るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』其の二十 山南切腹

 慶応元年(1865年)の二月中旬。洋子は相変わらずの多忙な日々を送っていた。
 朝は二重の意味で上司である斎藤が出てくる前に出勤する。そして出勤後、その日の日程確認をしてから三番隊の控え室に入る。そして斎藤が出てきた後、市中巡察や平隊士への稽古など、彼女にとってその日の仕事が始まるのだ。
「あれ、山南さん。また稽古に出てらっしゃるんですか」
稽古用の木刀を取りに、道場に入った洋子は訊いた。以前は余り稽古に出てこなかった山南敬助が、今年に入ってから毎日のように稽古に出てきているのだ。他の隊士は自分の稽古に必死で余り気づいていないようだが、教える側の彼女はさすがに気づいていた。
「ああ、ちょっとね」
微笑する。洋子としても、山南のように免許皆伝を持っている人間にはなるべく道場に来て隊士の指導に当たって欲しいので、それ以上の追及はせずに来るに任せている。
 だが今年に入っての山南の変化には、彼女が尊敬している伊東甲子太郎加入以降の、彼の立場の変化が絡んでいた。

 山南は新撰組総長である。序列的には局長近藤、総長山南、副長土方だが、隊士の直接的な指揮権は近藤と土方が握っていて、彼にはせいぜい局長が不在の時の代理指揮権しかない。ただし京都守護職や所司代、禁裏御守衛総督兼将軍後見職の一橋慶喜の家来など、隊外の人間と話し合ったりする時は土方は口を出さないし、近藤は余り学問がないので必然的に教養のある山南が中心になる。
 言うなれば土方は新撰組の隊内統括担当、山南は外交担当と言えば分かりやすい。今までそれでやってきたので、山南は隊士の指揮権がないのは不満ながらも外交は自分が中心になっているということで我慢できたのである。
 ところが伊東甲子太郎は自分より学問がある。弁も立つし、名前も通っている。同じ北辰一刀流の出身でもあり、何かと自分を立ててくれてはいるものの、近藤などは自分より伊東の方を重んじているのがありありと窺え、山南は自分の居場所がなくなるような心理に襲われていた。かと言って副長の土方は隊内統括の分野で近藤から絶大な信頼を得ており、今更彼が関与しようとしても難しい。最近しばしば稽古に出てくるのは、自分の存在を隊内に示す意味もあったのである。
 実際、剣をとれば山南は強い。沖田総司にこそ負けるが、これは沖田に勝てる相手がいないと見るべきであって山南が弱点を持っているとか言う理由ではない。公平に見て、達人揃いの幹部の中でも強い方だろう。才気に走る傾向のある伊東に対し、文武両道の人間として自分の存在を売り込もうとしていたのだ。
 そんな時、近藤の部屋を通りかかった山南は、伊東の声を聞いた。
「参謀、ですか」
「そうです。伊東先生のように物事に通じておられる方には、この職が最もふさわしいだろうと思いまして」
しかし、と伊東は言いかけた。すでにいる山南との兼ね合いもある。
「山南君には、先生から色々と教えてやって下さい」
近藤は機嫌良くそう言ったが、伊東は取りあえず留保した。が、聞いていた山南にはそれどころではない。このままでは間違いなく、自分の居場所がなくなるのだ。

 その夜、山南は寝つけずにいた。
 大体、我々が京都に来たときの目的は攘夷の先駆けとなることだった。それが新撰組となってからは京都守護職と親しくなり、今では幕府の爪牙となって攘夷の志士たちを不逞浪士として斬っている。いかに守護職の松平容保に孝明天皇の信頼が厚かろうと、天皇の意志は攘夷である以上幕府の開国は許されることではない。その間様々な事情があったにせよ、約束が違うと山南は思った。
 伊東甲子太郎が来て、少しは状況が改善されるかと思っていたが変わらない。現に幕府は攘夷を実行した長州藩に討伐の兵を向けようとしているし、それを最初に言ったのは京都守護職である会津藩と近藤自身である。池田屋事件のきっかけとなった京都大火の計画も、よくよく調べてみれば長州自体は必ずしも積極的ではなかったようだ。その長州を、いかに京都を戦乱に巻き込んだとは言え何故討たねばならぬのか。伊東もそう説いてはいるのだが、近藤の耳には届いていないのだ。
 山南は、伊東は個人的に尊敬している。来た当初は協力して新撰組を本来の攘夷の先駆けという目的に戻そうというつもりだったのだが、結果として競合し、どちらかしかいられない状況に追い込まれてしまった。無論伊東は同流であり組織内で格上でもある自分を立ててくれるだろうが、それでは自分の気が済まない。
「──江戸に戻るか」
ふと呟いた。追ってくるのは隊の監察だろうし、あの連中なら数人まとめてかかって来ても勝てない相手ではない。江戸に戻り、もう一度攘夷のための組織を作る。自分が上に立ってもいいし、伊東辺りを迎えることも考えられる。
 そして数日後の、二月二十一日。
 山南敬助は新撰組を脱走した。

 

