るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三十五 洋子と近藤(4)

 「そうか。優しいな、天城君は」
「優しい?」
話を聞いた近藤の言葉は、洋子にとって意外だった。
「ああ。──言っておくが、いい意味で、だぞ」
念を押したのは、新撰組において優しいという言葉が、しばしば気が弱いもしくは臆病だという意味で使われているためだろう。そしてその意味の場合、当該の隊士は粛正の対象ともなりうるため、そうではないことを明確にしておく必要もあったのだ。
「子供たちについては心配するな。何らかの形で手を打とう」
「はい、ありがとうございます」
洋子はほっとした表情で一礼する。近藤は笑顔ながらも力強く
「武士たる者、天城君のように惻陰の情を持たねばならん。ただ剣に強いだけなら、人斬りと同じだ」
「そうまで言っていただけるとは、光栄です」
再び一礼した相手に、彼は大きく一つ頷くと
「で、話というのはそれだけか?」
「はい。お時間を取っていただいてありがとうございました」
洋子は程なくその部屋を出た。後は仕事に集中するだけだ。

 三日後の密会場所を突き止めるために、監察方は今まで築いてきた情報網を最大限に使っていた。だが、場所や人数に関して複数の情報が錯綜し、絞りきれない。
「こうなったら、張り付いて尾行するしかないでしょう。家は半数以上割れてるんだし」
二日後の夕刻。会議後の廊下で歩きながら、洋子は監察方筆頭格の吉村にそう進言していた。吉村は以前から剣術師範格で監察としても先輩なので、彼女の方が敬語を使っているのだ。
「しかし、尾行すると言っても君と尾形君は顔が割れているし」
「尾形君はともかく、私の顔は変装すればごまかしがききます」
言い切った。吉村は訛りのある声で続けて
「誰が来るかも判明していないのに、宴会現場まで尾行するのは難しい。こちらは最大六人だぞ。外れたらどうする」
「尾行の人手程度、普通の隊士から借りればいいでしょう。特に山崎さんと島田君はもともと監察でしたし」
今回は非常事態なんですから、と洋子は強い口調で言った。吉村は数秒考え
「分かった、近藤先生にかけ合ってみる」
歩く速度を上げ、少し行った先で曲がって局長室に向かう。土方がいないので、必然的に近藤に直接話すことになるのだった。

 近藤はすぐに許可した。その場で山崎と島田を呼び出し、『明日限定で』協力するように言ってくれたそうだ。その後すぐに監察方の控え室に戻り、洋子も同室して二人に敵の顔と特徴を説明する。さすがに飲み込みが早く、翌朝に最新情報でもって再分析、必要ならその場で尾行の割り当て決定という方針も決まった。
 それからすぐ、洋子は家に帰る。途中で容疑者の一人である水戸藩士の家に立ち寄り、外からそっと覗いたところ、誰もいなかった。
「この数日遅かったし、明日も早いからさっさと帰って寝よう。明日は帰って来られないだろうし」
お夢が最近心配してるからなあ、と彼女は呟いた。

 近藤の方針である『政治的なものに巻き込まれない』ためには、浪士たちの謀議の段階で捕まえるのが最良なのだ。しかるに謀議はもう四度以上に上り、そろそろ実行段階に入ったとしても不思議ではない。隠密に処理するには、次かその次くらいが最後の機会だった。
「結局、見つからずじまいか」
「ええ…」
当日の朝。廊下での吉村の問いに、洋子が応じる。二人はほぼ並んで歩いていた。
「他もそうだとすると、張り付くしかないな」
訛りのある声で呟き、割り当てられた部屋の襖を開ける。既に三人来ている中に、
「山崎君、早いな。来てたのか」
「外部の手伝いを必要とするような相手だ。早めに来た方がいいと思ってな」
「ありがたい」
吉村が一礼し、腰を下ろした。そして残る二人の報告を聞く。その間にまだ来ていなかった同僚たちも来て、報告した。だが結局、場所は分からぬまま。
「張り付いてるのが一番手っ取り早そうだな」
山崎が呟く。吉村も洋子も同意見で、問題はすぐに分担の割り当てとなった。
「最初に、誰が繋ぎをするか決めるぞ」
「あの」
そこに、部屋の外から低い声が聞こえた。尾形が咎めるように
「何だ? こっちは会議中だぞ」
「一番隊の広田です。以前、小倉道場のことで話をした者ですが」
「──入って」
洋子はそう言った。広田はそっと扉を開けて中に入る。

