るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の十九 人事異動(1)

 「やあっ!!」
洋子は踏み込み、盗賊の一人を斬り伏せた。他の盗賊たちが一斉に逃げだそうとするが、既に包囲されていて斬り抜けるしか手はない。一瞬迷っている間に、他の隊士が踏み込んできて別の一人を斬り伏せる。たちまち乱闘になった。
 洋子はやがて構えを変え、敵のうち特に強そうな一人に狙いを定めた。乱闘の中、既に隊士二人がその男のために斬られている。彼女は右の片手平刺突、後に逆牙突と称される構えだ。一気に間合いを詰め、攻め込む。
 第一撃はかわされたが、次の瞬間には洋子も横なぎに転じている。この横の変化は敵も予想外だったらしく、辛うじて直撃は避けたものの脇腹に浅手を食った。血が流れる。
「よくかわしたね。誉めてあげるよ」
と、洋子は笑って言った。唇についた返り血を、舌で嘗める。
「ここからは儂の仕事だな」
そこに井上源三郎が出てきた。刀が赤く濡れているところを見ると、ただ見ていたわけでもないようだ。
「大丈夫ですよ、これくらいは私一人で充分です」
身構えたまま応じる。端から見て、井上はそれほど剣腕はない。はっきり言って洋子の方が実力的には上だし、第一死なれたら困る。
「──しかし…」
井上が言った次の瞬間には、洋子は攻め込んでいる。盗賊は腕を伸ばして彼女の刀の鍔に自分の刀身を押しつけ、突撃を止めた。鍔からもろに衝撃を受け、洋子の手が一瞬痺れて数歩退く。そこに周囲から平隊士が襲うも、逆に傷ついてしまった。そこに
   グサッ!
という音がした。洋子が気の散った敵の隙をついて、太股を狙って刺突を入れたのだ。引き抜くと同時に血が噴き出し、自分の服が濡れるのも構わずによろめいた敵の胸を突く。
「──ま、ざっとこんなものでしょう」
洋子は平然と敵の死骸を見下ろすと、刀を懐紙で拭ってその場に捨て、そう呟いた。

 

 「──洋子が、人殺しを楽しんでいる?」
井上源三郎の話に、土方は驚いていた。
「今日の見回りでも、返り血を笑って嘗めていたよ。あと前に出ようとする傾向が強すぎる。慣れたと言えば聞こえはいいが」
あれはちょっと妙な方向に行きつつあるような気がする、と井上は言った。土方は真剣な顔で考え込んでいる。
 彼ら自身、池田屋を始めとする浪士たちの取り締まりや自らを襲う人斬りの返り討ちなどで、血の匂いの染みついた人間である。というか新撰組に入って一年以上も経てば、大抵の人間は血の匂いや人が斬られる行為を見るのに慣れてしまい、特に何も感じなくなるのだ。中には血の匂いや肉を斬る感触に心を奪われ、人を斬るのが快感になってしまう者もいるだろう。そうなるかどうかは個人の内面的問題であって、別に土方たちがどうこう言うようなことではない。
 実のところ、これが他人の間で問題になるのは主語が洋子だからだ。彼らからすれば御庭番衆から彼女を守るために新撰組に引き取ったのであって、一年近くも見習い隊士世話役という隊外には出ないで済む仕事をさせたのもそういう理由からである。本来ならば前線に出るのは来年以降のはずだった。
 それが人員不足のために半年以上早まり、ただでさえ気にかけていたところに精神状態を疑わせるような話が飛び込んできた。おまけに洋子は本来的に旗本の娘だ。当然ながら人斬りに慣れていいような存在ではなく、精神状態がおかしくなる前に何らかの手を打たねばならない。もっとも、これは彼らが一方的にそう考えているだけで、当の本人にとっては余計なお世話かも知れないのだが。
「まあ数日中に近藤さんが戻ってくるから、それに伴って色々変えることになる。井上さんには申し訳ないが、もう少し面倒を見てやって欲しい」
正式には伊東甲子太郎率いる一派が京都入りして以降、十二月中旬頃になるだろうが。検討事項がまた一つ増えたな、と土方はこの時思った。

 

 洋子は、相変わらず忙しい日々を送っていた。平隊士に稽古をつけるのも楽ではない。
「刺突の後は横なぎに転じる! そこ、変化が遅い!」
沖田は熱っぽいとかで自室で横になっており、斎藤は相変わらず突っ立ったままだ。上達の早い隊士は一人で稽古を始めているから教える人数は減っているのだが、彼女の負担は昨日今日と逆に増えていた。
「おい、洋。そっちばかり教えるな」
「人に言う前に、自分で動いたらどうなんです!? 毎日毎日そこに突っ立ってばかりで」
斎藤も、身体がなまらない程度に見本を見せることはやるようになったが、それでも洋子が動いている量に比べたら遙かに少ない。大体見本を見せるときの受け手も概ね彼女がやるので休む暇などないに等しく、不満が溜まりに溜まっているのだ。
「阿呆。どうせ誰か全体の目付役がいるだろうが」
「何でそこで人を阿呆呼ばわりするんです? 私も風邪引いて寝込もうかな」
そこに木刀が叩きつけられる。間一髪かわして数歩間合いを取り、更に言った。
「いつまでも私に当てられると思ってたら大間違いですよ。もう少し本気でやらないと」
「斎藤はいるか?」
双方共に身構えかけたところに、土方の声が入る。
「ちょっと話がある。来てくれ」
それに助かったと思ったのは、むしろ周りの平隊士だっただろう。

