るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十五 奈良出張(3)

 どうも怪しい、と洋子は帰りながら思った。大体何故、材木問屋が長州に狙われるのかという根本的な疑問がある。どういう繋がりがあるのか?
 それは置くとしても、怪しい点は他にも多々あった。長州の脅しを恐れた吉兵衛が奉行所に泣きついたとしても、その時点で以前に長州側と取り引きしていたことが発覚し、処罰されてもおかしくないのだ。なのに現実には吉兵衛はこれまで通り商売を続け、奉行所が京都に援助を頼む事態になっている。
「賄賂でも送ってるのかな、お奉行に」
「いくらお前が阿呆でも、その程度までは考えつくらしいな」
いつもの声で斎藤が言った。洋子はむっとして
「前半部分は余計です。──それはとにかく」
町中で喧嘩するわけにも行かないので、最低限の抗議に留めた。
「今回の件、どうします? 自分の罪を逃れるためにお奉行に賄賂送ってる商人なんて、どうなってもいいような気がしますけど」
「確かに、あの吉兵衛はどうでもいい。奉行もな」
斎藤はそう応じて、軽く笑った。
「俺が興味あるのは、刀から火を放つ人斬りの方でな。こいつとは是非一度、手合わせしてみたいもんだ」
「──関係ない人を、巻き込まないで下さいね」
洋子は、ため息混じりにそう言った。

 その晩、旅館で聞き込みの報告を受けた。『天城先生の指示通り』制服を着ないでやったので、結構いい情報が手に入ったという。
「大和屋吉兵衛に関する評価は、面白いことに二分されてましてね。何でも彼の妻は先代大和屋の娘らしくて、息子をさしおいて跡を継いだそうです。後、去年の蛤御門の変で京都の家が焼けてしまったとき、地元で使う分まで京都の方に回してしまったとか。その付近のやっかみもあるんでしょうが、悪印象を持っている派が一方」
「ただ、値上げなどはそれほどでもないとか。あからさまに利益を貪るような型の人間ではないんでしょう。他の問屋に比べればましという評価もありました」
「──で、商売上の付き合いは? どこが多く買ってるとか」
洋子が訊いた。斎藤はこういう時は口を出さず、聞き役に回っている。
「この数年間くらいで、京都の公家向けに高い材木をかなり売ったそうです。去年くらいまで家の修理が流行りでしたよね、公家では」
ははあ、と洋子は思った。その修理代金を長州が払っていて、材料の仕入れも長州がやっていたのだろう。だから長州としては、吉兵衛の口から関係のあった公家の名前が漏れると困るので口封じに殺しに来た。とすれば概ね納得がいく。
「それはそうと、殺す側の情報は何か入ったか?」
そこで斎藤がそう訊いた。野方という隊士が応じる。
「例の人斬りの話なら、聞けました。何でも背は中肉中背だそうで。顔などはよく分からなかったそうなんですが、護衛も含めた相手方をそれぞれ一太刀で斬り捨てたところを見るとかなりの腕前らしいですよ」
「そうか、分かった」
斎藤は、口の端で笑いを閃かせた。

 結局、普段の警護は平隊士に任せて、幹部三人(洋子、斎藤、前野)は暗殺する側の捜索に専念することにした。報告だけでいい、殺しは俺がやると斎藤が言うので、どちらかというと残る二人は精神的に暇である。
「前野君、もし向こうが斬りつけてきたら?」
「その時はやりますけど。斎藤先生、怒るだろうな」
などと冗談混じりに話し合いつつ、洋子と前野は二人して夕暮れの町を探索していた。斎藤も別の方角を探している。
「斎藤さんさあ、警護はどうでも良くて人斬りの方に興味があるらしいんだよね。困ったもんでさ。もし別の人斬りだったらどうするんだろ」
「まあ、予告状つきで人斬りやるくらいですから、別人だったにしてもかなり腕に自信のある奴だと思いますがね」
斎藤先生が怒らない程度の実力は持っているはずだ、と前野は言った。
「だといいけど。──フワーァ」
洋子は欠伸を漏らした。二人に限っては、その日は平和だった。