 その日朝、いつものように出勤してきた洋子は屯所内が妙に落ち着かない様子なので三番隊の平隊士一人を捕まえて事情を聞いた。
「山南さんが脱走!!?」
信じられない、という顔で聞き返した洋子に、その平隊士は
「置き手紙があって荷物が一切なく、ご本人がいらっしゃらないんです。脱走したとしか考えられないでしょう」
と言った。言った相手自身、内心かなり混乱している様子である。
「局長・副長以下の幹部の方々が集まって対応を話し合っておられるそうです」
「──そう。分かった」
新撰組において、脱走は死である。山南自身それは十分承知の上だろうし、追っ手が来ても斬り捨てる覚悟に違いない。そこまで考えて、洋子ははっとなった。
《そう言えば最近、熱心に稽古していたのはこのため──?》
だとしたら、かなり前から脱走を考えていたことになる。ひょっとしたら途中で手引きしている者がいるかも知れない。となると逃げられる可能性はかなり高い。
「何でも、江戸に帰られるつもりらしい」
「へえ、それはまた何で」
傍で別の平隊士が話しているのが、彼女の耳に入った。江戸に帰って、あの人は何をするつもりだったのだろう。と、そこに沖田が姿を見せた。
「沖田さん──」
「これから、山南さんを追いかける」
近づいてきた洋子に、呟くように告げた。
「大人しくしてるんだよ」
その響きの深刻さに、言われた側は二の句が告げなくなる。
「明日には帰れる。心配しないで」
笑って見せたが、その笑顔がどこか引きつっていた。

 「阿呆、さっきから何をぼーっとしてるんだ」
その日、巡察に出た三番隊の最後尾で洋子が考え事をしていると、斎藤が言った。
「山南さんがいなくなったっていうこの時に、平然としてられますか」
「考えてどうなるものでもなかろうが。気にするな」
突き放した言い方に、洋子はむっとした。
「随分冷たいんですね。──そりゃあ隊規に照らせばどうなるかってのは分かってますよ。けど、何で脱走したのか──」
何よりも、今年に入ってよく稽古に出てきていた山南の心理的変化を、何故見過ごしたのか。話を聞いていれば、いやせめてもう少し注意深く彼を観察していれば、或いは脱走を止められたかも知れない。洋子が考えているのはそのことだった。
「──可能性の話をしてるんなら、無意味だぞ」
と、斎藤は言った。更に続けて
「山南先生は脱走した。理由は不明。これが全てだ」
やや声の調子が違うのに気づき、洋子は斎藤を見やった。
 よく考えてみれば、斎藤は剣術師範でもある。自分と同じ程度に山南の稽古姿を見ていると考えていいだろう。心理的変化を気づき得なかったという意味では、自分以上に責任を感じているのかも知れなかった。
《──まあ仕方ないか。斎藤さんだって気づかなかったんだから》
自分だけの責任にするのはよそう、と洋子は思った。第一、多分脱走の根本的原因は自分にはない。幹部たちの間の路線対立だろう。

 

 沖田が山南と共に帰ってきたのは、その翌日の昼過ぎである。二人とも別に傷を負っている風でもなく、馬に乗っての帰還だった。
「──大丈夫でした?」
「うん。山南さんが呼び止めてくれた」
正式な報告を済ませた後で自室に戻った沖田に、洋子は訊いた。
「呼び止めてくれた? どうしてまた」
驚いて質問する。逃亡する側が追っ手を呼び止めるなど、聞いたことがない。
「追っ手が僕だとは思ってなかったみたいでね。『監察たちなら斬り殺すつもりだったけど、君が相手なら諦める』って、笑ってた」
観念した、とでもいうところだろうか。洋子は考えを巡らせた。
「──江戸で、何をするつもりだったんでしょうね」
「さあ。一切教えてくれなかった」
沖田は横になった。疲れているのだろうと思い、彼女は部屋を出る。

 その頃、近藤、土方、伊東は山南の処分で揉めていた。無論、処刑そのものに異存はない。問題は切腹か、斬首かということである。
 近藤は全体への見せしめのため、武士としての待遇を半ば停止した斬首を望んでいた。これに対して伊東は切腹でいいのではないかと主張し、何も言わない土方を含めて局長室で議論になっていたのである。山南が脱走の理由を言わないことの解釈を巡って、下らない理由だから言えないのだとする近藤と、理由はどうあれ自己弁護をしようとしないのは立派なことだとする伊東との議論だった。
 「おい、総司。いるか」
いったん休憩となったとき、土方は沖田の部屋を訪ねた。
「あ、はい。何か用ですか」
「お前が山南先生を捕まえた時、どんな感じだった」
「──捕まえたというより、山南先生が僕を呼び止めてくれたんですよ」
自分を見つめる土方に、彼はさっき洋子に言ったことをやや詳しく説明した。
 「──分かった。どのみち今日はこんな時間だ、明日になる」
もう夕方であり、そろそろ帰る平隊士も出てくる頃だろう。取りあえず報告して──明日切腹になるだろう。山南を好いてはいない土方の目から見ても、その行動は武士として一貫した見事なものだった。
 と、考えつつ戻りかけた土方に、女性の後ろ姿が遠くに見えた。
「──誰だ、あれは」
「山南先生の妾の明里さんですよ。永倉先生が教えてあげたそうで」
近くの隊士がそう答える。帰っていくところらしい。

 翌日、山南敬助は切腹した。介錯は沖田総司である。

 すめらぎの護りともなれ黒髪の乱れたる世に死ぬる身なれば
 春風に吹き誘はれて山桜散りてぞ人に惜しまるるかな

 ──山南に対して、伊東甲子太郎が詠んだ挽歌である。或いは伊東は、山南脱走の理由に感づいていたのかも知れなかった。

 

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