るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の十七 お夢登場(2)

 翌日の午後。屯所で平隊士相手に稽古をつけていた洋子に来客があった。
「あれ、お増さん。どうかしました?」
しばらく会っていなかった顔に、何かあったのかと思って訊く。
「いえね。お夢さんって言ったっけ、昨日貴方が家に連れてきた子供。あの子用の日常品一式、使い古しだけど家に送っておいたから」
「はあ!?」
びっくりして問い返した。昨日の今日でそこまでするとは、余りの行動の速さに礼を言うどころではない。どこから聞きつけたのかさえ不明だ。
「そういうわけだから、今日は真っ直ぐ帰って大丈夫よ。何かあったらまた言って」
そう言って、お増はさっさと帰っていった。
「──そう言えば、最近しばらく葵屋に行ってなかったっけ」
市中巡察に禁門の変関連の職務、平隊士相手の稽古やら何やらで、最近は飲みに行ったこともない。葵屋には六番隊への配属直後にお礼を言いに行ったきりだ。
「巡察は明後日か。お礼は明日にしよう」
と、洋子は数日中の予定を思い出しながら呟いた。

 稽古と言っても、通常の道場のそれではない。特に得意技を持たない隊士へ、土方が考案した平刺突を教えるのだ。斎藤、沖田といった刺突の得意な幹部が中心になって指導するのだが、何故か洋子はこれの覚えが早く、しかも斎藤ばりの片手刺突を得意とするため早くも準師範的な立場にいた。
《──あーやだやだ。何で私の太刀筋って斎藤さんに似てるんだろう》
利き腕が違うので左右が反対なのは当然だが、その他の部分が似ているらしいのだ。鏡で見たらよく分かると思う、と沖田は言う。
「けどまあ、斎藤さんと君とだと体格も違うし。骨だろうと鎖帷子だろうと力で貫くなんてのは無理だから、相手の急所を突く方を考えた方が良いと思う」
沖田はそう助言もしてくれた。急所を突くとなれば、突く場所に関して微調整が効いた方がいい。そう思っての片手刺突なのだが、それが斎藤の牙突と似ているらしいのだ。洋子としては不愉快極まりない。
「阿呆、何を突っ立ってる」
そこに似ている相手の声がした。自分たちは中央で見ているだけだから楽だろうけど、実際歩き回って隊士の指導するのは私なんだからと思いつつ、再び刺突の形から他の隊士を指導する。道場の師範代だって阿呆呼ばわりされない、と呟きながら。

 「お夢、ただ今!」
夕方。長屋に帰ってきた洋子は、玄関を開けるなりそう言った。
「いい匂いするねえ。今日のみそ汁は」
お夢は、囲炉裏の上にある鍋の中をかき混ぜている。隅には昨日までなかった布団一式が置いてあった。他にも茶碗などが増えている。
「洋子さん、今までどういう生活してたんですか?」
いきなりそう訊かれ、洋子は戸惑った。何を訊きたいのかよく分からない。
「どういうって、普通に朝起きて、洗濯して…」
「食事の方です。さっき見たら、鍋も釜も埃被ってましたよ」
「え、そう?」
問い返しては見たが、よく考えたらこの数ヶ月は出勤途中に朝飯を食べ、夕飯は前に行った天ぷら屋などで帰り着く前に食べている。まともに料理したのがいつか、思い出せないのだ。確か去年の冬に斎藤さんが使って……。
《──よく考えたら、鍋はそれ以来使ってないわね》
そりゃ埃被るのも無理ないか、と思いつつ部屋に上がる。制服の羽織を脱いで適当にたたみ、お夢から見て囲炉裏の反対側に座る。
「で、ご飯は? 炊けたなら飯びつに移すわよ」
「あ、はい。お願いします」
お夢はそう言った。そして初めのうちは見ているのだが、数ヶ月使ってなかったと思われる割に意外と慣れた手つきである。安心してみそ汁を注ぐことにした。
「それで、今日荷物届けに来たのは?」
「葵屋って言う旅館の方です。お古でいいから譲って欲しいって言ったんでしょう?」
「うん…まあね。それで、具体的にはどれどれ?」
布団一式に古着数着、店で使い古したとは言っていたが箱膳一つ分のお皿と箸。木さじに刺身包丁も持ってきたらしい。随分揃えてくれたようだ。
「そう。明日お礼に行かないとね」
洋子は言った。そして飯びつを二人の間に置き、食べ始める。

