るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十五 奈良出張(1)

 松原が死んでから、洋子はため息をつくことが多い。
「おい阿呆。ぼけっとするな」
斎藤がそう言うのもどこ吹く風。喧嘩するのもおっくう、という心理である。
 松原の自殺未遂、更にその後の病死は、元はと言えば自分のせいなのだ。多分柳田が自分のことを喋ったのだろう。その柳田が死んで、追いつめられた彼は自ら死を選んだ。隊士の間では色々推測が飛び交っているが、真相はこれ以外にあり得ない。
『隊士になってからは、無我夢中で毎日暮らしてきたけど』
自分のせいで二人も仲間が死んだのは、そろそろ潮時ということだろうか。確かに今更英集会の者たちと戦う事態はないだろうし、これ以上いてもまた事件が起きそうなだけの気がする。脱走は許されないにせよ、事情が事情である。

 「気にしなくていいよ、そんなこと」
愚痴こぼしの聞き役はやはり沖田である。柳田が死んだ日の夜に言われたのが少しは効いたのか、悩み事は以前のように彼に持ちかけるようになっていた。
「松原先生が死んだのは、君のせいじゃないんだから。当初は知らなかったみたいだし、本人が自分を追いつめていっただけなんだ。まあ監察部や土方さん辺りが一枚噛んでる可能性はあるだろうけど、それにしても君のせいじゃない」
「でも、元はと言えば……」
「柳田先生のことは、仕方ないよ。割り切るしかない」
沖田は横になってそう言った。体調が良ければ道場にも出てくるが、それ以外の時は巡察などの仕事でなければ部屋にいることが多い。前は子供とよく遊んでいたのだが、最近はそれも減りつつあった。
「色々余計なこと気にしてないで、仕事に打ち込んでればいい。隊を離れるなんて、絶対に考えたら駄目だよ。斎藤さんにも世話になってるんだし」
洋子はため息をついて応じた。
「──斎藤さんも、もう少しどうにかなりませんかね、あの態度。人が折角大人しくしようと思って来たらあれですよ」
「斎藤さんはね、多分君が大人しいのが嫌なんだよ」
「はあ!!?」
沖田の発言に、洋子は目を丸くした。
 柳田が死んだ翌朝の喧嘩後、彼はさすがに文句を言いに行ったのだ。すると斎藤は
「君が大人しいのは、自信をなくしてる時か悩み事を一人で抱え込んでる時かだから。普段からそうだったら問題ないけど、今まで毎日喧嘩してていきなり大人しくなられると扱いに困るって言ってた」
「──そういうもんですかね」
何やら意味がよく分からないながらも、何となく納得してしまう。
「だからそっちも割り切って、こういうもんだって思った方が良いんじゃないかな。どうせ斎藤さんの性格は一生あのままだろうし」
「確かにそうですね。あの性格は」
変わられたらこっちが困る、と洋子は思った。

 

 「三番隊で奈良に?」
「ああ。浪士どもがかなり出没しているらしくてな。十日ばかり出張だ」
出立は明後日だから、色々準備しておけと斎藤は言った。偉く急な、と洋子は戸惑う。
 取り締まりが目的だから、あまり前に言うと情報が漏れて困る。だから直前に言うのはある程度やむを得ないのだが、それにしても今日はもう夕方である。実質明日しか準備の日がなく、そう大した準備などは出来そうにない。
 となると問題はお夢である。ある意味で自分よりしっかりしてはいるのだが、やはり子供を物騒な京都で十日余りも一人暮らしさせるわけには行かない。沖田さんに見て貰うにしても限界があるし、と考えあぐねた挙げ句、葵屋に預かって貰うことにした。当日の朝に手紙でも持たせれば、悪いようにはしないはずだ。
 「はい、分かりました」
簡単に事情を説明し、本人の同意を取りつける。
「じゃあ、葵屋さんで大人しくしてます。──あ、でも…」
先に挨拶してた方が良いのでは、というお夢に、洋子は頭を振った。
「今回のはかなり秘密度が高いから、どこかから情報が漏れたら困るのよ。ここに手紙と一両小判置いておくから、朝のうちに行きなさい。私は明後日は日の出前にこの家を出ると思うから、一緒には行けない」
「はい、そうします」
斎藤さんと一緒だし、大丈夫ですよねとお夢は付け加えた。洋子は苦笑するだけで決して同意はしないのだが、お夢はそういう関係だと分かっているので気にも止めない。

 京都から奈良まで、徒歩だとほぼ丸一日かかる。予約済みの旅館に着いたのは夕方だった。東大寺や興福寺からそう遠くない。
「へえ、奈良って刀工が結構多いんですね」
「昔は僧兵たちの武器を作ってたらしいからな」
徳川時代には仕事が減って包丁作りをやっていたらしいが、幕末になって京都が物騒になると刀工に先祖返りする店が増えてきた。刀も包丁も、技術的にはそう変わらない。三番隊の泊まる旅館の隣が刀工の家だった。
 物珍しげに周囲を見回していた洋子だったが、間もなく最初の騒動を引き起こすことになる。と言っても、殺傷沙汰ではないのだが。

