るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十五 奈良出張(8)

 「──これが、三番隊組長の実力ってやつか」
敵が言った。双方離れて、間合いを取っている。
「焔霊を白刃取りするだけでなく、紅蓮腕を食らった直後にこれだけの反応が出来るとはな。くぐってきた修羅場の数の差か」
「言ってないで攻めてこい。さもなくば──」
斎藤が再び突進した。敵は受け止めるでもなく、横っ飛びで応じる。
「何を考えているのか知らんが、小賢しい真似は──」
その台詞は、ドドドッという妙な音と共に途切れた。見ていた洋子にも、一瞬何が起きたのか分からない。ただ、いきなり斎藤の姿が視界から消えた。
「数日前の嵐で緩くなった土が、谷に崩れ落ちただけのことだ」
いつの間にか近づいてきた敵が、淡々とそう言った。

 

 「ひえええっ!!!」
洋子が応答する前に、吉兵衛たちが一斉に逃げ出した。敵がそこから消え、数秒後には断末魔の叫びが複数響き渡る。
「──止められなかった、わけでもあるまい」
木霊していた叫び声が収まった後、敵の男はそう言った。
「何故、放っておいた?」
「吉兵衛は所詮、長州に肩入れした商人。助ける義理はない」
敵は笑った。振り返った彼女に再び近づいてくる。
「では、今あったことも見逃すのか?」
「それとこれとは別だ。貴様は倒す」
洋子は、刀を抜きつつ敵を見据えた。吉兵衛たちが斬られたのは仕方ないが、斎藤を助けるにはこの男を倒すしかない。すっ…と逆牙突の構えを取った。
「斎藤一とは左右逆の構え、か。確かに『逆牙突』だな」
敵が呟くように言う。そして身構えた。
 双方突進する。敵が刀を鞘で軽くこすらせ、発火させて斬りつけた。洋子は紙一重でかわすものの、発せられる熱のため近づくことが出来ない。
「くっ…」
谷に落ちた斎藤のことも気がかりだったが、探すにしてもこの男を倒した後だ。
「天城先生!! 斎藤先生は!?」
そこに岩成が到着する。彼女の脇を駆け抜けて、男に斬りかかった。
「やあああーっ!!!」
制止する暇もない。数合斬り合う音が響いた、次の瞬間。
   グサッ!! ボワッ!!
 岩成の身体が斬り裂かれ、一瞬にして燃え出していた。

 「平隊士でこの程度か。新撰組も大したことないな」
「──黙れ。組長に傷をつけられた分際で」
異臭が立ちこめる。人の肉が焼かれる匂いだ。岩成がもだえていた。
「まあいいさ。こいつはこいつ、あんたはあんただ」
そう言って、敵は改めて身構えた。再び突進する。
 こすらせなければただの刀、と相手の攻撃をかわしながら洋子は見切っていた。となれば、刀同士が衝突しなければ眼前で発火することはまずない。戻して鞘で発火させる時を狙うつもりだった。ひときわ鋭い袈裟斬りの一撃をかわし、体勢を立て直すのと同時に繰り出される胴もかわした。更に繰り出される攻撃をも完全に見切ってかわす。沈んでかわした背後の木が、あっけなく斬り倒された。
「かわしてばかりだと、攻撃もできないぜ」
ほぼ完全にかわされた後、やや離れて敵は言った。
「あんたの剣は火を発することに真価がある。だから火さえ発しなければ普通の剣客と同じこと。普通の剣客に負けるような新撰組伍長はいない」
「──ふん、そういうことか。だがそれでは俺は倒せん」
呟くように応じ、再び攻撃に転じる。洋子も再び、かわすことに専念した。

 「どうした!? かわすだけが新撰組の技か!!?」
「人斬りのくせに傷一つつけられない自分の腕を棚に上げて、偉そうに吠えないで欲しいな。悔しかったら私を殺すことだね」
剣技の型そのものは、剣心よりよほど普通である。剣を振るう速度は恐ろしいほど速いのだが、型が平凡なので洋子が見切ってかわせないほどではない。
「あんたの本当の剣技は、こんなものじゃないはず」
と、何度目かに離れたとき、洋子は言った。再び逆牙突の構えを取る。
「見せてもらおうか、それを」
敵はそれを待っていたかのように、刀を鞘に押し当てた。こすらせようとした瞬間
「はあああーっ!!!」
洋子が突進してきて、発火するのと同時に敵の右手を貫いた。
 血が噴き出る。敵は彼女を睨んだが、すぐに苦笑ともつかぬ顔になった。
「──なるほど、これが壬生狼のやり口か」
「目には目を。あんたが組長にやったことのお返しだ」
刀を引き抜き、油断なく身構えつつ洋子は言った。刀を持つ手をやられ、相手は事実上戦闘不能に追い込まれているのだが。
「で、どうする? ひと思いに殺してやろうか」
「生憎、任務は達成したし、ここで死ぬ気はないんでな。──天城洋とか言ったな」
「ああ。あんたの名は?」
「志々雄真実。覚えていて損はない名だ」
そう言って、敵は走り去った。