 こうして二人での生活が始まったものの、洋子はお夢を自分の家に置いていることは誰にも言わなかった。下手に漏らすと斎藤や沖田が何を言い出すか分かったものではない。特に斎藤にお夢を会わせることは教育上絶対に良くないと洋子は信じており、それをさせないためには言わないのが一番だった。第一御庭番衆には既に漏れていて、もしお夢自身に問題があればその筋から連絡があるはずだ。
「今日は宿直の日だから、帰ってこないわ」
ある日の朝、洋子はそう言った。お夢は心配そうに応じる。
「大丈夫ですか? 一昨日みたいに傷作ったりしないで下さいよ」
「あれは市中巡察だったのよ。今日は屯所にいるだけだから、大丈夫」
まして沖田さんたちと一緒だし、と声には出さなかったが続ける。宿直と巡察は当番制で回すことになっており、仮に予備兵力であってもこれだけは定期的に回ってくる。宿直は複数の助勤が同時に当たるのが通例で、今日はたまたま沖田と井上なのだ。
「そういうわけだから、夕食はいらないわ」
腰に大小を帯びて制服を羽織り、洋子は長屋を出た。

 夜。洋子は大広間に遊びに来た沖田と雑談していた。
「まかりなりにも準師範なんだから、阿呆呼ばわりはないでしょうに。指導しづらいし、第一私の威厳に関わります」
威厳ねえ、と聞き役の沖田は内心思う。十五にもならない洋子にそんなものがあっても、とは感じているのだ。斎藤がいたら竹刀が舞うところだろう。
「大体あの人、自分は突っ立ってるだけじゃないですか。そりゃ動き回れとは言いませんけど、もう少し手本を示してくれてもいいとは思いますよ。第一何が楽しいんだか」
沖田は結構ちょこちょこ動いて指導してくれるから助かるのだが、斎藤は文字通り直立不動である。洋子相手のように竹刀でボカスカは御免蒙るが、道場での師弟関係でもあるまいし、もう少し動いてくれてもいいだろう。
「まあね。それはそうと、家の方大丈夫?」
沖田は唐突に話題を変えた。洋子は平然と
「大丈夫ですよ。鍵かけてきましたから」
「そうじゃなくて、同居してる女の子の方だよ」
どこから聞きつけたのか、相手の台詞に洋子は驚いて声が出なかった。そしてその沈黙自体が、事を白状したようなものである。沖田は笑って
「やっぱり。土方さんの睨んだ通りだ」
「土方さんって…何で分かったんです? 誰にも言ってないのに」
動揺がまだ収まっていない。沖田は笑顔のまま
「制服は小綺麗になってるし、家に帰るのも前に比べて早いし。別に悪いことやってるわけでもないからいいけど、黙ってるのは良くないなあ」
「──すみません」
やれやれ、とため息が出た。まったく何が原因でばれるか分かったものではない。その様子を見て沖田はまた笑ってしまった。
 そしてこの翌日には、洋子の同居人のことは隊内に知れてしまっていた。

 かくして数日後。洋子は幹部五人を連れて家に向かう羽目になった。
 彼女の同居人に一度会いたいという人間が余りにも続出し、原田にいたっては脅す始末だった。仕方ないので取りあえずまとめて面会させようとこの会を設定したのである。
 同行するのは沖田、原田、井上、永倉、斎藤。前三人はともかく永倉は半分以上冷やかしであり、斎藤に至っては『師匠としての権利と義務』で行くという、かなり不純な動機混じりの会だった。洋子としては沖田と井上以外には会わせたくなかったのだが。
「お夢、準備できてる?」
「あ、はい。上がっても大丈夫ですよ」
外から中に声をかけたところ、お夢はそう応じた。一息ついて扉を開く。
「今朝言ったとおり、五人連れてきたから。えっと、最初が…」
「僕が沖田総司。で、この一番年輩の人が井上源三郎さん。槍担いでるのが原田左之助さんで、ごく普通に髷を結ってるのが永倉新八さん。それで前髪垂らしてるのが斎藤一さんって感じかな。今日は押しかけみたいになったけど、取りあえずよろしく」
「私はお夢と申します。よろしくお願いします」
洋子が紹介するのを半ば止めるような感じで、沖田がさっと紹介を済ませた。何しろ彼女にさせると好悪の感情がモロに出かねない。
「──フン、俺が前に来たときよりも綺麗じゃないか」
部屋の中をざっと見回していた斎藤が、呟くように言った。例の不機嫌面である。
「え、そうなんですか?」
聞きつけた沖田が言う。客が来るせいもあるだろうが、洋子が風邪を引いたときに比べると遙かに綺麗だ。
「ああ。去年来たときはかなり乱雑だった。例えば玄関は砂が溜まってたし」
「あの時は病気だったんです」
洋子が嫌そうな顔で応じる。大体、あの時はあの世に行きかけたのだ。
「おい、斎藤。酒が結構あるぜ」
さっさと上がった原田が、そう声をかけた。洋子が驚いて
「酒って…。お夢、買わなくていいって言ったのに」
「だって、みんな飲むかなと思いまして。お金も残ってますし」
そういう問題じゃないって、と洋子は思った。とはいえ取り上げるわけにも行かない。
「皿割ったりしたら、自腹で弁償してもらいますからね」
来る前に念を押したことを再確認しておいて、彼女は最後に玄関から上がった。