 「──確かに、以前に比べて短気にはなりましたよ。それがあいつの自信の現れなのか、井上さんの言うような精神の異常かは分かりませんが」
洋子の様子について土方に訊かれた斎藤は、そう答えた。もともと彼女は逆らう存在ではあったのだが、以前は口喧嘩だけで済んでいたのが最近はすぐ暴力沙汰になる。実際叩かれる前に身をかわせるようになったので、余計に口が悪くなったのだろうとは思っているのだが。
「そう言えば、数日前にあいつが町に買い物に出かけたとき、料理が来るのが遅いのに腹を立てて店の主を呼びつけたとか言ってましたな。普通なら店員にまた頼めば済むのを」
「──どこから聞いた」
土方は真剣な顔で訊ねた。斎藤は
「あいつに同行した部下の一人が言ったのを、小耳に挟んだだけですが」
と、あくまでも平然と説明する。だが次の一言は少々意外だった。
「まあ何かあれば引き受けますよ。師匠の責任がありますから」
「──そうか、ではいざとなったら頼むぞ」
土方の声が必要以上に真剣なように、斎藤には聞こえた。

 

 「どうかしました?」
お夢にそう訊かれ、洋子は軽く驚いて顔を上げた。
「最近食事の量が少し減ってますよ。何かあったんですか?」
「ううん、何もない。心配しなくていいから」
笑って応じる。そして澄まし汁に自分の顔を戻して口を付けた。
 どうも食事が美味しくない。巡察に行った日などは特にそうで、汁物や食後のお茶などは血の味がする。一時期減っていた諸藩の脱藩浪士やそれを語る盗賊たちなどが最近になってまた増えだし、手入れこそないものの巡察中に刀を抜かない日はなかった。
《──けど、一瞬でも退いたら切腹だからなあ》
身内だからと言って、甘えは許されない。洋子の中ではそれが一種の脅迫観念となっており、だから必要以上に前に出ようとするのだ。
「何かあったら、相談して下さいね。お役に立てないかも知れませんけど」
と、お夢は言った。うん、と頷いて汁を飲み干す。
《みんなは平気そうなんだけど…》
これを乗り越えなければ先には進めない。洋子はそう思ってご飯を詰め込んだ。


 さて、それから数日後。近藤が江戸で募集した隊士と共に帰ってきた。伊東甲子太郎たちは道場の閉鎖などでやや遅れてくる。
「かなり集めたな。五十数人か」
「ああ。これだけいればしばらくは大丈夫だろう」
伊東などの合流後、改めて配属を固めることにするとしても。これだけの隊士を一度に集めれば受け入れる側も大変である。
「井上さん、洋を少し借りますよ」
近藤が入京した当日の夜。土方は宴会中に少し席を立った井上にそう言った。
「貸すのはいいが、何に使うつもりかね」
「新入り隊士の受け入れの応援に回らせます。宿直はともかく、巡察からは一、二回外れることになりますので」
「分かった。そうしてくれ」
新撰組という組織は、剣客はそれこそ一流の者が多いが教養のある隊士は少ない。受け入れの書類事務を任せられるのは総長の山南敬助以下数人で、達筆な洋子の手を借りたとしても何ら怪しまれることはなかった。
 かくして翌日から、洋子は事務の方にしばらく忙殺されることになった。

 「ふう。取りあえず今日の仕事が終わったあ」
京都守護職に差し出す新入り隊士の名簿を半分書き終えたところで、洋子は大きく背伸びをした。もう冬であり、酉の一刻ともなれば外は真っ暗だ。
「ご苦労様。帰っていいよ」
同じ部屋の上座にいる山南が微笑して言った。
「あ、はい。でも他の人がまだ…」
その部屋には数人隊士がいて、みな何か書類を書いている。終わったからと言ってすぐに帰るのは気が引けた。
「大丈夫。お夢さんが心配してるだろうし、早く帰っておやり」
ここ数日、帰るのが確かに遅かった。重ねてのお言葉があったことだし、早く帰るかと思っているとやや遠くから凄まじい音が聞こえる。
「何ですか、あれ」
どうやら道場の方らしいけど、と思いつつ訊く。
「稽古だよ。新入り隊士に特訓してるみたいでね」
「──斎藤さんですか。あーあ、可哀想に」
あの響きからして、恐らくかなり激しい稽古に違いない。洋子としては新入り隊士に同情するものの、巻き添えを食らいたくないのでさっさと帰ろうと思い立ち、他の隊士に一礼して部屋を出た瞬間
「ああ、天城さん。ちょうど良かった」
「沖田さん。どうかしたんですか」
来たのが道場の方角からである。咄嗟に嫌な予感がした。
「斎藤さんが呼んでるよ。模範稽古の相手がいないって」
げ、と思い切り顔をしかめる。沖田は笑って
「たまには道場に出てこいってさ。まあ一勝負だけならそんなに時間もかからないだろうし、帰宅前の一汗にどう?」
断る方便を色々考えていたのだが、思い浮かばない。相手の沈黙を許諾と解釈したことにして、沖田は洋子の背中を押した。

 

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