 駿河屋という店に、小倉道場の何人かが、宗佑の知り合いの浪士たちと会いに行くそうだ。
「ぞれは…いつ聞いた?」
吉村が、思わず訛りの強くなった声で訊く。常日頃は抑えているのだが、相当驚いたと見えて癖が出たようだ。
「昨晩、小倉道場時代の友人たちと会いまして」
来ていない者の消息を訊いたら、今日宴会があるので金がなくて来られないということだった。思わぬ情報に、監察たちは顔を見合わせる。
「その話、間違いない?」
「はい。──まあ、そいつとは元々それほど仲が良くなかったんで…」
洋子の問いに、広田は頭をかいてぺこぺこしながら応じる。
「分かった。ありがとう、戻っていいから」
彼女はそう言って、広田を戻らせた。いなくなった後で顔を見合わせる。
「灯台もと暗しというか、孔子珠をうがつというか」
山崎が呟くように言った。
「いずれにしても、押さえるべき場所の一つは決まったな」
普段の口調に戻って、吉村が言う。そして続けて
「駿河屋の監視は、尾形君に任せよう。小倉道場は山崎君、頼む。槍使いの正太郎は大石君、寺子屋の徳田は──」
「私がやります」
洋子がすっと手を挙げた。吉村はすぐに了解して
「そうか、頼む。残りは──」
そして残りの指名を終え、それぞれの仕事場に向かう。吉村は近藤に報告しに行った。

 洋子は再び、あの寺子屋に足を運んだ。今度こそ徳田を一人で監視し、夕方にはどこへ行きどこへ入るのかを確認しなければならない。
「けど、それはあの子たちを不幸にすることになる──」
近藤は手を打つと言ったが、どこまで信じていいものか。その時は割り切るつもりだったが、いざ当日になると不安の方が先に出るもので、洋子が少し深刻そうな顔で近くの木陰に隠れて様子を窺いはじめてから、一刻あまり経つ。昼間なので仕方ないと言えばそうだが、寺子屋には子供たちの声以外に動きがない。
「洋子」
背後からの声に、ぎょっとした。声のした方を見ると、近藤が着古しの羽織とすり切れた袴という、試衛館にいた頃とほとんど同じ姿で立っている。慌てて駆けより
「近藤先生、どうしてここに?」
「今日、手入れだからな。様子を見に来た」
「ですが…」
言いかけたのを遮るように、寺子屋の方に視線を向け
「あの子供らか」
「──ええ。夜は半分くらいに減りますが」
「十人足らず、か」
近藤は呟き、ややあって
「明日明後日にも、どこかの寺に引き取って貰うか」
「そうしていただけると、嬉しいです」
洋子は一礼して、そう応じた。それで屯所に帰るかと思ったのだが、近藤はなおもその場で寺子屋の様子を見ている。居たたまれなくなって
「あの、お手数をおかけして、本当にすみません。私の個人的な、下らない感傷で」
「気にするな。これはもう、新撰組局長であるこの近藤勇の問題だ。処置を引き受けた以上はな」
洋子は何も言えず、ただ頭を下げた。すると近藤は笑って
「そういうわけだから、今夜はしっかり頑張ってくれよ」
「あ、はい!」
笑顔で頷いた瞬間、ばしっと肩を叩かれ、洋子は体勢を崩しそうになった。

 夕刻、以前に比べて早い時間に寺子屋の授業が終わった。
「今日は留守番していてくれ。明日の朝までには帰るからな」
「はーい、先生」
子供たちが並んで見送っている。その様子を見届けた洋子は、先に帰る振りをして二つ先の角を曲がった。そしてその先にある大木まで行くと、その陰に隠れる。ここから徳田が歩いてくるのを見届けて、その後をつける予定だった。
 程なく彼が、今さっき彼女が来た道を真っ直ぐに京都の市街へと歩いていくのが見える。息さえも殺して、洋子は後を追った。
 途中で槍使いの正太郎の姿を見る。奇妙なことに、彼は同じ方向に歩きながら徳田とは会釈さえしなかった。大石がいるはずだが、と思って探していると、町人姿で下を向きながら歩いているのが目についた。ほぼ同時に先方も自分に気づいたようで、身振り手振りと視線で会話を交わす。程なく大石は報告と着替えのために屯所に戻った。
「私はこのままでいいけど、大石君はあの姿だとちょっとね」
制服の羽織こそ着ていないが、今日の洋子はいつ戦うことになってもいいように刀も大小を帯びている。徳田に感づかれる可能性もあり、警戒したのだ。
 そのまま彼女は二人の後を追う。結局気づかれた様子もなく、二人はやがて駿河屋に入っていった。道を隔てた反対側の店にいる尾形に声をかける。
「ここまでお一人で?」
意外そうな顔である。洋子は平然と頷き
「うん、大石君には早めに帰って貰った」
「よく気づかれませんでしたね」
「斎藤さんにあれだけ不意打ち食らえば、多少のコツは覚えるから」
その光景を思い出し、尾形は思わず笑ってしまった。本人は軽く苦笑して
「で、他には?」
「山崎君がつい先ほど。ただ、宗佑の姿は見えませんでした」
弟子だけか、と呟く。尾形は頷いて
「恐らく他にも来るでしょう。今日手入れでいいと、近藤先生にお伝えを」
「分かった。じゃあ、私は待ち合わせ場所に行くよ」
洋子はそれからすぐに、実働部隊の集合場所に向かった。

 

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