るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の十七 お夢登場(3)

 「翁、どうも新撰組の幹部たちが静姫の同居人に会いに来たようですよ」
「意外と早い訪問じゃな。姫が喋ってもなかろうに」
本格的に飲み会が始まった頃、葵屋ではそんな会話がなされていた。
「あの、翁」
お増と翁が話し合っているところに、お近がやって来て紙切れを渡す。目を通した彼の表情が、がらっと変わった。
「──やれやれ。奴らめ、とうとう痺れを切らしおったか」
すっと立ち上がり、押し入れを開けて木の箱を取り出す。それを見た二人は、顔色を変えて床においてあるその紙切れを覗いた。
「我々も行きましょうか?」
「いや、儂一人で充分じゃ。彼らが姫を見捨てるはずがなかろう」
蓋を開けて忍び装束を出しながら、翁は言った。

 「お、結構行けるじゃねえか」
「ホントですか? 良かった」
煮物を口の中に放り込んだ原田が言った。お夢はほっとした笑顔を見せる。
「料理が美味しいからって、酒飲みすぎて部屋の中で寝ないで下さいよ。もし寝たら遠慮なく外に放り出しますからね。野宿でも何でもして下さい」
「しつこいぜ、洋子。分かってるって」
念を押した隣の洋子に、原田は酒を飲みながら応じる。お夢が沖田に囁いた。
「あの、皆さん洋子さんのこと…?」
「ここにいるのは、みんな江戸にいた時期からの居候仲間だからね。当然知ってる」
「あ、そうなんですか。だったら大丈夫ですね」
沖田を挟んで反対側にいる洋子をちらっと見て、お夢は応じた。
「座って食べなよ。そんなに動き回ってないでさ」
「はい、でも皆さん料理とか大丈夫ですか?」
「大丈夫、心配しないでいいから」
重ねて勧められたのでその場で座り、食べ始める。

 それから少し経った頃。女の悲鳴がやや遠くでしたかと思うと、途中で途切れた。
「──何か起きましたね」
「ああ、恐らく殺人か強盗か──」
沖田と永倉が顔を見合わせた。すでに全員が刀に手をかけている。
「ちょっと行って来る」
「あ、私も行きます」
沖田につられて出ようとした洋子の頭頂に、刀の鞘が叩きつけられた。
「阿呆。お前はここで待ってろ」
反駁しかけた彼女の方には目もくれず、玄関に立つ。
「お夢がいるだろうが。ついてろ」
短く言い放ち、沖田の後に続いて斎藤は外に出た。
「ま、ちょっと一運動してくるか。ちゃんと残りはとっとけよ」
「やれやれ、忙しいことじゃのう」
「酒飲み損ねた。冷めないうちに戻る」
原田、井上、永倉もそれぞれ家を出る。見送りに出た洋子は何故か僅かに胸騒ぎを覚えたが、気にせず室内に戻った。
 「──すみません、洋子さん」
と、お夢が頭を下げている。洋子は苦笑した。
「すみませんも何も、斎藤さんはああいう人なんだから。本音はどうせ私がいたら足手まといって言いたいんでしょうよ」
「──そうなんですか?」
疑わしげに訊く。洋子ははっきりと肯定した。
「そうよ。まあ傷も完治してないしね」
あちらは任せておいて大丈夫だろう。そう思って、さっさと料理の残りを食べ始めた。

 騒ぎが起きたのは雑貨屋だった。そう大きくはないが、小金は持っていそうだ。
「新撰組である。御用によって改める」
声の大きな原田がそう呼ばわった。鍵のかかったままの表口を蹴破り、中に入る。奥から血の匂いとがさごそいじる音を感じた。
「突入します」
一応格上の沖田がそう指示し、五人は一気に奥へと踏み込む。畳が血で赤く染まり、夫婦がその中で血みどろになって倒れていた。そして部屋の奥では、三人の男が箱を持って立ち去ろうとしている。
「おい、貴様ら」
原田がそう呼んだ。振り返った男たちの雰囲気が妙だ。
「──おい、何で五人も来てるんだ?」
「元服してないガキが一人で来るはずだろ?」
「でもってそいつを……ギャアッ!!」
影のように忍び寄った斎藤が、中の一人を串刺しにしていた。
「──ガキなら、家で留守番してるはずだ」
刀を抜きつつ言う。何だと、と敵は色をなした。
「目論見が外れて残念でしたね。悪事なんてのはそんなものですよ」
沖田が続けた。残る二人は互いに目配せし、一気に突破しようとする。手にした武器が普通の刀ではない。だがいずれにしても、彼らの敵ではなかった。すれ違いざまに一刀の下に斬り捨てられて床に倒れる。
 そこに、行灯に火がともった。倒れた男の様子を見て
「鎖鎌に鉄の爪か。隠密の好きそうな武器だな」
永倉が何気なく言った言葉に、二人はピクッと動いた。なるほど、と斎藤が頷く。
「もう一方の隠密か。となるとあいつが狙いか」
「取りあえず、永倉さんと井上さんは所司代に連絡して下さい。僕たち三人は一度洋子さんのところに戻ります。手下はともかく、上の方は僕たちが出たことを知ってるでしょうから。本気で襲うなら今でしょう」
沖田が要請する。皆頷いてそれぞれの行動に移った。

