るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の十四 池田屋事件(2)

 洋子はその後、毎日のように葵屋を訪れるようになった。
「いいんですかね、勝手に行動させて」
と、斎藤が言う。実のところ彼は、葵屋とその背後にある御庭番衆が好きではない。
「いいさ、毎日帰ってきてる分においては」
土方は応じた。今のところ彼女に手を出そうという不届きな輩もいないようだし、見廻組がああまで無為徒食していればその正体に気づく者もおるまい。
「もし洋子の身に何かあれば、疑われるのは向こうの方だからな。むしろ御庭番衆の方が彼女の扱いには神経を使ってるだろう」
そう言った。斎藤は納得しかねる表情で
「何かあっても、私は責任取りませんから」
と言い放った。土方は苦笑して部屋を出た相手を見送る。

  「枡屋喜右衛門?」
葵屋の奥座敷で、洋子は翁からその名を聞いた。
「ええ、河原町の道具屋です。──いえ、道具屋というのは仮の姿でしてな」
実は長州系志士の大物、古高俊太郎の化けおおせた姿であるらしい。
「しかも蜂起のための武器弾薬は、ここの道具蔵に集めてあるそうです。ここを調べれば何か出ます」
「しかし、そんなにすぐ分かるところにありますかね」
道具屋の蔵、というだけで疑われそうな場所ではないか。少なくとも古高の正体が割れれば一蓮托生的に調べられる運命だ。
「なあに、それがあるのが不思議なものでしてな。連中は気宇壮大じゃが事を動かす緻密さにはまるで欠けております。じゃからそういうことも起きるというもの」
翁は余裕ありげに笑っている。どうやら情報としては間違いなさそうだ。
「分かりました。引き続き詳しい情報をお願いします」
と言って、洋子はその部屋を出た。
 「──翁、我らに隠れて何を企んでいる?」
彼女が襖を閉める音がした途端、座敷の天井から声が聞こえた。
「第一、あの娘は何者だ? そこいらの者ではあるまい?」
「なに、お増が世話になった娘じゃよ。少なくともそちらが人斬り抜刀斎にしかけた巴とか言う娘よりは、遙かに無害なつもりじゃが」
天井裏の気配が、俄に殺気を帯びる。
「ま、手はださん方がいい。新撰組と気まずくなる」
「──そのようだな」
気配が消えた。ふう、と息をついて翁は
「そちらさんより、マシなことをやってるつもりじゃがな」
天井を見上げて、呟いたのである。

 「ご不満ありげのようですね、斎藤さん」
洋子が土方に報告するのを道場で待っている斎藤に、沖田が声をかけた。
「葵屋の皆さんは、僕が見た限りだとそんなに悪人でもなさそうでしたよ。目くじら立てるようなことでもないと思いますけど」
少なくとも怪しげな浪士たちと親しくなるよりは遙かにましだ、と沖田は考えている。
「葵屋そのものはよくても、背後の勢力が問題だ」
稽古が熱心に行われており、多少危険な話になっても気づかれることはまずない。
「疑り深いなあ、斎藤さんは。何を気にして警戒するんですか」
「別に警戒はしてないさ。俺が気にいらんのはあいつの態度だ」
その台詞に、沖田は思わずクスッと笑った。そういうことかという態度である。
「そういうのを嫉妬って言うんですよ、斎藤さん」
斎藤は返事をせず、その場を離れた。洋子が道場に姿を見せたのだ。

 数日後、新撰組は近藤の指揮下に古高俊太郎の捕縛に動いた。六月一日である。
 同行したのは沖田、永倉、原田の三人の助勤とその配下の二十数名。土方以下の残りは留守番である。洋子は情報を提供した関係上現場にいたかったのだが、沖田になだめられ斎藤が見張りにつき、結局留守番になった。
 蔵のある家だから少々大きい。三方に助勤一人ずつとその配下を伏せさせて近藤が古高の家に踏み込んだとき、彼は眠っていた。
「古高俊太郎、そちは密かに浮浪の徒を集め、皇城下で争乱を引き起こすやに聞き及んだ。大人しく縄にかかれ」
その声に目を覚ました古高は、驚くでもなかった。
「あなたはどなたです」
と訊いたが、目の前の男の制服や風貌で恐らく見当がついていたのだろう。近藤が名乗った後も、平然としていた。そして
「少し待たれよ。逃げも隠れもせぬ」
と言って、一通り身支度を整えてから自ら虜囚となった。
 蜂起のための武器弾薬は没収され、その晩から数日、古高は新撰組の屯所で拷問を受けたが、何も白状しない。業を煮やした土方は自ら拷問を加える役を買って出た。逆さ縛りにしてろうそくを溶かし、古高の身体にかけたのだ。さすがにこれは効果があった。噂はほぼ全て真実であり、しかも
「計画を実行するための会合は五日、場所は池田屋」
という情報を得たのである。だが既に蜂起派は古高が捕縛されたことを知っているらしく、会合日時と場所を変えるかも知れない。そのため監察たちは再び市内に散った。

