るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』番外編 八王子(1)

 「では、お二人でごゆっくりと」
はーい、と洋子は応じた。沖田が軽く苦笑して
「駄目だよ、大人しくしてないと」
「はーい。でも」
「分かってるよ。だけどね、時と場所ってのがあるから」
洋子は頷いた。そして二人して布団を敷く。

 試衛館からの出稽古で、今、二人は八王子にいる。
 八王子、と言えば本当は甲源一刀流の比留間道場というのが栄えていたのだが、そこが何かの事情で当分の間閉じている。経営者はそれでもあまり困らないのだが、困るのは道場の門人たちだ。仕方ないので中の数人が近くの日野付近の天然理心流道場に来ており、彼らから江戸の試衛館に、一人、出稽古に派遣して欲しいという依頼が届いたのだ。
「俺や井上さんが行っても、好印象は持たれまい。総司がいい」
天然理心流側にしてみれば、言うなれば八王子という新市場開拓の機会が巡ってきたことになる。好感を持たれれば今後の発展にも繋がるのだ。実力と人当たりの良さが大事という土方の言葉で、沖田が行くことになった。
 そこまではいい。問題は、何故洋子がついてきているのかだ。実はこれも理由は単純で、彼女は『いかに早く上達するか』という宣伝材料なのである。こんな小さな子供が大人と互角に戦って見せれば、それだけでかなりの効果が期待できるのだ。希望した当の洋子は無論『斎藤さんから逃げ出せる』ことが最大の理由なのだが、認めた周りの思惑はそういうことである。実際、試衛館の家計はかなり逼迫していた。

 

 「長沼さん、参上しました」
翌朝、仮道場になっている米倉に入ってきて沖田は言った。
「沖田と申します。うちの近藤先生から、先に紹介状が行っていると思いますが」
「ああ、沖田さんですか。これはこれは──と、この子は?」
見たところ、相手の男は三十代の後半と言った年代である。服は粗末だが顔つきは精悍であり、目が鋭い。かなり長い間剣術の修行をやっていたのが見ただけで分かった。
「天木洋子です、よろしくお願いします」
後ろについて来た子供は、自分への視線を感じるとそう言って一礼した。
「この子は試衛館の内弟子です。僕が八王子に行くと聞いたら、自分も行きたいと言って聞かなくて。昨日は来た早々騒ぎは起こすし、大人しくするように注意はしたんですが、それもどこまで──」
沖田が軽く頭を掻いて説明する。お騒がせするといけないので宿を別に取りました、という彼に、長沼は道場を案内しつつ
「お気遣いは無用に願います。私もお洋さんくらいの子供がいますので」
同じ女の子なので何かと気が合うでしょう、と続けた。言われて周りを見回すが、それらしい子供の姿は見当たらない。
「ああ、お夏ですか? 家の方で遊んでますよ。大人しい子で、剣術などにはとんと興味がないようでしてな」
同門の弟弟子らしい若い者たちが、近づいた長沼に礼を施していく。
「何でしたら、お洋さんだけ先に家の方に行きますか?」
「って言ってるけど、洋子さんどうする?」
「行きます」
洋子は頷き、長沼は彼女を奥に案内した。

 お夏は人形で、ままごとをして遊んでいた。
「あ、おっとう!」
長沼の姿を見て、駆け寄って来る。が、傍の少年──出稽古と言うこともあり、洋子は少年のような格好をしていた──を見て立ち止まった。
「この子は?」
「お洋さんと言って、出稽古にいらしてくれた沖田さんについてきた人だ。仲良くしないとダメだぞ」
お夏は目の前の子供を、上から下まで見やって言った。
「──あんた、女?」
「そうよ。正式には天木洋子って言うの」
洋子はそう応じた。ふうん、と相手はなおも彼女の顔を見つめていたが
「じゃ、ついて来て」
と言って、奥の部屋に戻った。

