るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十五 奈良出張(2)

 「大体何で、私が斎藤さんと十日も一緒に生活しないと行けないわけよ!!」
一人で布団をひきながら、洋子はそう言った。当然の如く几帳から庭側を自分の空間としている。更に言うと、ひくのは自分の分だけである。
「試衛館時代でさえ別室だったのに!! 今更何で同室なのよ!!!」
例え寝る直前だけでも、一人でいられるのは違うのだ。几帳があるから見えることはまずないと思うが、寝言で何か口走らないとも限らない。聞かれるのがいやなのだ。
「ああもう、絶対帰ったら土方さん辺りに言ってやるんだから!!」
枕を投げ飛ばしつつ、言葉を継ぐ。
「それにしてもあいつら、絶対にただじゃ──」
   バゴッ!!!
「阿呆、どなるな。声が聞こえる」
背後から痛恨の一撃を食らい、洋子は見事に卒倒した。
「大体、俺だって嫌なのを我慢してやってるんだ。貴様に言われたくない」
脳震盪を起こした彼女は、その台詞にも答えようがない。
「とにかく大人しくしてろ」
「──だからって、いきなりぶっ叩くことはないでしょうが」
叩かれた箇所をしきりに撫でながら、洋子はようやく立ち上がって応じた。
「怒鳴り声が高すぎる。ばれたらどうする」
う、と洋子は言葉に詰まった。そして数秒ほど相手を見やる。
「風呂に入ってさっさと寝ろ」
几帳の向こうに隠れつつ、斎藤は言った。
「──はーい」

 存外、斎藤の浴衣姿は似合っていた。五右衛門風呂に入りながら、洋子はそう思う。
 洋子は銭湯にはよく行ったが、その時の相手は沖田か、京都に来てからはお夢である。斎藤とは行ったこともなく、浴衣姿など見たこともなかった。彼女にとって斎藤とは、新撰組の制服か試衛館時代のやや古い服しか記憶にない。
「意外とさまになってたわ、うん」
一人呟いて、風呂を出る。洋子もこの旅館の印の入った同じ浴衣を着て、寝室に戻った。
「どうも、上がりました──って寝てるのか」
歩いて奥に向かいがてら、彼女は斎藤の顔を覗いた。意外と穏やかな寝顔である。
「へえ、こういう顔して寝るんだ」
寝顔だけ見ると、決して悪人面ではない。むしろ、どこにでもいそうな普通の青年といった印象さえ受ける。意外に思って見ていると、外から声がした。
「天城先生、天城先生。入っていいですか」
「──何か?」
平隊士たちの声だ。服を整えてそう応じる。
「いえ、その──ちょっと」
言いにくそうにしている。内密のことかと思って、話を聞いてみることにした。
 中に入ってきた平隊士は、長尾と小笹と言った。
「──で、何か用?」
「へえ、組長ってこんな顔で寝てるんですね」
「意外だなあ」
質問にも答えず、斎藤の顔を覗き込む。
「何か用って、訊いてるでしょう。答えなさい」
「いや、僕らは組長の寝顔がどんなか、賭けようってんで見に来ただけなんですけど」
洋子は一瞬呆気に取られ、その後吹き出した。
「──斎藤さんの寝顔って、これしかないんだけど。どんな顔で寝てると思ってた?」
洋子の問いに、二人は交互に語ってくれた。
「前野先生は、寝たのかどうか分からない怖い顔って言ってましたね」
「童顔説も出てて、あと鬼の寝顔説とか、前髪上げて寝てるんじゃないかとか」
「悪夢に脅える組長を見てみたいっていうのもありました」
「──斎藤さんの場合、存在自体が悪夢だと思うけど」
彼女の呟きに、二人は笑った。
「取りあえず顔見たんだから、さっさと帰って寝なさい。明日には仕事始めるし」
「はい、分かりました」
頷いて部屋を出る。一息つく間もなく、洋子は後ろから一撃叩き込まれた。
「誰の存在自体が悪夢だ、この阿呆」
「──げ、聞いてました?」
陰険度最悪、と思いつつ彼女は振り返った。
「あの二人が入った頃からな」
と応じて、斎藤はさっさと立ち上がる。襖を開けて部屋から出ようとした。
「どこへ?」
「平隊士どもの部屋さ。下らんこと言ってる暇があったら、さっさと寝ろと」
 ──その晩、平隊士たちは文字通り悪夢にうなされたらしい。

