るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の九 急ぎばたらき(1)

 「やあーっ!!」
新撰組の道場の隅で、洋子たち見習い隊士組は稽古に励んでいた。この場合、洋子の方が教える側で、他の隊士たちの竹刀を受けている。
「ほら、右の脇が開いてる!」
そう言うが早いか、彼女は相手の右脇腹に一撃を叩き込んだ。
「押すのはいいけど真剣の場合、ちょっとの隙が命取りになる! 分かった!?」
「は、はい!」
次の相手が前に出てきて当たる。それを見ながら沖田が
「──教え方が上手ですねえ、あの子」
「ま、師匠を反面教師にしてるんじゃねえの?」
原田左之助が皮肉っぽく笑って応じる。
「あいつ、相当ひどい教え方してたからなあ」
そこで口をつぐむ。噂をすれば何とやらで、斎藤が市中巡察を終えて戻ってきたのだ。沖田が近づいて声をかける。
「ご苦労様です、斎藤さん。今日は何か?」
「いや、何もない。──それはそうと……」
聞き覚えのある声が、厳しい調子で叱りとばしている。
「また遠慮してる! 踏み込みが浅い!!」
その方向を見て、斎藤は呆れた顔で嘲笑した。あの阿呆が、偉そうに。
「──沖田君、すまないがあいつの相手役二人に稽古つけてやってくれ」
「あ、はい。でもどうして…」
「あいつに自分の身の程って奴を教えてやる。偉そうに言える立場じゃないってことを」
クスッ、と沖田は笑った。どうやら面白いことになりそうだ。

 「洋さん、斎藤さんが久しぶりに稽古つけてくれるって」
斎藤が下準備をしている間に、沖田は洋子にそう言った。聞こえているはずだが返事はない。苦笑して
「僕がこの二人見てるから、たまには思い切りぶつかっておいでよ」
「……はーい」
「何がはーいだ。人がせっかく稽古つけてやるんだ、感謝しろ」
別に頼んだわけじゃないんだけどなあ、と洋子は思ったが、さすがに口に出すのは止めてそのまま斎藤についていった。
 形だけ礼をして、すぐに身構える。間髪を入れずに竹刀同士の衝突音が激しく響き渡った。数合打ち合ったあと彼女が間合いを取ろうとして一歩引いた瞬間、斎藤の一撃が頭上を襲った。間一髪受け止めたものの、防戦一方の展開になる。
《こりゃ江戸での稽古と一向に変わってないな、まったく》
剣勢に負けないように足を踏みこらえながら、内心思う。この場ではこれ以上退いてはいけない。退けば相手はそれを利用して一気に押してくる。そうなったら確実に負けだ。反動を利用して押し返すくらいでなければ。
「す、凄い…」
本人にしてみれば押されかけているのだが、傍目には互角にやり合っているように見えたらしい。沖田が一人を相手にしている間に見ていたもう一人が、そう声を上げた。
「そろそろ本気を出すか」
と、斎藤が呟いた。え、と思う間もなく剣圧が凄まじいほど上がる。
「うわっ!!!」
その一撃だけで、竹刀を持つ手が軽く痺れた。と同時に、感覚が一気に試衛館時代に戻る。こうなったらやってやる!
 別に試合をやっているわけではないので、撃ち込まれても気にする必要はない。開き直った彼女は相手の攻撃を無視して斬りかかった。
 斎藤が洋子の攻撃を一刀残らず防ぎきり、反対に痛烈な斬撃を撃ち込む。それを紙一重でかわし、或いはかすらせる程度にして懐に飛び込み、斬りつけようとした。相手が防御に回り、竹刀がぶつかり合う勢いで双方半歩後退する。やはり斎藤の方が体勢を立て直すのが早いらしく、洋子が身構える前に肩に一撃を叩き込んだ。
「それ以上やるんだったら、外でやってくれ。ここは専用の場所じゃない」
そこで縁側から土方の声が入った。ふと見回すと、二人の周りの空間がかなり広く開いている。どうやら他の隊士は巻き添えを恐れて遠くに行ったらしい。
「だそうだ。行くぞ、おい」
言うが早いか、斎藤は洋子の首筋をいきなりつかんで外へ連れ出した。
「洋、あとでちょっと話がある」
本人だけに聞こえる声で、土方は近づいてくる洋子にそう続けた。

