るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十八 粛正(4)

 「どうやら、武田が薩摩藩と接触してるのは間違いないらしい」
 山崎は、同僚の吉村貫太郎にうち明けた。土方にはまだ言っていない。
「例の使いの裏が取れたか」
「ああ。確かに矢野の家には新撰組隊士が来ている。これは本人に確認した。それからその隊士が武田だってのも周りの住民の情報からして確実だ。問題は──」
「接触の意図が新撰組からの離脱もしくは新撰組内部の情報提供であるという証明、か」
山崎は頷いた。料亭の奥の個室で、酒を飲みながら話を継ぐ。
「で、武田が今日ここに来る可能性がある、と」
「──そういうことだ」
二人とも、武士の格好はしていない。町人が内密の商談のために利用しているという体裁を取り、芸妓も今のところは呼んでいない。
「しかし、君がここの常連になってくれて助かった。おかげでうまく行く」
「口で言うのは簡単だが、実際は大変なんだぞ。女の機嫌も取らないといかんし」
金は経費で落とすからいいとして、と吉村は苦笑混じりに応じた。
「おかげでこの二十日くらい、俺はここに通い詰めなんだぞ。いくら美女を抱けると言っても、さすがに疲れる」
「そうは言っても、毎日ではないだろう。俺みたいにいらんしゃもじを買ったり薬を売って回ったりより、遙かにいいではないか」
贅沢な悩みだ、と山崎に言われ、吉村はまた苦笑した。そこに、部屋の傍の通路を、誰かが通り過ぎていく音がする。女の声に混ざって、薩摩訛り。
「──どうやら、当事者の一方は来たらしい」
一転して声を落とし、山崎が言った。
「ああ。問題はもう一方だな」
その薩摩訛りの男が扉を開けると、中から迎える声がした。会話の中身は女の声と混ざってよく聞き取れないが、声の質は目的の人間とほぼ同じであるようだ。
 咄嗟に立ち上がろうとした山崎を、吉村は押さえた。
「どうせ向こうも人払いする」
と、この二十日で随分こういうことに慣れたらしい彼は言う。
「その時を見計らって、厠に行くふりでもして近づけばいい」
迷ってるようにすれば怪しまれまい、と吉村は小声で続けた。そして普段の声に戻り
「で、そちらの薬はどんなやつだ? 切り傷に卓効があるそうだが」
「ええ、そりゃあもう。三日もあれば綺麗に治りますがな」
一瞬にして薬屋になった山崎は、大阪弁でそう応じた。

 しばらくそうして酒を飲みつつ話したあと、山崎は部屋を出た。薩摩訛りの声の聞こえる部屋は扉からしてかなり豪華で、前の廊下の角には台があって生け花が飾ってある。これはいい、と思った彼は、生け花を見ながら中の話に耳を澄ますことにした。
「──そちらが確答するのが先であろう。我々のその後について」
少し酔ったと思われる、出雲訛りの居丈高な声が内部から響いてきた。
「大久保どんが今少し待てと言われておる。そう急がずともよかろう」
「では、いつまでにご返事いただけるのか!?」
詰め寄られて、薩摩訛りの方は黙り込んだ。出雲訛りの方が声を荒げて
「そちらは、事あるごとに大久保どんが、西郷どんがと言う。しかしそちらは一向に動かぬではないか。いつも今少し待てと言うばかりで、これでは話にならぬ」
「本当に今少しなのだ。本国との調整にもう少し時間がいるだけだ」
「薩摩までの往復だけで、かなりの時間がかかろう。それを待つ暇はこちらにない」
詰め寄る声は、間違いなく武田観柳斎のものだった。後は姿を確認するだけだ──と思いつつ山崎が生け花を見ていると、仲居らしい女性に呼び止められた。
「何しておますん?」
「いや、この生け花が余りにも見事なもので見ていたんですよ」
「それは見れば分かりやす。けども早う戻られた方が宜しいんと違いますか? ご同行の方がお待ちでしょうに」
帰そうとする仲居に、山崎は他に用事があって、と食い下がった。
「そうだ、思い出した。厠はどこにありますか?」
「厠はそっちから外に出たところにありやす。さっさと行ってくらはい」
はいはい、と山崎は頷いて仲居の指した方向に歩いていった。