 道場の方から、時折凄まじい気合いが聞こえてくる。お夏はその声が聞こえるたびに身体をびくっと振るわせていた。洋子は毎度のことなので平気な顔だ。
「怖くないの?」
「私も道場住まいだから。慣れてるの」
更に言うと、そこでは彼女自身が最大の騒音源の一つなのである。責任は師匠である男にあるとかで、自覚はいまいちのようだったが。
「道場に住んでるってことは──向こうのお嬢さん?」
「生憎、そんな威張れる立場じゃないのよ。ちょっと色々あって向こうに引き取られて、居候しながら剣術習ってるわ」
「剣術使えるの!?」
驚いた顔で訊くお夏に、洋子は苦笑して応じた。
「まあね、そんなに上手くないけど。師匠には殴られてばっかりだし」
「師匠って、沖田さんって言う人?」
「まさか。沖田さんはそんな無茶苦茶しないわよ」
思わず笑って言った。お夏は目を瞬かせて
「え、でもじゃあ何で──」
「師匠の斎藤さんが無茶苦茶するから、出稽古を口実に逃げてきたの。分かった?」
「──あ、てことはお洋ちゃん、怠けたんだあ」
今度はお夏が笑う番だった。冷やかし混じりに言葉をかけられ、
「だってね、無茶苦茶きついんだよ。一日中ずっと稽古だし、後半は実戦さながらであれが真剣だったら間違いなく毎日死んでるくらい本気で向かってくるし」
当の斎藤は、あれでもかなり手加減しているらしいのだが。
「一昨日作った痣がほら、これ。黒っぽくなってるでしょう」
と言って、洋子は右の二の腕を見せた。傷の箇所がやや膨れ上がり、内出血のために黒くなっている。お夏は怖々と覗き込んでいたが、すぐに目を離した。
「それ、痛くなかった?」
「そりゃ痛かったわよ。だからたまには怠けたくもなるってわけ」
洋子はそう言って、微笑した。道場からはまだ気合いの声が聞こえてくる。

 

 長沼は村方三役を務める、裕福な農民である。この付近は近藤・土方の故郷である多摩・日野も含めて天領(幕府直轄領)で、幕府の統制も緩く武術を学ぶ若者が結構多くいた。何しろ土方の祖先は鎌倉時代の歴史書に名前が載るほどの勇猛な武士で、住民たちが完全に農民になったのは江戸時代になってからなのである。長沼もそうした者の一人で、彼の好意でその日の夕食は宴会になっていた。酒も回り、ごちそうも出る。
「いやあ、さすがに沖田先生はお強いですなあ。噂には聞いておりましたが、実際に戦ってみると本当に強い。恐縮いたしました」
「いえいえ、こちらの皆さんもそれぞれにお強いですよ。何度ひやりとしたことか」
沖田の応答が素直に受け取られるのは、ひとえに彼の人徳であろう。部屋の隅で並んで食事している洋子とお夏は、小声で色々と話し合っていた。
「沖田さんって、そんなに強いの?」
「まあね、あの年で師範代やってるから。斎藤さんより強いと思うよ」
試衛館でもこんなごちそうは数えるほどしか食べたことがない。野菜や豆腐を煮た物を口に放り込みながら洋子は応じた。
「美味しい?」
「うん。久しぶりのごちそうだわ」
と言って、ご飯茶碗を片手に煮魚にも手を伸ばす。
「よく食べるね、そんなにたくさん」
「午後から道場に行ったでしょう。それでお腹空いてさ」
そこで、大人たちから声がかかった。
「お洋さんもお強いお強い。あの年であんなに力があるとは、驚きですなあ」
「近藤先生も自慢のお弟子でしょうな」
「いえいえ、いつも厳しく仕込まれております」
自慢も何も、普段の稽古は斎藤任せ、愚痴聞きは沖田任せ、法的・対外的なことは土方任せという感じで、近藤は洋子にとって単なる身元保証人である。道場主と言うことで敬意は払っているが、それほど親しく付き合っているわけでもない。
「僕もあの子の才能には舌を巻くことがありますよ。たまに出稽古に行って帰ってくると、その度に強くなってますからね。伸び盛りですよ、ホントに」
沖田が離れたところから口添えする。本人が応答するより前にお夏が
「へえ、お洋ちゃんって結構才能あるんだ」
「そうかなあ。いつもいつも叩きのめされるんだけど」
本人としては首を傾げるしかない。長沼が声をかけた。
「沖田先生が言うんだから間違いないですよ、お洋さん。なあ」
「ああ。それだけ出来れば充分だ。もっと自信持って」
他の一人が言う。洋子が頭を掻いたのを見て、お夏は笑って言った。
「照れなくてもいいのに。お洋ちゃんは実際強いんだから」
お夏は道場には来ていない。何でそう思うの、と訊いた。
「だって、あんなケガしててもまだ稽古するんでしょ? 並大抵のことじゃ出来ないわよ。少なくともあたしは嫌だな、そんなことするの」
「────」
洋子は虚をつかれて、言葉が出てこない。確かにそうなのだ。
「だから、頑張ってるお洋ちゃんは強いんだろうなと思うよ、うん」
「──ありがとう、お夏ちゃん」
洋子はそう言って、微笑した。