るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十八 粛正(5)

 それからほどもない、九月二十八日の午後。いつものように平隊士に稽古を付けていた洋子は、土方に呼ばれた。副長室で話があるらしい。
 珍しいな、と彼女は思った。洋子を始めとする伍長以下の隊士に対する指示は、それぞれの所属する隊の組長を通して出されるのが通例で、こういう風に直接呼び出されることはまずない。何の用事だろうと訝りつつ、仕事を前野に任せて副長室に向かった。
 襖の前で一息ついたあと、中に向けて呼びかける。
「あの、天城ですが」
「入っていいぞ」
更に一つ深呼吸をして、洋子は襖をすっと開けて中に入った。

 「武田君の件だが」
ぴくっ、と洋子は反応した。──そのことか──。
「当たっていた。薩摩藩に寝返ろうとしていたんだ」
最初の驚いただけの表情に、次第に不安の色が混じってくる。──となると、伊東先生たちはどうなるんだろう? まさか…。
「伊東先生も、武田君がそういうことを計画していたとは知らなかったようでな。監察方を呼んで話を聞かせたら、驚いた様子だった」
自分の思考を見透かされたような話の振り方に、はっとなる。無論、伊東が関係ないと判断されたこと自体は洋子にとって安堵すべきことなのだが、それにしてもだ。
「──それで、私を呼んだ用事は? まさかその連絡だけじゃないでしょう?」
ややあって、洋子は訊いた。一応は済んだ話を、これ以上蒸し返したくはない。
「──洋子」
土方は、確かにそう呼んだ。「天城君」でも、「洋」でもなく。
「はい?」
言い間違えかと思ったが、相手の顔を見て表情を引き締める。わざと呼んだのだ。
「これから、鴨川の銭取橋付近に行ってもらう」
「──薩摩藩邸付近ではなく?」
「ああ。恐らく直行はしないだろうからな」
直行しようとすれば、その場でやられることくらいは武田も分かっているはずだ。故郷の出雲に帰るとでも言って、竹田街道を通るだろう。そして銭取橋はそこへの途中にある。
「──今からということは、検分役ですか」
「いや…。そこにいる敵と、戦ってもらうことになる」
「敵? 薩摩藩の誰かですか?」
武田の救援か。そう思っての問いだったが、土方は
「いや、多分主力は腕の立つ浪士か歴とした人斬りだろう。武田と討手の隊士と、両方を殺しに来る。ことによっては検分役もな」
そしてこの事件そのものを、闇に葬り去る。背後にいるのは薩摩藩に間違いないが、後で足がつかないように実際に戦うのは浪士になるはずだ。
「──あの秘密主義の薩摩藩が、そうそうあかの他人を受け入れるとは思えんし、第一武田がそれほどの人材とも思えん。本人の意識はともかくとしてな」
土方の正直な評価だろう。一瞬クスッと笑ってしまった洋子だが、すぐに表情を戻し
「でも、今日いきなりですよ。そんなにすぐに準備出来ますかね」
「前からそのつもりだったととしたら?」
問い返され、彼女は沈黙した。つまり武田は……。
「──分かりました。ところで土方さん」
「何だ?」
「誰を、討手にするつもりですか」
その言葉に、土方は洋子をじっと見つめた。──最後まで、見届ける気か。
「お前に一番近い人間だ」
そう言って土方は立ち上がり、そのまま部屋を出た。洋子は軽くため息をつくと、ややあって屯所を出た。

 それからしばらくたった、その日の夕方。武田は近藤に呼ばれた。
 部屋に入ると、組長・監察級以上の幹部がほぼ全員顔を揃えている。これから宴会を始めるらしく、席上には酒と料理が回っていた。伊東も、中央上座の近藤を挟んで土方の反対側にいる。妙だな、と武田は内心思った。
「今宵は、手前がお正客だ。ここに座られよ」
近藤がいつもと変わらぬ表情で、中央の座布団を指し示す。少々不審そうな素振りを武田はしたが、重ねて勧められそこに腰を下ろした。
「聞くところによると、武田君は近々ここを出て薩摩藩邸に入るそうだな」
近藤の台詞に、武田は仰天した。監察の山崎が続けて言う。
「薩摩藩士中村半次郎と密会を重ね、新撰組脱走及びその後の処遇について協議を重ねていましたね、武田先生」
「あ、いや、それはその…」
武田は弁解を開始したが、近藤は笑みさえ浮かべて
「いいではないか。武田君にもよほどの考えがあったのだろう。いずれにしても今宵は遺恨なく別れの酒を酌み交わしたい」
と言って、武田の言うことを聞かない。ついに彼も観念した。
「──分かりました。それほどまでに仰られるのなら──」
「おお、受けてくれるか」
近藤が喜色を浮かべて言い、自ら酒を注ぎに行った。武田はそれを受け、飲み干す。
 こうして、宴が始まった。 

