですから」
顔を伏せて応じる。吉村は南部訛りの声で
「そうか、子供好きなんだな。俺も故郷には子供がいるが、元気でやってるかなあ」
そう言って遠くに目をやる。そしてふと思い出したように
「時に、あの寺子屋の徳田って知ってるか」
「大きい体の方ですよ。ほら、そこに立ってる」
洋子は指さした。島田君並みの大きさだな、と呟くのが聞こえる。
「分かった、ありがとう」
相手が一礼したので、急いでその場を離れた。
 そして少し歩いた村外れで、洋子は一昨日料亭で出くわした男たちが寺子屋の方へ歩いてきているのを見た。小倉はいないが、槍使いなどはいる。
「困ったわね、これは…」
恐らく、吉村も彼らの顔を見るはずである。洋子としては子供たちをどうするか、早急に決めねばならなかった。

 翌朝、監察方の間で定例の情報交換が行われた。
「三日後に会合? どこでだ」
「そこまではよく分からん。俺に感づいたらしく、途中で詳しい話をやめてしまった」
村上清の問いに、吉村が応じた。
「そうか。見つからなかったか?」
「大丈夫だ。見つかっていたら、今頃俺は死体だから」
吉村の冗談めかした言い方に、周りの者は軽く笑った。
「となると、次の問題はその三日後の現場を押さえることだな」
「うむ。取りあえず三日後の会合場所を探そう」
そう言って立ち上がり、吉村に近藤への報告を任せてそれぞれの捜索に散っていく。
 洋子はその間、一言も発せず黙り込んでいた。

 早ければ三日後には、大規模な手入れがあるだろう。既に一味は十人いるという話だったが、その場にいるのは何人だろうか。
 敵の毎回の会合人数は四、五人で、昨日会った男とその前とは顔ぶれが二人ほど違っていた。だから徳田も小倉もいない可能性はある。子供のためにはいない方がいいんだが、と洋子は考えながら、道場前の縁側を通って捜索に行こうとした。
「おう、天城君。元気か?」
近藤が角からいきなり現れて、ぽん、と肩を叩く。
「はい。元気ですよ」
「最近は何もしてないようだが、大丈夫か?」
「本職の方が忙しいんで、特にすることがなければいいんですよ」
『する』とは、この場合『斎藤に会う』という意味である。情報が入れば遅くとも翌日には近藤に渡すようにしていたので、渡されないと気になるのだろう。
「それはそうと、吉村先生が探していましたよ」
「ああ、今大雑把に話を聞いた。三日後らしいな」
「──ええ」
相手の声に心なしか元気がなくなるのを、近藤は聞き逃さなかった。
「ん? どうした、気合いがないな。三日後に何かあるのか?」
「いえ、そういうわけじゃないんです」
洋子の返事に、近藤は数秒ほど間を置いて
「俺は斎藤君や歳のように、黙っている相手の考えを察するような芸当は出来ない。だから困ったことがあったら早めにはっきり言ってくれ。対処はするから」
「────」
道場に入っていく近藤に対し、洋子は数秒ほどその縁側に立っていた。そして自分も道場に入り、近藤に小声で
「徳田のことで、少しばかり相談があるんですが」
「分かった」
近藤はそれから三本勝負を二人とやった後、道場を出た。洋子も別にそこを出る。

 

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