 山崎が部屋に戻ってきた。吉村は小声で訊く。
「で、どうだった」
「ああ、間違いない。帰りにちらりとだが姿も見られたしな」
「──向こうに気づかれなかったか?」
気づかれては元も子もない。こちらが暗殺の対象にもなるのだ。
「同じ場所で待っていたら、芸妓やお運びの出入りが何度かあった。その時廊下から見ただけだ、多分気づかれてないだろう」
「そうか。──で、話の内容は?」
山崎は腰を下ろして、更に小声で応じた。
「多分脱走についての相談だ。──どうやら、武田一人じゃないらしいが」
多少驚いた顔になる吉村に、山崎は頷いて
「ま、そうでもなければ武田ごときが相手にしてもらえるとも思えん。──問題は一緒に抜けるのが誰か、ということだ」
「──おい、まさか──」
吉村も思い当たる人物がいたらしい。相手の表情を窺うと
「かも知れんが証拠がない。さっき随分長い間話を聞いていたが、出てきた名前は西郷、大久保といった薩摩の大物ばかりだ。──その付近について情報を集めてから、土方先生には報告しよう」
「そうだな、それがいい」
頷いた吉村は、芸妓たちを呼ぶように仲居に頼んだ。


 さてその翌朝、とある屋敷でのことだ。
「伊東甲子太郎は欲しい。だが、武田観柳斎はな」
と、その声は言った。そして振り返り
「富山弥兵衛の方を使え。伊東だけを取りこむんだ」
座っている方の男が一礼し、立って指示を出した男を見上げた。
「分かりもした。しかし大久保どん」
「何だ、中村どん」
「その武田はどうする?」
大久保と呼ばれた男は即答した。
「中村どんに任せる」
そのまま部屋を出る。中村と呼ばれた男は、座ったまま頭を下げて見送った。


 「あ、山崎先生」
屯所にふらりと帰ってきた山崎は、平隊士の一人に呼び止められた。
「何だ?」
「副長が、帰ってきたらすぐに自分の部屋に来るようにと」
山崎たち監察には、仕事上かなり行動の自由が与えられている。そのため特に非番の時は捕まりづらく、誰でもいいから見つけたら声をかけるようにと言われていたのだろう。
「そうか、分かった。それで今、副長は?」
「道場かご自分の部屋だと思います」
取りあえず副長室に行っておくか、と山崎は思った。

 副長室は、相変わらず殺風景だった。床の間にも飾りがなく、見えるところにあるのは机と硯、筆だけだ。そこで座って待っていると、ほどなく足音が近づいてくる。がらっと襖が開き、入ってきた土方に山崎は軽く頭を下げた。
「しばらくぶりだな、山崎君」
土方は腰を下ろすと、ニヤリと笑って言った。さすがに面は外しているが、胴丸をつけたままである。道場から直行したらしい。
「はい。──それで、ご用の方は──」
「捜査の経過報告」
短く言い切り、一転して山崎を刺すような視線で見つめる。思わず気圧されそうになった彼は、急いで弁解を開始した。
「は…。それがその、予想外に複雑な事態になりそうなので、もう少し情報を集めてからまとめて報告しようと思いまして──」
「複雑な事態になるなら、それはそれでいいが」
と言って、土方は言葉を切った。だがすぐに
「捜査で得た情報は、逐一私に報告してもらわねば困る」
「──申し訳ございません」
山崎は深く頭を下げた。土方の職務上の感情を害したのは間違いないのだ。
「まあ、これから気をつけてくれればいいが。報告に入ってくれ」
軽く促す。山崎はほっとして、状況と経緯を報告した。

 武田に関する裏は取れた、と土方は判断した。
 脱走を計画しているらしい他の隊士も、土方には見当がついている。その上で、当面は武田一人を始末するつもりだった。他の隊士については、実際に計画が明らかになった時点で対処すればいい。下手にことを大きくして、内部を混乱させる気はなかった。
「近藤さんに、相談する必要があるだろうな」
近藤には、どこかで武田を信用している節がある。また五番隊の組長という重要幹部でもあり、他の隊士のように『土方の判断を近藤が承認する』という形で始末するわけにも行かなかった。

 「近藤さん、話がある」
局長室でそう切り出した土方は、簡潔に武田が薩摩藩に寝返ろうとしているとだけ告げた。近藤は数秒黙り込んだが、やがて
「──本当か?」
「ああ。最近挙動不審なので調べさせていたら、裏が取れた」
「挙動不審といっても、そう大きな変化は見えなかったが」
近藤は抗弁するような口調になる。土方はずばりと言った。
「昼間はな。しかし、夜はあちこちの料亭で薩摩藩士と遊んでいる」
「───」
数秒の沈黙の後、更にため息をついて近藤は言った。
「分かった。始末のつけ方は任せてもらおう」
「始末のつけ方?」
土方は驚いた。始末の付け方といっても、この場合には暗殺か公開の場での切腹・斬首かの違いしかない。近藤が任せろと言うほどのことだろうか。
「任せるのはいいが、どうする気だ?」
「堂々とやりたいんだ。こそこそするのは性に合わん」
そう言って、近藤はニヤリと笑った。