るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の九 急ぎばたらき(2)

 洋子は苛立っていた。敵、つまり盗賊たちがこの十日、少しも姿を見せないのだ。
 翁たちの情報も動くような気配はないと伝えているし、姿を見せないと言うことは言い換えればどこも被害にあっていないことでもあるのだから、それなりにいいことでありそのこと自体に何ら問題はない。だが彼女の苛立ちは収まらなかった。
「はい、次!」
午前中に一日分の稽古をやり、午後から探索に入る。襲撃は普通夜なので、監察と御庭番衆が情報をしっかり集めていればそれでも間に合うのだ。局長、総長、副長の昼食の給仕もあり、決して暇ではない。
「そんな風で勝てるつもり? もっと一撃ごとに力を込めて!」
洋子は相変わらず、専ら受け役だ。どんなに押されているように見えても最後には一撃で決める。今回も隙のあった相手の肩に強力な一撃を叩き込んだ。
「無駄な動きをしなければ、力を込めても隙はない。力を込めるのと大振りになるのは別よ!」
彼女の場合、斎藤に散々叩きのめされているだけに言葉に説得力がある。まがい物扱いだった見習い隊士たちも、その指導を受けてかなり上達していた。
「私を例の盗賊と思って攻めてこいって言ってるでしょう! もう一歩踏み込んで!」
洋子の声が飛ぶ。それを横目で見ている沖田は、最近不安を感じていた。世話役になってからのこの数ヶ月、彼女は教える方にかかり切りになっていて自身の稽古が殆ど出来ていないのだ。もともと正式には他人に教えられるほどの実力ではない。
《かといって斎藤さんのやり方だと、後でまた変な事態になるだろうし》
洋子自身は無茶苦茶な稽古がなくなってせいせいしているらしい。だがそれとこれとはまた別だ。沖田自身が教えればいいようなものだが、彼の場合まず普通の隊士の稽古を付けなければならない状態なので、なかなか手が回らない。
「竹刀をもっとしっかり持って!」
彼女がそう言うのと竹刀が床に落ちる音がするのと、殆ど同時だった。
「実戦だったらこの時点であんたは死ぬよ。分かってる!?」
「は、はい!」
「だったらもっと思い切って攻める!!」
さすがに斎藤のように殴りはしないが、洋子の口調は厳しい。盗賊たちは、今日にもどこかの店を襲うかも知れないのだ。目の前にいる連中には、そういう緊迫感がまるでない。
《それだけじゃないなあ、あの厳しさは》
と、沖田は思う。この前の一件で見習い隊士たちに一度は見下げられる羽目になり、彼女としては不満が随分たまっている。多分それが根本にあるのだ。
「ほら、次!!」
そう言って次の相手に竹刀を向けた。挑みかかってくるのを受け流す。
《何だかなあ、あの子は》
やれやれ、と沖田は思って見ていた。
 「あのう、天城さん」
そこに声がかかった。雑用係の小者だ。
「葵屋とか言う旅館から、人が来てますよ。話があるそうで」
洋子は稽古を中断して廊下に向かい、小者と一言二言話したあと沖田に軽く会釈して彼についていった。その直後に斎藤が戻ってくる。沖田に小声で
「あいつ、どこに行くって?」
「何でも葵屋から人が来たそうですよ。多分情報収集を依頼してるんでしょう」
答える方も小声だ。訊いた側は嫌そうな表情で
「ったく、折角人が忠告してやったのに無視しやがって」
「あの子はあの子で一人でやろうとしてるんですよ。そう怒らないで下さい」
苦笑して応じる。斎藤は不機嫌そうに
「それが身の程知らずだって言うんだ。あの阿呆のガキが」
そしてその場に残った見習い隊士たちを見回し、にやりと笑った。

 「そうですか、ありがとうございました」
現れたのはお増だった。簡潔に情報を伝えられ、洋子は頭を下げる。
「頑張ってね。──そうそう、長州が汚名をすすごうと動き回ってるらしいわ。下手すれば鉢合わせするかも知れないから、注意してね」
と、奥から何やら凄まじい音が聞こえる。何事かと思って振り返る彼女に
「じゃあ、三日後に」
お増はそう言って戻っていった。後ろ姿に軽く一礼して、洋子も道場に戻る。
「どうもすみませ……何ですかこれ!?」
中を覗いた途端、悲鳴が二割ほど混じった声を上げる。見習い隊士たちが、そろって床に延びていた。何故かみな面を外し、顔にこぶが出来ているのが分かる。
「斎藤さんがね、君のいない間に稽古つけてくれたんだ。面取って真剣のつもりでかかって来いって言って」
と、沖田が耳打ちする。当の斎藤は彼女が来たのを見て取るとゆっくりと立ち上がった。
「誰も稽古つけろなんて頼んでないんですがね」
どうやら自分に稽古を付けるつもりらしい、と感じつつ洋子は言った。
「フン。教えた奴がこの程度にしか育ってない分際で抜かすな」
場の緊張感が異常に高い。このまま一気に突入かと思われた瞬間
「稽古つけるときの型くらい守りましょうよ、お二人さん。ほらこっちこっち」
沖田がやけに気の抜けた声を出す。自分の稽古を中断して二人の間に入り
「ほら、斎藤さんはこっち、洋さんはここ。今から始めるよ、いいね」
それぞれを引っ張って適当な位置に立たせ、目配せして勝手に稽古を宣してしまった。
「時間無制限、降参のみの一本勝負! 始め!!!」
洋子が状況に納得する間もなく、斎藤は攻めてきた。