 さてその頃、斎藤は一人で奈良の町の裏通りを縫って歩いていた。
 人斬りが大通りで行われることはまずない。大通りの人混みに紛れて目的となる人物を待つことはよくあったが、決行そのものは大抵人影の少ない通りでやる。従って、そこを歩いていれば出くわす可能性も高いというわけだった。更に今日は雲が多く、月の光もそう届きそうにない。人が通るとしたらあと数時間だろう。
「へっくし!」
何故かいきなり、くしゃみが出た。
「あの阿呆、また俺の悪口言ってやがるな」
鼻をこすりながら呟く。と、人の気配がした。
「あー、今日は、飲んだ飲んだ」
「これで玉鬘さえ出てくれば、文句なかったんですけどねえ」
「まー、あれだけ人気があれば、他の座敷に呼ばれたとしても文句は言えまい。次の楽しみに取っておくとしよ…おっと」
ヒック、と中年の男が足元をふらつかせる。狙っているとしたら今だが、と斎藤が思って柄に手をかけた瞬間、その背後からいきなり殺気がした。
「!!」
紙一重で避け、抜刀しつつ振り返る。敵は振り下ろした刀に手応えがないと悟ると同時に数歩分飛び下がり、身構えた。
「あんたがいたんじゃ、仕事がやりづらいんでな」
低い声。暗さのため、斎藤は敵の顔がよく見えない。だが自分の背後を取ったこと自体が、その実力を証明していた。

 「──例の人斬りか?」
「さあな。ただ、あんたが見ていたあの男どもを斬るつもりだった。──人斬りが新撰組に斬られたんじゃ、話にならんからな」
どうやら途中で気づいて、暗殺の標的を変更したらしい。人が悲鳴を上げて走り去る音が聞こえた。
「そうか。やるというなら相手になるぞ」
不敵に笑って、斎藤は言った。既に牙突の構えを取っている。
 双方、真っ向から突進する。二つの鈍い音がほぼ同時に聞こえてすれ違い、その直後に斎藤の服が肩から右腕にかけて少し燃えた。
「──ふん、かすったか」
敵が呟くと同時に、その足元から水がしたたるような音がする。自分の脇腹と足元を見た敵は苦笑したようだ。
「なるほど、これが壬生狼の実力か」
と言って、敵は塀の上に飛び上がった。そのまま走り去る。斎藤は追わなかった。
「──」
今し方敵が立っていた場所に出来た血溜りと、自分の手にある血刀。それを見やった後、右肩を押さえて壁に寄りかかる。程なくそこが生暖かい液体で濡れるのを感じ、数歩歩いて近くの民家に入る。そしてこう呟いた。
「──あいつめ…」

 「どうしたんですか、斎藤先生!?」
服を血で濡らし、一部焦げさせて帰ってきた斎藤を見て、玄関まで迎えに出た平隊士たちは焦った。食堂まで歩いて縁側に腰を下ろした彼は
「例の人斬りに出くわした。──で、伍長どもは?」
「ついさっき帰ってきて、風呂に…」
「天城先生は、今し方上がったばっかりですが」
「──あの阿呆が」
いささか腹に据えかねたらしい。そこにいる隊士に
「洋をちょっと呼んでこい」
「え、で、ですが──」
「いいから今すぐ呼んでこい。すぐにだ、この阿呆ども!!!」
ひえええっ、と駆け出す平隊士を後目に、斎藤はふっと息をついた。
 あの敵は、間違いなく抜刀斎並みの剣腕だ。つまり平隊士程度で太刀打ちできる相手ではない。二人で挟み撃ちして、勝てるかどうか? 三人で組んでも微妙な線だ、と思う。
 あの時、自分と敵の攻撃は全く同時だった。貫き損ねた牙突が敵の脇腹を斬る形になったのと、敵が右肩に斬りつけて燃やすのと。
 火の燃える程度は、僅かだった。ただそれに反比例して、切り傷は意外と深い。応急処置はして貰ったが、明日は医者でも呼ぶかと考えていたところに洋子が来る。
「何ですか、斎藤さん。ちょっと怪我したくらいで」
人呼ばないで──と言いかけて止めた。傷口付近の服が焦げている。
「──例の奴に出くわしましたか」
声が真剣である。斎藤は常の悪人面で
「まあな。応急処置はして貰ったが」
「応急処置、というと?」
「井戸水で傷口洗って、包帯巻いてある」
常日頃滅多に怪我しないこの男は、見栄もあってか本当に臨時の処置しかしない。
「で、相手の実力は?」
「抜刀斎並み」
洋子は驚くよりも呆れた。基本的に斎藤が死のうが生きようが彼女の知ったことではないが、新撰組において公務、つまり手入れか巡察中に組長が敵に殺されでもすれば、部下はその場で死ぬか敵を殺すかしかない。抜刀斎と同等程度の強さの奴にやられて、応急処置がそんなものとは。後で傷が痛んで戦闘に影響が出たら困る。
「そういう話は後だ。取りあえず焼酎と薬を持ってこい」
「持ってこいって、それくらい平隊士に頼んで下さいよ。何も私を呼びつけなくてもいいじゃないですか」
「阿呆。葵屋の薬を持ってこいと言ってるんだ」
御庭番衆秘伝の傷薬、という奴である。やれやれ、と洋子は息をついてその場を離れた。
 

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