 「何で私と斎藤さんが同室!? それも二人きりで!!!」
十六畳ほどの広い和室と、八畳の狭い和室。広い方に平隊士七人ほどと前野というもう一人の伍長を入れ、狭い方に格上の洋子と斎藤ということになったのだが、当然彼女としては反発した。
「まあ、十六畳に九名はちょっと狭すぎますからね。天城先生にはご苦労様ですが」
「ご苦労様なんて言うんだったら、部屋変えてよ。気の病にでもなったら──」
「一番気の病になりそうにないのが天城先生だろうってことで、こうしたんですが」
前野の言い方に、洋子は半分切れた。
「失礼な! 私は人並み以上に繊細な──」
   ボカッ!!
「誰が繊細だ、この阿呆。言葉の意味を調べ直してこい」
斎藤が背後から、刀の鞘ごとで殴りつける。
「少なくとも斎藤さんよりは遙かに繊細ですよ、間違いなく」
痛そうにしながら言い返す。平隊士がクスクス笑いながら
「それで、斎藤先生はこれで構いませんか?」
「ああ。俺としては別に異存はない」
応じておいて洋子の耳をつまみ上げ、小声で言う。
「お前が女だとばれたら困るだろうが、ったく。そうでなかったら誰が貴様なんざと同室で我慢してやるか」
「だったら個室にすればいいでしょう。伍長以上の三人それぞれ」
痛そうに顔をしかめながら、こちらも小声で応じる。
「経費の節約だ。間に几帳立ててやるから、我慢しろ」
手を離して面倒そうに言う。別に金は十分用意してあるのだが、今回の出張は十日では済まないかも知れない。延長になったときの費用も見込んでのことだった。

 

 「──で、今回の任務は要するに暗殺計画の阻止ですか」
夕食後、洋子は斎藤から一通りの話を聞いた。何でも不逞浪士によると思われる予告状が地元の商人に送りつけられているらしい。
「その商人に、きな臭い噂がないわけでもないんだが。奈良奉行からの依頼とあっては断れずにこっちに来たと」
「──何か、その商人の自業自得って感じがしません?」
洋子はそう言った。斎藤は珍しく苦笑して
「ま、だから出張としか言わなかったようなもんなんだが」
どうやら彼自身、あまり乗り気でないらしい。
『お前の気晴らしのためでなかったら、誰がこんなところにまで来るものか』
と言うのが、斎藤の本音だった。

 確かに、奈良奉行からの依頼はあった。だがそれを三番隊に割り当てたのは副長の土方で、不満そうな斎藤への殺し文句が洋子の気晴らしだったのだ。
 柳田と松原の一件以来、洋子は明らかに沈んでいた。一時は喧嘩するのも面倒そうで、最近やっと戻ってきたかという印象である。酒の席でもあまり笑わず、思い詰めている風情がありありだった。仕事もこなしはするが、以前ほどの積極性はない。
「奈良に行って一山こなせば、少しは気も落ち着くだろう。何かあったときの用心について行ってくれ」
「──分かりました」
やれやれだ、と斎藤は思った。あの阿呆が、いちいち手間をかけさせやがって。
 そんな経緯を、無論本人には一言も言っていない。だからさっきも喧嘩したし今も部屋の真ん中に大きい几帳がどんと立っているのだが、きっかけになった暗殺計画そのものは彼にとってどうでも良かった。真相にどこまで気づいているか知らないが、『奴ら』に対しては常に警戒しておく必要があるのだ。
「おふろが沸きました」
と、女将が言う。当然組長である斎藤が最初に入るのだが、ふと洋子のことが気になって背後を顧みた。
「おい洋、どうする」
「いいですよ、先に入って」
部下兼弟子としては、当然のことながらそう応じる。と、そこに
「あ、天城先生のことは葵屋はんから伺ってます。どうぞ何なりと」
女将から声がかかった。斎藤の表情がさっと変わり、女将が部屋を出た直後
「おい、貴様。何か喋っただろう!?」
胸倉をつかんで詰問する。洋子は慌てて弁解した。
「別に何も喋ってませんって! お夢を預かって貰ったんですけど、持たせた手紙にも奈良に行くって書いただけですし!! ──あ」
ここって幕府系の宿屋ですよね、と問い返す。頷いた斎藤は
「──なるほどな、裏で御庭番衆と繋がってるってわけか」
つかんでいた手を離して呟いた。でしょうね、と洋子はほっとして応じる。
「だから、何でもかんでも私のせいにするのはやめて下さいね、ホントにもう」
「阿呆。大体何でお夢をわざわざ葵屋に預けるんだ」
言い捨てておいて、斎藤は部屋を出た。

 

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