るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の三十六 寒い夜(2)

 本堂に入った斎藤は、部屋の隅にいた毛内をすぐに見つけて歩み寄った。
「毛内君、篠原先生から聞いたが──」
「ああ、すみません。お使いにいらしたばかりなのに」
毛内は訛りのある声で言い、軽く一礼した。北国の出身だけあって色白で、歴とした武士の出であるためか鼻筋も通っており、顔は悪くない。
「新撰組の太刀筋を研究するそうだが、今になって何の目的で?」
「近い内に、彼らと戦うことになりそうですからね」
毛内はあっさり応じた。斎藤は一瞬、応答に困ったが
「そうか。確かにこの情勢ではな」
「いえ、そういうことじゃないんです」
毛内の台詞に、斎藤は怪訝そうに目を瞬かせた。その様子を見た毛内は、意外げに
「聞いてなかったんですか、例の計画のこと」
「計画?」
問い返した。毛内は壁を向き、声を落として
「二条城に登城する近藤勇を斬るんです。日時などは未定ですが、出来れば今月中に」
「な…!!?」
斎藤は驚いて、細い目を目一杯見開いた。毛内は頷くと、更に小声で
「無論、彼は数十人もの隊士を引き連れていますから、そう簡単には行きますまい。御陵衛士総出で襲うことになるでしょう。然るに私は斎藤君や藤堂君、更には服部君ほどには剣術が巧みではない。これでは足手まといになりかねず、せめてそうならないように新撰組の剣術を研究して対策を講じたいのです」
「──なるほど、君の言いたいことはよく分かった」
恐らく毛内なりに考えたのだろう。その発想自体を、斎藤は否定しなかった。
「だが、新撰組の剣術の真髄は己の得意とする技を徹底的に磨き上げ、一撃必殺の域にまで高めることにある。例えば永倉などは抜刀術が得意だし、それで何人もの敵を斬っている。私の刺突を研究しても、別の相手に使えるとは限らない」
「厳しいんですね、斎藤君は」
毛内は苦笑を浮かべた。そして
「しかし、新撰組の多くの者は貴方や天城君などから刺突を学んでいる。彼らに対してはかなり有効でしょう」
「そうは言っても両手刺突と片手刺突では勝手が違うし、私は左利きだから右利きのあの阿呆とも左右逆になる。参考程度にしかなるまい」
「参考程度でいいです。何もしないよりはずっとましでしょう」
生真面目にそう言いきられ、斎藤は取りあえず何度か稽古をつけてみることにした。

 「うわっ!」
毛内は斎藤の横なぎをまともに食らい、一間ほど跳ね飛ばされて床に落ちた。一方の斎藤は、悠然とその場に立っている。数秒ほど倒れたままだった毛内は、再び立ち上がると
「まだまだ! あと一本、行きます!!」
言った次の瞬間、中段に構えて突っ込んでくる。斎藤は相手の斬撃を受け止め、押し合った後で押し返して間合いを取ると、次の瞬間には構えを牙突に変えて自分から突進した。その速度に毛内は対応できず、胴丸の上からまともに刺突を食らって吹き飛び、今度は壁に叩きつけられる。
「三本連取か。流石だな、斎藤君」
「いえ、牙突で敵を倒す際の基本的な型を実践してみただけです」
傍らで見ていた服部の声に、彼はそう応じた。一本目は身構えると同時に牙突で突進してかわす間もなく相手に一撃を加え、二本目は突進をかわされた後の横への変化で取ったのだ。そして三本目は相手の攻撃を受けた後の切り替えである。
「斎藤君」
そこに、毛内の声が聞こえた。少し驚いたことに、彼はもう立ち上がっている。
「大丈夫か?」
「はい、胴丸を着ていたお陰で何とか」
頷いた後、歩いてくる。そして礼を述べると
「やっぱり強いですね、斎藤君は。羨ましい限りです」
「いや、自分の腕など大したことはない。実際の戦闘になれば、私より服部君の方が強いかもしれない」
これは斎藤にとって、ある程度まで本気だった。だが、相手はそれを謙遜ととったようで
「いえ、さすが剣術師範だっただけのことはあります」
軽く返した。そして明日の稽古も頼まれ、斎藤は応じざるを得なくなる。その後自室に帰ると、彼は服を脱いで昼間に出来た傷を確かめた。毛内などとの稽古に支障が出るほどではないが、洋子との稽古では最近、時折撃ち込まれることがあるのだ。
「ま、本気になればまだ俺の方が強いが」
肩に出来た痣を見やって、斎藤は凄みのある笑みでそう呟いた。

 翌朝、伊東が月真院に帰って来た。部屋に現れた彼を、篠原が迎えて
「どうだった、結果は」
「薩摩藩としては、新撰組との決着が先ということらしい」
ため息をついて腰をおろした、伊東の表情は暗かった。篠原も座ると
「そうか。それで、その後の合流については?」
「この通り、覚書が取れた。だが、その前に新撰組との決着をつけろと」
懐から紙を出した。中にある文書に、大久保の署名があるのを篠原は確認する。
「まあ、そっちは今年中に、折を見計らってやればいい。焦れば失敗するだけだ」
「そうだな」
頷いて、息をついた彼の耳に、奥の方から稽古の音が聞こえる。
「皆、熱心だな」
「今日は服部君と新井君が御陵を守る当番だから、それ以外だろう」
そこに、壁に叩きつけられるような凄まじい音が聞こえた。