 「とにかく、古高の家から出た連判状で主な顔ぶれは分かってるんです。問題はいつどこで会合を開くかという事なんですよ」
と、洋子は言った。古高の白状した会合日時の六月五日、祇園祭の日の午前中だ。連判状の写しを持参して話している相手は翁である。
「枡屋の道具蔵に武器弾薬を隠しているような迂闊な連中が、そうすぐに会合を開く場所や日時を変えるとお思いですかな」
翁はさらりと応じた。目を瞬かせ、少し経って洋子は笑顔を見せる。
「三条界隈にはすでにそちらの監察たちがいるゆえ、夕方辺りには正確な情報が入るでしょうがな。今回は敵も強者揃いゆえ、静姫は留守番なさった方がよろしかろう」
「──」
洋子は不満げに黙った。今、新撰組では隊士の病気が流行っている。幹部でも山南敬助がやられ、治ったばかりだった。洋子としては実戦の場に出るいい機会だ。
「幹部はほぼ戦える状態なのでしょう。でしたら姫君自ら出るまでもございますまい」
確かに、近藤、土方以下の実働幹部は病気にもかからず、今日すぐにでも戦える。ただそれでは彼女にいつまでたっても機会が回ってこない。
「そうお焦りなさいますな。まだ巡察にも出ていないあなたを出せはしません。それにこの事件が終われば、必ず機会も回ってきます」
まして試衛館からの付き合いの幹部は、洋子が旗本の娘であることを知っている。彼らが隊の中枢にある限り、充分な実力と度胸がつくまで彼女が実戦の場に出ることはないだろう。彼らなりの配慮であることを翁は見抜いていた。
「まあこれから急に会合場所を変えることもあり得ますし、その時はまたお増辺りを使いに寄越しましょう。何も連絡がなければそのままだとお思い下され」
その言葉に頷き、洋子は屯所に戻った。

 「──そうか」
彼女の報告を聞いた土方は、それだけ言って思案した。
 池田屋には山崎がいる。もし御庭番衆の情報が本当なら、報告が届くはずだ。
 実のところ、土方とて御庭番衆を信用しているわけではない。ただ、向こうが情報を提供してくれるのなら利用しようという腹である。今のところ提供された情報に間違いもなく、こちらを妨害している気配もない。それならそれでいい、と思っているだけだ。
 彼の考えでも、会合予定は古高が捕まる前の予定通りではないかという気がしていた。古高を奪還する必要もある以上、会合はそう遠くない時期にやるだろう。そしてそれにも関わらず、浪士たちは三条界隈の旅館街をそれと分かる様子で訪問し合っていた。そういう連中が会合場所を変えるような真似をするとは思えない。
「問題は、今動ける隊士の数だ。昨日の時点で三十人足らずだったからな」
せいぜい三十人余りか、と土方は数えた。会合に参加する人数までは不明だが、連判状などから少なくとも二十人はいると見るべきだろう。
 守護職と所司代に応援を頼むべきだな、と思って彼は近藤の部屋に行った。

 話し始めようとしたとき、山崎からの連絡が届いた。やはり今日だという。
「やはりな。実は今さっき葵屋から戻った洋から、同じような報告があった。今日だとすると、今の手勢では難しいだろう。守護職と所司代に応援を頼んだ方がいい」
「確かにな。──何だ」
襖の外の気配を感じ取り、近藤は訊ねた。
「あの、町奉行所から人が来てますけど」
「通してくれ」
恐らく依頼してあった諜報の報告だろう。土方はあっさり通した。
 が、その報告によると会合は今日、四国屋らしい。ここは木屋町にあり、もともと過激浪士の多く泊まっている宿だった。常識的に言えば四国屋の方が密会場所として可能性が高い。何より会合日時が今日というのは同じだが、場所が違えば人数を分けるかどちらかに集中させるか、決断しなければならない。
「どうする、集中させるか?」
緊張した顔つきの近藤に、土方は
「いや、ここは分けよう。逃がせば元も子もない」
それに応援が来れば、多少手勢が少なくてもどうにかなるはずだ。
「で、問題はどう分けるかだ。動ける手勢は三十人余りだ。あんたは池田屋、俺が四国屋として、同等に残りを分けるか、それとも偏らせるか」
「俺は小数精鋭でいい。偏らせよう」
と、近藤は言った。会合の場を襲うとなれば当然室内で戦うことになり、下手に味方の人数が多いと動きづらい。土方もそれは分かっていて
「そうか。では遠慮なく」
かくして人数分けがすみ、近藤は沖田、永倉、藤堂、原田などを含めた七、八人の小数部隊を、土方は斎藤などの残る二十数名を率いることになった。
 「私はまた留守番かあ」
やれやれ、と洋子はため息混じりに呟いた。