るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十一 静暗殺計画(2)

 何かあるな、と斎藤は感づいた。いくら平然としているように見せても、四年以上付き合っていると師匠の方には弟子の考えなど八割方分かるものらしい。
 洋子の様子がどこか違う。一見した程度では分かるまいが、刺突の踏み込みの深さにぶれがある。それと隊士に接するときの態度が、常より真剣なのだ。
 だからと言って、何かあったのかと訊いてやる趣味は彼にはない。第一まともに答えるような弟子ではないし、事があっても自分で解決しろ、というのが本音だった。それが出来る程度の能力は、既にあるはずだ。
 ただ、何があるのかを把握しておく必要は上司兼師匠としてあるわけで、その日一日斎藤は気づかれないように洋子の後をつけていた。

 「それで、場所の方でございますが…」
「場所は三条河原。勿論互いに一対一で」
夕方、その日の仕事が終わった後。ちょっと用事があると言って、彼女は伊東の講義を休んでいた。門前で昨日来た武士と話している。
「私も今からすぐにそちらに向かうから、鳥羽殿にそうお伝えを」
「分かりました」
その武士は応じて、走り去った。洋子は近くにいた隊士に帰る旨を伝え、門を出る。
 その様子を見ていた斎藤は、自分と洋子を見ている二つの視線には気づかなかった。

 

 「──斎藤、いいのか?」
自室に戻った彼に、天井裏から声がする。平然と応じた。
「相手はたかが男一人、俺が出て行くまでもない」
「もし、そうではないとしたら?」
蒼紫はそう訊いた。声の主は見えぬまでも、どういう身分かは斎藤にも分かっている。
「──どういう意味だ?」
「奴らの狙いは、畠山静の暗殺だ。姫を売った従兄弟が、黒幕にいる」
天井裏の声は淡々と、事実だけを告げている。
「現場には見廻組・闇乃武の残党合わせて五十人ほどが潜んでいる。こちらも向かわせるが、姫の身柄が欲しくばそちらからも出向くことだ」
「貴様などに、指図されたくはないな」
そう言って、斎藤は立ち上がった。
「裏工作は当然そっち持ちだぞ。未然に防げなかった責任は取って貰う」
応答はなく、気配も消えた。斎藤は面倒そうに呟く。
「あの阿呆が、決闘に暗殺計画まで持ち込まれやがって」
腰に大小をはめて部屋を出た途端、沖田が姿を見せた。
「ああだこうだ言って、やっぱりあの子のこと心配してるんですね。斎藤さんって」
クスクス笑って言う。誤解だと少々憤慨して説明を始めようとしたら、止められた。
「分かってます。だから僕も応援に行くんですよ、原田さんと一緒に」
「原田君と?」
意外げな顔をする斎藤に、沖田は説明した。
「向こうが一人で来るとは限りませんから、二人以上の時はこっちで残りを引き受けるつもりで。原田さんは途中で待ってます。でも五十人以上とは思わなかったなあ」
どうやら、話を聞いていたらしい。同行を認めるしかなかった。

 「おい、斎藤。こんなものが落ちてきたぜ」
原田との待ち合わせ場所で、斎藤は紙切れを示された。
「落ちてきた? どこから」
沖田が訊いた。原田は天井を指さし
「ついさっきだ。三条河原周辺の地図らしい」
「ご丁寧に、攻撃箇所の割り当てらしいな。ったく」
チラリと見て紙切れを破り捨てる。どうせ御庭番衆だろう。
「俺たちは俺たちのやりたいようにやる。誰にも指図は受けん」
恐らく近くで見ているだろう御庭番衆に向けて、斎藤はそう言い放った。

 当の洋子は、ことがそれほど大きいものとは無論思っていない。確かに文字通りの一対一と信じ込むほどバカではないが、戦うのは手下も含めてせいぜい五、六人程度だろうと見ていた。その程度なら勝てない相手ではない。
「それにしても、気になるのは葵屋からの手紙ね。あいつが何か企んでるって言う」
未だに顔も思い出せない、自分の従兄弟。彼女が今使っている刀は、恐らく自殺用にあいつが持たせたのだろう。確かに刀さえ手元にあれば、絶望の余り薬屋で死んでいたかも知れない。恐らくそれを怖れて、女主人は刀を預かったのだろう。仮に未遂で終わっても、傷跡が残れば数年後に遊女になるどころではない。
 では何故、手元にあった試衛館で死ななかったのかは自分でもよく分からない。だが、とにかくそう言う方向に思考回路が向かなかったのは事実で、結果として今も彼女は生きて、他人に対して刀を振るっている。
「売った時点で、完全にあかの他人のはずなんだけど」
何故今頃になって殺しに来たのか。彼女が薬屋からどこかに行ったことはもっと早く気づいているはずで、今更もう戻る気もない従姉妹を何故殺す必要があるのか。しかもわざわざ、放っておいても死ぬかもしれない京都に来てまで。
「誰かにばれて、脅かされてるのかしら」
御庭番衆辺りに、と洋子は声に出さずに呟いた。
「まあいいや。後で考えよう」
三条河原に着いた彼女は、辺りに人の気配がないのを確認してゆっくりと腰を下ろした。
 もう陰暦五月の初めであり、明るくはないが月が出ている。腰を下ろしていた洋子は程なく人影を認識したが、相手の顔はよく見えない。だが雰囲気で、従兄弟ではないと悟っていた。自分の従姉妹で養子先の婚約者の少女を、差し当たっての生活苦でもないのに売り飛ばすような冷血漢の気配ではない。見廻組に加入しただけあって、剣の腕もそれなりのようだ。
《──まあ、私に勝てる腕でもなさそうだけど》
と思って、土手を歩いて下りてくるのを見ていると。
 何やら、河原の傍の道に並んでいる店から物が壊れるような音がする。乱闘騒ぎのようなものが、二つほぼ同時に発生したらしい。