 その後ろ姿を見送った後、洋子はほうっと息をついた。そして斎藤の落ちた谷の方を見に行く。覗き込んだ途端、ぞっとした。
「これは…ちょっとまずいかも…」
谷そのものは、そう極端には深くない。だが谷川の水が数日前の嵐の影響で増水し、気絶した人間など一瞬で押し流しそうなほど凄まじい勢いで流れている。
「斎藤さーん…」
辺りを見回しつつ呼びかけ、返事を待つ。水の音しかしない。
「──マジでヤバいよ、これ…」
人間相手ならまず大丈夫だろうが、自然相手となるとそうも行かない。
 囂々と流れる水を半ば呆然と見やって、洋子は座り込んだ。
「──何で、こうなったんだろ」
敵が襲ってきて、斎藤と戦っている間に緩んでいた地盤がどうかして、崩れ落ちた。それを知っていた敵は、その危険な個所に斎藤を誘い込んで落としたのだ。
「──」
『まさか、あの人に限って』
洋子はそう思った。しかし目の前の濁流は、まさかが起きうることを示している。
「斎藤さーん!!」
叫ぶように呼んだ声が、虚しく木霊した。

 斬り死にではないからその場で死ぬ必要はないにせよ、この件の法的処分がつき次第厳しい沙汰が下されることは間違いなかった。
「──どう報告しよう、この一件──」
生存者が洋子だけである以上、報告は基本的に彼女がすることになる。だから自分に有利なように報告しようと思えば出来るのだ。だが今の彼女には、そうするだけの気力もなかった。とにかく斎藤が、本当に死んだかもしれないのである。
 何のかんの言って、洋子にとって彼はいるのが当たり前の存在だった。好きとか嫌いとかいう感情は抜きにして、ともかくほとんど毎日顔を合わせなければならない。特に三番隊の伍長になってからというもの、いない方がおかしい存在だったのだ。それが、いきなり消えた。何の予兆も、言葉もなく。
 山を下りながら、ため息が出た。本来私は、あの人のことは嫌いだったはずだ。少なくとも、好きではなかった。だから本当は、死んだことを喜んだっていいはずなのだ。なのに何なんだ、この喪失感は。穴が開いたような心の状態は。
 ふと、ここに来る途中で呟いた歌を思い出した。吉野山で別れた義経と静御前は、その後二度と生きて再会することはなかった。──義経が斎藤かと言えば明らかに違うが、あの歌を呟いたこと自体、この事態の予兆と取れなくもない。
「──大体、何で結びつけるのよ」
 ──自分で自分が、よく分からない。
 ため息をつきながら、洋子は山道を下りていった。

 ふもとまで下り、小さな寺にたどり着く。庭にほうきで掃いている僧侶がいた。
 声をかけようとして、躊躇う。向こうが気づいて、近づいてきた。
「どうしました? 何かあったようですが」
洋子はその僧侶に、事情を説明した。
 吉兵衛という奈良からの材木商が斬り殺され、その時彼を案内していた木こり一人、それに下男二人も斬られた。あと、戦闘中に焼け死んだ剣士が一人いて、合わせて五人が山の中腹で死体となっている。後で案内するので、死体運びやら代官への連絡やらをやって欲しいと。その僧侶は快諾してくれた。
「それと、一人捜索して欲しいんです。私と同じ服を着た、背の高い──」
「その人なら、こちらにいらっしゃいますよ」
「はあ!!?」
びっくりして大声を出す。そこにもう一人の僧侶が姿を見せた。
「来たよな、この子と同じ服来た青年」
「ああ、前髪がその──やたらと長い、右肩から手にかけて出血してる──」
「ホントですか!?」
洋子は息せき切ってそう訊いた。姿を見せたばかりの僧侶が
「はい。確かについ先ほど、同じ服を着た方が…」
「足ついてました? 幽霊じゃないでしょうね?」
と、そこに本堂の方から、聞き慣れた声が響く。
「勝手に殺すな、この阿呆。死神の方が逃げるとか何とか抜かしやがった癖に」
「──さ、斎藤さん!!?」
驚くやらほっとするやら、とにかく洋子は草履を脱ぎ捨てて駆け上がった。声のした本堂へ走り込み、声の主の姿を確認した途端、気が抜けたように座り込んでしまう。
「阿呆、幽霊を見たんじゃあるまいし座るな」
「──だって、あんな濁流に呑まれて生きてるはずないじゃないですか」
「それ以前に、俺が一気に谷底まで落ちて気絶するような人間か考えてみろ。お前のような阿呆ならともかく」
「あ、人が折角心配したのに、何ですかその言い草は!!」
ほっとした途端、斎藤の態度に腹が立ったらしい。続けて言おうとした瞬間
   バキッ!!!
「やかましい。第一ここは本堂だ」
静かにしてろと言われ、洋子は不承不承黙り込んだ。

 程なく、斎藤の右肩が血に染まっていることに気づく。さっきの戦いで、そこを斬られたような記憶はない。
「あの、斎藤さん。右肩──」
「落ちる途中、右手で岩をつかんだ。それで傷が開いたんだろう」
そこに、さっきの僧侶がお茶を持ってきてくれた。

 

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