 食事をしている洋子は、妙な気配を感じた。
「お夢、離れてて」
と言うと、いきなり刀を抜いて天井に突き立てる。
「降りてきたらどう、こそこそ隠れてないで」
顔の表情が別人のように険しくなる。声色も変わっていた。
「──貴様の本当の身分と名前を、名乗るのならな」
天井裏から声が降ってきた。洋子はあくまでも表向きは平静に
「どういう意味? 私は普通の町人の子。それ以上でもそれ以下でもない」
「とぼけるなよ、小娘。貴様が売られる前の身分、御庭番衆は知っていることだ」
「分からないから本人に聞きに来たってわけね」
彼女は鼻で笑った。その程度の実力しかない隠密に、答えてやる義理はない。
「知りたかったら、私を倒してからにしなさい」
と、いきなり天井が裂けた。黒衣の男が飛び降りながら鋭い鉄の爪で顔を抉りに来るのを、紙一重でかわして刺突を入れる。敵は身軽な動きで飛び離れた。
「お夢、離れてて。出来れば玄関に、だけど出る必要はないわ」
囲炉裏を挟んで身構えながら、洋子は指示した。今は一人だけのようだが、或いは二人目三人目が来るかも知れない。外に一人で出せば人質に取られるのは確実だ。
「ほら、突っ立ってないで!」
言われて駆け出したお夢を追って、男が攻めてくる。それを洋子は待ち受け、敵の爪を顔面すれすれでかわすとその手首を甲側から刀で突き刺した。
「ギャアアアッ!!!」
苦痛の叫びをあげて、相手はのけぞる。彼女が刀を抜くと、血が凄まじい勢いで噴き出した。爪が血に濡れ、床にしたたり落ちる。
「く……き、貴様…!」
傷口を押さえた男の睨み付ける視線を、洋子が平然と受け流して言うには
「仮にも新撰組の伍長なんだから、嘗めないで欲しいわ」
後半で急に表情を改める。そのまま左右に視線を走らせ、ゆっくりと後退した。
「臆したのは貴様ではないか。どうした、攻めて…ギャアアッ!!!」
男は背後から胸を貫かれ、断末魔の悲鳴を上げて倒れる。
「なるほど、真打ち登場ってわけ」
庭の方から、中年の男が一人現れた。改めて身構える洋子の声が乾いている。
「そういうことだ。──出ろ」
   バキッ!!!!
左右の壁を同時に突き破って、二人の新手が同時に姿を見せた。
 余裕ありげに、奥の男は話しかける。
「新撰組の伍長なら、子供を庇いながら三人を相手に戦うことの難しさは分かるはず。何も貴様らを殺すとは言っていない。何故御庭番衆が貴様ごとき小娘に気を使うのか。貴様の身分さえ分かればそれも分かるはずだ。さあ、教えろ」
奥にいる男がそう言う。突き破られた壁の奥から、風に乗って血の匂いが新たにした。
「生憎、そんなご大層な身分じゃないのよね。私の知る限りでは」
「──そうか、喋る気はないか」
脇の二人が身構える。奥の男はわざとらしく息をつき
「ならば無理にでも吐かせるのみだ」
言い終わると同時に、二人は飛びかかってきた。

 鉄の爪の連続攻撃をかわし、引いた瞬間に一撃を加える。元来斎藤に叩きのめされるのをいかに避けるかを防御課題の中心としてきた彼女には、刀同士の衝突で手が痺れる事態がない分今の方が楽だった。剣の間合いと爪の間合いとでは剣の方の間合いが長く、かわして後退した後のその瞬間を狙えば小さくとも傷を負わせることが出来る。そして相手が傷を負った瞬間に前進して元の位置を確保するのだ。それを繰り返せば二対一でも勝てない相手ではない。
「うぬぬ、何をしておる! 退け、儂が相手する!」
数分ほどそうした膠着状態が続いた後、奥の男は言った。
「かくなる上はやむを得ぬ。本当はこうまでしたくなかったが…」
男二人はさっと退く。洋子は唾を飲み込み、改めて身構えた。事実上の師匠である男と、左右は逆だが全く同じ構えである。
「──平刺突、か」
「よくご存じで。──かかって来たら?」
洋子としては、ここがお夢を守りながら戦えるぎりぎりの間合いだった。これ以上前進すれば、残った男二人がお夢を襲ったときに間に合わない。
「このままだと、いつまで経っても私を捕まえられない。てことは当然あんたたちが知りたがってる、或いは押しつけたがってることは実現できない。そして私がみすみすあんたたちの方に攻め入る理由は何もない」
「分かっておる。──行くぞ」
中年男は短く応じた。そして一瞬で間合いを詰め、拳を繰り出す。
《速い!!!》
反転攻勢に転じる余裕もないほど、繰り出される拳は速く、しかも死角をついてくる。洋子はかわすのがやっと、それも時折拳を食らうほどに追いつめられ、じりじりと後退しつつあった。と、そこに
「キャアア…!!」
お夢の叫び声が、何故か途中で途切れた。血の匂いに洋子はまさかと思ったが、眼前の敵の様子がおかしい。
「──阿呆が。ついてろと言ったろうが」
その声に、事の真相を悟った。