 数時間後、洋子は自分の控え室で完全に延びていた。薬が染みて顔をしかめる。
「大丈夫ですかい?」
小者が薬を塗りながら訊く。頷いておいて、彼女は
「参ったなあ…。江戸の頃より実力差が開いてるよ」
と、真剣な表情で呟いた。こうまで落ちていると、四日後のことが気がかりだ。
 と言っても彼女の場合、基本的な体力や振りの鋭さが落ちたのではない。相手の攻撃を受ける際の反射神経が自分でも信じられないほど低下しているのだ。おかげで今までで最多の傷を負う羽目になってしまった。
「とは言えあいつらの稽古は人に任せられないし。あと四日で本番だから」
ふう、と息をつく。見習い隊士の実力も考えるとこの数日は幹部級に稽古をつけて欲しいくらいだが、それは多分無理だろう。さっきのような事態になれば彼らのやる気に関わるし、実戦で恐怖に駆られても困る。そして自分一人でも勘を取り戻したいのは山々だが、朝早く起きて一人稽古するだけの体力も彼女にはない。
「仕方ない、あいつらに期待しよう」
延びていた記憶は、取りあえず消すことにした。

 

 三日後、洋子は葵屋を訪れた。情報の確認のためだ。
「で、明日ですか。盗賊どもが襲う予定は」
翁は頷き、一口茶をすすった。
「ええ。ですが、少し注意して下され。奴らは変わった道具を使いますので」
「……そのようですね。監察方からそう聞きました」
皆殺しには違いないのだが、刀傷が少ない。刺傷やえぐり取られたような傷などが結構多く、そこらの盗賊集団とは違うという印象を受けていた。
「あと、長州が汚名返上のために動き回っていましてな。巻き添えにならぬよう、注意した方が良いですぞ」
「やはり長州人ではないと?」
監察方の情報では、盗賊団は長州を名乗ったまがい物ではないかと言われながらもついに確証が取れなかった。なまじ彼らが諸藩の士を集めているので、彼らの一部が暴発した可能性も捨てきれないからだ。
「ええ。少なくとも桂小五郎などの主流派ではありません。まあ彼らが内密に粛正すればそれはそれでいいんでしょうが」
「──でも、それだと我々の出世が……」
翁は笑った。そしてたしなめるように
「そう焦ることもありますまい。あなたはまだ若い。これから実力を身につければいずれ必ず出世は出来ます」
「──はい」
洋子は頷き、具体的な情報の検討に入った。

 翌日の昼過ぎ、彼女は監察方に呼ばれた。
「今日、盗賊どもの襲撃がある」
山崎丞が、彼女が座るや否やそう言った。これは四日前にお増から聞いていたことで、洋子としてはやっと気づいたかというのが正直な思いである。だがひょっとしたら詰めの調査をしていたために情報の提供が遅れたのかも知れず、今日提供できただけで良しとすべきだろう。黙って頷いた洋子に
「ただ、その襲撃場所候補が二つあって絞り切れていない。土方先生に先ほどご相談申し上げたところ、候補二つの情報を全て君に教え、君の判断でどちらに行くか決めさせるようにとのことだった。勿論我々は今も絞り込みの捜査を進めているが、現時点での確かな情報を君に提供したい」
「はい、分かりました」
どうやら土方は御庭番衆に一種の情報戦を仕掛けているらしい、と彼女は思った。どうせ沖田や斎藤あたりが告げたのだろうが、少々警戒のしすぎではないかという気もする。
「まず一方の場所だが」
そう言って始まった説明は詳細で、御庭番衆の集めた情報とは違った角度からのものもあり洋子は熱心に聞き入った。そして一時間ほど経ったあと、説明が終わる。
「というわけだ。あとは君の判断に任せる」
「少し考えてみます。他の見習い隊士とも相談しないと」
彼女は微笑して言った。どのみち出動は夕刻以降だし、ざっと説明しておく必要はあるだろう。内心、重複している方に行くことには決めているのだが。
「二つ以上の盗賊団の同時襲撃なんて事がないように祈ってよう」
目下の心配事は、そちらの方だった。

 

 さて、その頃剣心は小萩屋で黒い封筒を渡されていた。
「今夜だ。急だが頼む」
剣心は、黙って頷いた。

 

続 く