 その頃、洋子は銭取橋付近の料理屋で食事を取っていた。
 実のところ、こういう重要な仕事を任せられるのは初めてである。土方の言う暗殺者たちが実際に来るかどうかという問題はあるのだが、彼のこの手のカンの俊敏さは池田屋の時に証明済みなので、多分来るのは間違いない。彼女にとって問題は、その数と強さだった。
「まさか討手が斎藤さんだとは思ってないだろうけど──」
武田観柳斎自身、組長に相応しいだけの剣の力量は持っている。薩摩藩の示現流なら倒せないこともなかろうが、土方の見立てでは今回は浪士たちが中心になるとのことで、薩摩藩士が実際に姿を見せるかどうかも疑わしい。浪士剣客と言っても、強さは様々だ。
「ま、実際に当たってみないと分からないけどね」
第一、戦術によっても違ってくるだろう。武田と討手を一度に殺戮するのか、まず二人を戦わせて生き残った方を倒すのか。
『──私だったら後者にする。その方が雇うにしても楽だから』
雇う数も少なくて済むし、一人を倒す方が確実だ。更に言うとこの場合、生き残った側も手負いの可能性があるので、尚更暗殺者たちに有利になるだろう。
 と、外から複数の気配がした。何やら喋っている声もする。もう夜であり、来始めるには適切な頃だ。洋子は程なく金を払い、店を出た。

 銭取橋の下の方から、人の気配が微かにする。影の、土手の部分で待っているのだろう。洋子は覚悟を決めると、橋からやや離れたところから土手に降りた。月はないが星明かりがあり、民家の明かりも微かに見える。今の洋子が戦うには十分だった。
「──お前たち、何をしている」
そこから数歩歩いたところで、橋の下にいる人影に向けて声をかける。低いどよめきの声が上がり、程なく彼らが飛び出してきた。──約十人、予想以上に数が多い。
「見られたとあっては仕方ない、死んでもらう」
うちの一人が言う間にも、残りは周りを取り囲んでいる。洋子は刀の柄に手をかけた。
「行け!」
敵のうち何人かが、攻め込んできた。

 背後から攻めてきた一人を振り返りざまに抜き打ちで斬り捨て、横からの二人を紙一重でかわす。号令をかけた浪士を追って土手を駆け上がりつつ、更に踏み込んできた一人を一刀のもとに斬り倒した。敵も決して弱くはないが、予想外の事態に動揺しているのか洋子の目から見れば隙が目立つ。そして目指す相手と正対した彼女は、刀を振って血を落とすと構えを変えた。師匠の斎藤と左右逆の構え、通称逆牙突だ。
「──その構え、新撰組か」
敵の声に、洋子は無言だった。あえて教える必要はない。
「そうか、ならば相手にとって不足はない」
敵も身構える。と言っても青眼ではない、無行の位だ。
 洋子の突進を、敵は待ち受けていた。間合いに飛び込んだと同時に、敵は彼女の刀を狙って左切上で跳ね上げ、自分への攻撃を逸らす。そして次の瞬間、背後から他の敵が攻め込んでくる。辛うじてかわすと、振り返りつつ横なぎの要領で脇腹を斬り裂いた。そして刀の角度を変え、頭上で刀を振り下ろそうとしている敵を顎から脳天まで貫く。そのまま顔面を内部から斬り裂き、再び最初の敵を睨み据えた。
 と、その敵が動いた。攻め込んでくる。洋子も突進し、今度は敵の死角を貫くつもりで見定めていた。敵の最初の一撃を紙一重でかわし、その死角に刺突を入れようとする。が、敵は素早く左手で脇差しを抜き、またしても彼女の刀を受け止めて流させた。次の瞬間にはその敵は飛び離れ、他の敵が今度は三人同時で攻めてくる。洋子も咄嗟に脇差しを抜き、二人分の攻撃は防いだが反撃する暇もなく、三人目で傷を負った。袈裟斬りを肩に食らい、付近が血で染まっていく。防いだ二人がまた攻め込んできた。
『──まずいな、これは』
一人一人が一流の剣客である上に三方からの同時攻撃とあっては、いくら洋子でもそう簡単には勝てそうにない。かと言ってここで負けるわけにも行かないのだ。折角土方が自分の腕を信頼して重要な仕事を任せてくれたのだし、負ければ間違いなく斎藤とこいつらが戦うことになる。──今の自分が負けた相手に、手負いの斎藤が勝てるだろうか?
 手応えがあった。敵の一人が倒れ、残る二人は後退する。息をついた洋子は、何故か去年の今頃に奈良に行ったときのことを思い出した。あの時の動揺が、妙に生々しく思い返される。──一人で吉野山を下りていった時の、あの孤独感。
「──坊主、なかなかやるな」
「言う暇があったら自分で攻撃したら?」
脇差しを再び鞘に収めつつ、洋子は言った。牙突に脇差しは必要ない。
「──いやならこっちから行くよ」
洋子はまた、逆牙突の構えで突進した。敵は再び待ちかまえ、彼女の刀を受け流してそらせた。そして飛び離れようとした瞬間、洋子はその場から加速して突進する。
 着地するのと心臓に刺突を食らうのと、ほとんど同時だった。

 「──多分、あんたと他の敵って師弟関係だろう? でなきゃあんなに息のあった攻撃なんて出来ないもんね」
と、洋子は言った。刀を引き抜くと、血がかなりの勢いで噴き出す。敵がばったりと倒れ込んだ。背後から一人が叫び声と共に襲ってくるのを、一刀のもとに斬り捨てる。
「師匠が囮になって敵を引き寄せ、実際に倒すのは弟子。──新撰組の剣技も研究したみたいだけど、いくら形だけ研究してもね」
どうやら倒した敵は、声も立てずに絶命したらしい。息をつき、最後まで残っている弟子と思しき三人に振り返って、彼女は告げた。
「新撰組の剣術師範代の剣技、冥土の土産に受けさせてやるわ」