 「話ってのは何ですか」
疲れた顔で、洋子は言った。あれから数時間ほど稽古を続けたのだ。
「最近、御用盗の急ぎばたらきが出てきたのは知ってるな?」
洋子は頷いた。ちなみに御用盗というのは、攘夷軍用金を称して富裕な商家から金を取る泥棒のことで、急ぎばたらきとは金を取る際に正体が漏れないようにその家の家族や奉公人を皆殺しにするやり方のことだ。現代で言うなら強盗殺人である。
「それがどうやら、長州人を名乗っているらしい」
つい数ヶ月前、八月十八日の政変で京都政界から追われたばかりの長州藩である。この当時芹沢鴨は近藤たちに暗殺されたあとで、土方は隊内の人事権をほぼ掌握していた。
「近所の住民の話では、長州訛りはない。ただ最近の長州は諸藩からの浪人を集めているから、奴らが長州人を名乗った可能性もある。それでだ」
洋子は悪い予感がすると思いつつ、話を聞いた。
「御用盗の腕は良くないらしいから、見習い組で調べてみたらどうだ。首尾よく行けばお前は伍長、他の見習い隊士は平隊士にしてやる。監察に言えば、情報はくれるはずだ」
ははあ、と彼女は思った。近々新たに隊士募集を行うとかで、その前に旧隊士の格上げをやりたいらしい。見習い隊士たちもそろそろ卒業ということだろう。
「でも、いいんですか。本業の方は」
「なに、お茶くみくらい自分でやるさ。それに、基本的には奉行所に引き渡すだけでいい。抵抗しなければ、敢えて殺すな」
「はい」
まだ新撰組の立場は弱い。殺して揉めたらあとが面倒なのだ。

 「緋村を呼んでくれ」
と、桂小五郎は言った。程なく剣心が姿を見せる。
「どうも。何か用ですか」
基本的に暗殺指令は黒い封筒で下ることになっており、小五郎が直に剣心を呼び出すことは滅多にない。訝ったのも無理はなかった。
「最近、長州を名乗る盗賊どもが現れたのは知っているな?」
「ええ。数日前もある商家が皆殺しの目にあったとか。むごいものです」
自分が体験したことが重なるのか、剣心の表情も暗い。
「実のところ、長州関係者であんなことをやっている者はいない。だが、長州を名乗っている以上放っておけばこちらの評判に関わる。一部の公卿から問詰されてな」
自分が世話になっている商家が襲われては、さすがに公卿たちも放っておけない。情報は追々渡すようにするが、と小五郎は言った。
「そいつらを早急に討伐する仕事を、お前に任せたい。腕はそう良くないらしいが、奉行所に引き渡すわけにも行かぬからな。後腐れのないように頼む」
「分かりました」
頷いて、剣心はその部屋を出た。

 

 盗賊が次に現れるのがどこかを突き止めるには、まず情報だ。一応監察室に行って協力を依頼したあと、洋子は久しぶりに葵屋に行ってみた。
「どうも、洋です」
その声に真っ先に応じたのは、お増である。表口に出てきて
「あら、洋さん。お久しぶり。元気でやってる?」
「ええ。皆さんもお変わりなく」
ここを離れて、もう数ヶ月になる。いきなり見習い隊士世話役という管理職を任されたこともあり、忙しくて最近は前を通ることもなくなっていた。
「それで、今日はちょっと頼みがあるんです。翁は?」
「ああ、奥で茶飲んでるわ。案内するから上がって」
今日は新撰組の制服を着ている。そのまま彼女は室内に上がり、奥に向かった。
「翁、洋さんが来たわよ」
「分かった。入ってくだされ」
お増が扉をスッと開ける。中の翁は茶碗を置いて洋子を見た。
「お久しぶりです、御庭番衆京都探索方の翁殿」
この挨拶で、その場の二人は客の用件の推測がついた。