 床に伸びた毛内を見やって、藤堂は斎藤に苦笑交じりに声をかけた。まだ朝が早いこともあって、吐く息が白い。
「おいおい、洋子──違った、洋相手にやり合ってるんじゃないんだぞ」
「実力の半分も出してないんだがな」
無愛想に、小声で応じる。最近の洋子相手は、こんなものでは済まない。
「斎藤君。申し訳ないが、あと一本頼みます」
そこに毛内が、足元をふらつかせながら立ち上がってそう言った。驚いたのは斎藤より周りの連中だ。
「おいおい、大丈夫か? 毛内君」
「さっきからずっと、床や壁に叩きつけられっぱなしじゃないか。君の怪我が心配だ」
「何の。胴丸をつけてますから、大した怪我はないです」
鈴木三樹三郎や内海二郎の心配する言葉にも、毛内は微笑してそう応じた。そこに新たな人の気配がして、伊東が現れる。
「伊東先生」
斎藤が真っ先に歩み寄った。滅多にないことに、相手は少々驚いた様子で
「ん? 斎藤君、何かね?」
「昨日、毛内君から聞いたのですが、新撰組の近藤勇を我々で斬るという話があるとのこと。本気ですか?」
「ああ。薩摩藩がそう要求しているんだ」
斎藤は沈黙した。その意味を知らずに、伊東は
「というか、新撰組との関係に決着をつけろと言われている。いつまでも彼らの分派のままでは、薩摩藩としても合流を認められないと」
伊東の口調に、何故か微妙な迷いがあるように斎藤は感じた。
「以前皆に言ったのだが、その時君はいなかった。後で説明するつもりが忘れていたようだ。済まない」
「いえ、気にしなくて結構です。状況は分かりました」
斎藤はそう言って一礼し、再び毛内に視線を向ける。彼が頷いたので、稽古に戻った。


 「ごめん下さい。お夢さんか洋さん、います?」
襟巻きを巻いたお妙が、洋子たちの長屋を訪ねてきたのはその日の夕方だった。
「あ、はーい!」
竹筒でかまどの火をふうふう吹いていたお夢は、急な来客にビクッとしながらも立ち上がって戸を開けた。数ヶ月前に一度会ったきりのお妙がいる。
「お久しぶりです、お妙さん。こんなに寒いのに、どうかしたんですか?」
「あのね、これ、洋さんに届けてくれって、一さんが」
「斎藤さんが?」
お妙が差し出した紙を受け取りつつ、お夢は目を瞬かせた。
 斎藤が御陵衛士になった後も、洋子と何やら連絡を取り合っているらしいことは、お夢もお妙も知っている。ただ、洋子が斎藤と会った後は大抵怒鳴り散らしながら刀を振り回すので、お夢には二人がいつ会ったか大体分かるのだが、お妙の方はその付近がさっぱり分からない。最近の斎藤は、特に仕事の話をしないのだ。
「じゃあ、私はこの辺で」
それからすぐに帰ろうとしたお妙に、お夢は
「ごゆっくりしていらしても構いませんよ。今日は寒いから、少し暖まって行かれればいいのに」
「私も食事の準備があるから、すぐに帰らないと。折角のお誘いだけど、また今度」
「そうですか。じゃあ」
そう言って、帰っていくお妙を見送った。そして戸を閉め、息をついた次の瞬間
「いっけない! ご飯炊きかけのままだった!」
お夢は慌ててかまどの前に駆け戻り、再び竹筒でふうふう空気を送り込み始めた。

 「来ましたよ、斎藤さん」
ある小さな寺の境内で、洋子は大木の向こうから感じる気配に、そう声をかけた。
「何の用ですか、朝っぱらから呼び出して」
声と共に漏れる息が白い。辺りはやっと朝日が昇ったかという時間帯だった。
「緊急に連絡する用件が出来た。詳しくはこれに書いてある」
紙を持った手だけを差し出している。受け取った洋子は、確認の意味もかねて大木の向こうに回りこみ、相手の顔を見た。
「それで、何が書いてあるんです? これには」
「この場で言えるような話じゃない」
斎藤の応答に、洋子はむっとしてこう言った。
「何かあってからだと、遅いんですからね。知りませんよ、これから屯所に行って土方さんに会う前に何かあっても」
「今朝はない。あったら昨日の夜中にでも呼び出してるさ」
洋子は反射的に何か言いかけて、相手の言葉を理解するとそれを飲み込んだ。どうやら、これから何らかの事件が起きる可能性が高く、この手紙はそれに絡んで相当重要なものらしい。手紙を外から数秒ほどじっと見た後、彼女は
「この前から調べてたのの、結果ですか?」
「そんなところだ」
斎藤は低い声で肯定する。洋子は手紙を懐にしまうと、彼の脇を通り抜けて戻りながら
「分かりました。これから土方さんに渡します」
「ああ」
後は会釈も何もなく、彼女はその場を離れた。

 

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