 次の日、奈良の奉行所に行った。挨拶を済ませ、いよいよ本題である。
「──刀から、火を?」
犯人の心当たりについて訊ねたところ、そんな言葉が出たのだ。
「ああ。対象となる者を斬った後、その斬り口ないしは刀そのものから火が出て、燃やす男がいるらしい。つい最近、たまたまその現場を目撃した者がいてな」
火自体は、それほど強くないらしくすぐ消えた。火事どころか小火騒ぎにもなっていない程度だが、斬り口から発火する光景の方に注意が行ってしまい、肝心の使い手の顔や背格好は殆ど覚えていないという。
「聞くところによると、最近京都にも焼けただれた跡のある斬死体が時折発見されていると言う。そこで京都所司代に問い合わせてみたところ、同一人物もしくは同流派の者である可能性が高いそうでな。追って適当な人物をその対策に派遣すると言っていたが…」
それが我々とあっては不本意だろうな、と洋子は思った。恐らく期待していたのは所司代や守護職の人材だろうから。
「要は、今度予告してきた人斬りがそういう者である可能性が高いから、我々で警戒についてくれというわけですか」
斎藤が言った。その声に、思わず洋子以下は下を向いたまま笑ってしまう。
『出た、斎藤さん必殺の猫なで声』
普段、例えば巡察や手入れの時や稽古の時などにする悪人面と、目玉の見えない穏やかそうな顔の使い分けが出来るのは、斎藤の詐欺師的な特徴と言って良かった。これで騙された他人は両手の指に余るほどいて、揃って後で痛い目に遭っている。
「ああ、そういうわけだ。頼んだぞ」
奉行の声がほっとしている。これは荒れるな、と洋子たちは内心覚悟した。

 「──何も騙すことはないでしょうに、斎藤さん」
次の目的地に向かう途中、洋子はそう言った。普段の顔に戻った斎藤は
「騙される方が悪い。それに第一、騙した方が仕事もしやすい」
そうにべもなく言い放つ。新撰組の場合、怖い印象ばかりが先行してしまって地元の協力が得づらく、仕事がはかどらないことがしばしばだった。穏やかそうな顔をしてみせれば緊張や警戒も和らぎ、やりやすくなるだろう。
「知りませんよ、後でどうなっても」
「お前ごときの助けなんざ、必要ない」
軽い応酬をかわした後で、二人は問題の商人の家に入った。前野以下の隊士には奉行所を出た時に聞き込みを命じている。実は洋子としては聞き込みをやりたかったのだが、組長命令でついて来る羽目になったのだ。
 「御免!」
再び穏やか顔になった斎藤が、奥に声をかける。店はかなり大きく、奉公人が何人もいそうだった。庭の方には蔵もあった。
「はい?」
店の奥から、丁稚らしい少年が出てきた。新撰組の制服を見て
「──あの、えっと…」
驚きと恐怖の混ざった声を出す。洋子が笑顔で
「奉行所から回されてきたんです。ご主人が天誅の予告をされたというので」
と、安心させるように言った。それでほっとしたのか
「ああ、護衛の方ですか。分かりました」
と言って、奥に戻る。穏やか顔のままの斎藤を見やって、彼女はクスッと笑った。

 「新撰組が護衛とは、これほど心強いことはない」
客間に通され、用件を告げたところまずは歓迎された。一息つく。
 店の主人は吉兵衛といった。大和屋吉兵衛、吉野杉などの材木を扱う商人だ。
『材木問屋っての自体、典型的に怪しいな』
と洋子は思った。大体講談などで出てくる悪徳商人と言えば、大抵材木問屋か呉服屋である。回船問屋という筋もあるにはあるが。
「──で、お心当たりの筋は?」
猫なで声で斎藤が訊く。傍の洋子は笑いたいのを必死でこらえて下を向いていた。相手は首を左右に振り、
「別にありません。彼らの逆恨みでしょう」
「──ほう。お心当たりがないと、それは困りましたね」
と、声を変えずに斎藤が言った。だが雰囲気が微妙に違う。
「せめて長州か水戸か土佐か、それともそこらの浪士どもか。その程度も分からぬでは、こちらとしても対策の取りようがなく……。結果としてあなたを助けられない可能性が高いんですよ、見当もつかぬでは。助かりたかったら打ち明けた方がいいと思いますが」
穏やか顔と猫なで声は変わらずだが、響きがぞっとするほど冷たい。こういうパターンもありか、と洋子は驚きと呆れと苦笑が混じった気分だった。
「──分かりました」
吉兵衛は諦めたように応じた。商売上の秘密ですので口外無用に願いますと続け、彼が語ったのはおおよそ次のような内容である。
 一時期、この店は長州と取引があった。が、去年の蛤御門の変で長州が追い出されて以降、取引を止めた。それをここ数ヶ月、復活してくれとうるさいらしい。
「それを拒んでいたら、近々天誅を下しに来る故警戒されたし、ですよ。奉行所が睨んでいますし、今の長州と取り引きするのは抜け荷(密貿易)をするようなものです。私はそうまでして儲けたいとは思っていませんよ」
「お話から察するに、予告状は長州もしくはその一派からと考えておいでのようですが」
「ええ、多分そうだろうと思います」
吉兵衛は肯定し、斎藤と洋子は間もなくその家から出た。

 

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