 「なるほど、分かりました。では明日にでもそちらに結果を回しましょう」
「よろしくお願いします。一応監察方に頼んではいるんですが、彼らが京都の地理にどこまで精通しているか不安なもので」
洋子の説明に、翁は早急な調査を約束してくれた。早速人を呼んで耳打ちする。
「──で、新撰組の方はいかがです」
一通り話がすんで茶の二杯目を注ぎ終わったところで、翁は訊いた。
「芹沢さんが殺されて、最近の隊内は取りあえず落ち着いてます。私も他の見習い隊士たちの稽古で忙しくて」
「市中見回りはまだですかな」
「ええ。まだ腕がなってないそうで」
実のところこの寒い中を出たいとも思わないが、まだ秋頃に巡察に出てみたいと言ったところ斎藤に一言そう言われ、更にこてんぱに叩きのめされて諦めざるを得なかったのだ。
「おかげで最近は教えるのに係りきりです。楽しいですよ、自分が教えた人が上達していくのを見るのは。──でも昨日は久しぶりに斎藤さんに叩きのめされましたけど。おかげで今朝の見習い隊士たちの態度の悪いこと。反対に叩きのめしてやりましたよ。お前たちに見下げられるほど弱くないって」
後半は声の調子がやや強い。相当他の見習い隊士たちの態度に腹を立てたらしい。翁は笑って応じた。
「まあ、これからは大人しくなるでしょう。今彼らは何を?」
「今までの賊の手口の分析やってます。やらせてるんですけどね、私が。出かけてる間に済ませておけって」
そう言って、洋子は笑った。お茶を一口飲んで続ける。
「さすがに攘夷派の長州を名乗るだけあって、襲う店は佐幕派貴族や幕府側の武家と取引のある店ばかりですね。まあもっとも、そうした店と攘夷派貴族が取り引きしてないとも言えないんですけど。あと外国の品々を扱ってる商人たち。これから襲われる可能性があるのは、この二つに蘭方医(西洋医学の医者)程度でしょう。更に曇りにせよ新月付近にせよ、闇夜の犯行ばかりです。近所の人が音を聞いてるところからして、手口はかなり荒っぽいですね。多人数で力ずく、という型の盗賊どもでしょう。ただ、問題は今後どこが襲われるかです。周期も一定してませんし、奪った金額とも比例しない。或いは参加者の人数に関係するかとは思うんですが、初めからあれだけの大人数では一人二人増えても変わらない気もしますし」
見習い隊士たちがここまで辿り着ければ上出来だ、と洋子は思う。
「あと、向こうも一人や二人密偵がいるでしょう。彼らが我々の動きを察知してどう動くかです、当面の課題は」
「なるほど、分かりました。ではまずそちらの方を重点的に」
よろしくお願いします、と言って洋子は葵屋を出た。実のところ行き先をはっきりと伝えてきたわけではないので、早めに戻った方がいいのだ。

 洋子はその足で、襲われた店を回ってみた。地理的には結構分散しており、次の予測がつきづらくなっている。店の形態にも特に共通点は見あたらないが、種類的には呉服店や薬屋といった金の儲かる店ばかりだ。
「これは、地図と見比べてみる必要がありそうね」
呉服屋や薬屋がどこにあるか調べ、うち襲われていない店を重点的に見張ればかなり防げるはずだ。今のところ襲われたのは京都市内だけなので、範囲はそう広くない。
「よし、じゃあ帰ろう。そろそろ日も暮れるし」
そう呟いた途端、何やら殺気を感じた。最近人斬りが横行しているので目的が誰かは分からないが、洋子は反射的に刀の柄に手をかける。注意深く周囲の気配を探り、そのままの体勢で駆け出した。追ってくる様子はない。
《ふう。誰かと思った》
別の通りに出たあと、彼女はそう思った。

 翌日から洋子たち見習い組は早速捜査を始めるのだが、この事件が当初の予測より遙かに複雑なものだと知ることになるのは犯人が捕まった後の話である。

 

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