 何だろ、と洋子はその方角を窺ったが、どういう事態が起きたのかよく分からない。決闘相手の鳥羽辰郎に視線を戻し、表情が尋常ではないことに気づいた。動いてもいないのに息が異様に荒い。
「──どうかした?」
彼女の問いにも応じない。が、呟き声が風に乗って届いた。
「な、何故漏れたんだ? ことは内密に進んでいたはずでは…」
漏れた、という台詞に、彼女はピンときた。
「この決闘、畠山家の指図?」
「違う!!! ただある人が俺に『その男の仇、討ちたくば討て。周囲に味方を伏せて、必ず勝てるようにしてやる。新撰組ごときどこの馬の骨とも知れぬ者に、部下を殺されて何もせぬようでは旗本ではない』と言ったんだ。だから…」
真剣そのものの口調で、訴えるように言う。要するにこいつは利用された口か、と洋子は思った。それにしても襲った二手は誰と誰だ?

 人斬り抜刀斎こと緋村剣心は、新撰組幹部が三条河原傍の店を襲撃しているという情報を聞いて急いでいた。志士たちの会合場所が事前に教えられるとは限らず、また急に変更することも多いので、敵である新撰組が動いているという情報もバカに出来ないのだ。
 三条河原の近くを通ったとき、殺気を感じて立ち止まった。河原に行くと二人ほど武士が身構えている。襲撃と関係があるのかと思い、影で様子を見る。
《あれは……》
天城 洋、いや桂小五郎に言わせると男装の少女で天木洋子と言うらしい。十字傷のことを喋った詫びのような形で聞いた話だが、とにかく一方は新撰組幹部と言える立場の人間である。そしてもう一方は、詳しくは見えないがあの立派な身なりからして志士仲間ではないだろう。見廻組の一員かと見当を付けた。
《にしても妙だな。何で新撰組と見廻組が決闘するんだ》
それも片やは伍長、もう一方は恐らく平隊士である。志士たちの取締りを巡る縄張り争いが原因なら、互いにもっと上層部の幹部が出てもいいだろう。少なくとも新撰組の方は、斎藤が出てくるはずだ。自分が戦うべきところを部下に押しつけるような男ではない。
《個人的ないざこざの果ての決闘かな》
辺りの気配からしてそうらしい、と思った瞬間、ふと人の気配を感じる。
「──チッ。簡単に白状しやがって」
「おまけに集結場所まで新撰組と御庭番衆に押さえられやがった。だから最近の武士は使えねえで、上様にご迷惑ばかりかかる」
「やっぱり俺たちだけで殺すべきだったか。内密にというので見廻組を使ったが。闇乃武の仲間全員に声かければ、いくら新撰組伍長とは言え小娘一人倒せたはずだ」
闇乃武、という言葉に剣心はハッとなった。巴とのことがどうしようもなく脳裏に浮かんでは消える。頬についた十字傷に手を伸ばして見せた最期の笑顔。
「今からでも遅くない、殺すか?」
既に周囲の敵は五人以上だ。それもそれなりの使い手が揃っていると見るべきで、いくら洋子でも勝てるかどうか保証はない。とは言え新撰組・見廻組・闇乃武はいずれにしても志士たちにとっては宿敵で、共倒れになればそれに越したことはなかった。漁夫の利というやつで、本当は放っておくべきだろう。
「──十字傷と同じ傷、か」
斎藤と洋子の関係も、あの後少し聞いた。何でも前に語っていた師匠とは斎藤のことで、かなりみっちりしごかれているらしい。江戸当時もケンカばかりしていたが、それでも思うところはあるのだろう──と、小五郎が言っていた。誰かが死ぬことで斎藤が悲しんだりするのも、彼女としては見たくないのだろうと。
 そして剣心は、斎藤が洋子を庇っているのを二度ほど見たことがある。あの男がただ自分の部下や弟子だからと言う理由で庇うとは思えず、恐らく個人的に大切な存在なのだろうとは思っていた。恋愛感情とはかなり違うだろうが、互いに相手が死んだり悲しんだりするのは見たくない関係──。その関係が、闇乃武の謀略によって断たれるのが剣心には許せなかった。それも、恐らくあの男の目の前でだ。

 ふと辺りを見回した闇乃武の一人が、木の下で河原を見ている剣心に気づいた。
「──げ、貴様!」
「抜刀斎!!!」
一瞬にして、あからさまな殺気が周囲に満ちる。その瞬間、剣心も腹を決めた。
「──他人の決闘を利用して、暗殺を謀るとは随分卑怯な計画だ。敵同士の内紛とは言え、放っておくわけには行かぬ。退けば命は助ける。退かねば斬る!!!」
刀をすらりと抜き、無形の位に構える。一瞬後
「計画変更だ!! 平尾様の仇、やっちまえ!!!」
木に潜んでいた一人が言うと、ざっと十人足らずが現れて彼の周囲を取り囲んだ。鉄の爪で襲いかかる一人目を、一刀の下に斬り捨てる。