るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』番外編 復讐(1)

 おびただしい血が、自分の体から流れたのが分かる。いや、今も流れ続けている。
 月明かりさえあれば、自分とて不覚をとることもなかっただろう。だが今日は昼間から曇り空で、夜ともなれば全くの暗闇だった。そこを囲まれて襲われたのだから、やむを得ないとは言えるのだ。ましてこちらは少なくとも、一人は斬っている。
 そんなことを考えながら、洋子は屯所への角を曲がった。意識が徐々に薄れてくる。まずいな、これはと咄嗟に思った。斎藤さんにどう罵倒されることか。
 息をついた途端、足がふらついて倒れそうになった。杖代わりにしていた刀に支えられてやっとのことで立ち上がるが、屯所の門まで保てばいい方だろう。一歩ずつ歩くしかない洋子の気配に、門番の平隊士が感づいたらしい。近づいてくる。
 急に視界が逆転した。そして、それさえ急速に閉ざされていく。このまま死ぬのかな、などとぼんやり思いつつ、彼女は意識を失った。



 「で、生きてるのか、あいつは」
「一応──脈はあるそうです。ただ、まだ意識が全く──」
翌朝、出勤してきた斎藤は、隊士に洋子のことを聞いて彼女の部屋に直行していた。障子をがらっと開けた途端
「静かにしてください、斎藤さん。絶対安静なんですから」
沖田が強い口調でたしなめた。さすがに物音を立てないように中に入り、立ったまま意識のない洋子の顔を見やる。
 それは、死人の顔のように血の気がなく、青白かった。本当に死んでいるのではないかと、思わせるほどに。無言で見つめる斎藤に
「この前抜刀斎とやり合ったときの傷が、まだ治ってなかったんです」
と、沖田は言った。自分への視線を感じて続ける。
「本人は平気そうにしてましたけど。そこをまた、やられたらしくて」
「──阿呆が」
斎藤はそう呟くと、部屋を出た。何やら分からぬ感情が、煮えたぎっている。

 「どうやら、七人程度の敵に囲まれて襲われたそうです」
「一人は倒して、首領らしい男を傷つけたら敵の方が退散した──そうですが」
「が?」
副長室では、今回の事件について監察たちから土方が報告を受けていた。
「いえ、敵の方は終始無言だった上、覆面をしていたので正体の見当がつかぬとのこと。ですから犯人を捜すのは難しそうです」
「──そうか。分かった、引き続き捜査してくれ」
出ていった監察たちを見やって、土方は息をついた。自分も近藤に報告するために部屋を出たところ、斎藤がこちらに歩いてくるのが見える。
「斎藤君、天城君のところには──」
「行きました」
声の調子が、微妙に普段とは違っている。そのまま通り過ぎようとしたので、立ち塞がるようにして止めた。
「──何か用ですか」
「どうする気だ」
斎藤は、数秒黙り込んだ。そして
「さあ。取りあえず今日はこれから稽古が──」
「演技のつもりなら無駄だぞ」
その台詞に、斎藤は絶句した。土方はまた息をついて、言う。
「──俺が君の立場でも、多分そうする」
斎藤は目を瞬かせた。そして数秒後、幾分普段に戻り
「分かりました。ではこれで──」
「ああ。しばらく大変だろうが頼む」
そう言って土方は道を開け、見送った後で局長室に向かった。

 昼食の頃、洋子の部屋を、永倉新八が訪れた。
「沖田君、天城君の様子は?」
「相変わらず寝てます。意識が一向に戻らないみたいで」
声が、どこかしら思い詰めた印象を受ける。と、軽く咳き込んだ。
「──俺がついてようか?」
「それより、お夢さんに連絡して下さい。昨日この子が帰ってこなくて、多分凄く心配してると思いますから」
「ああ、それなら既にやってる。原田君がもう行ってるだろ」
「そうですか、じゃあ安心ですね」
声が硬い。そう言えばさっきの斎藤もいつもとは違っていた。
「──そんなに思い詰めない方がいいと思うな、俺は。取りあえず五体満足で生きて帰ってきた、そのことを喜ぶ──というか、言葉がみつからんが、とにかくその、昼食抜いてまで深刻に、というかだな」
頭をかきながら必死で言葉を探そうとするが、見つからない。ふう、と息をついた途端、
「とにかく俺はもう昼飯食べてきたから、沖田君も食べてきたらどうだ。怪我人の看護には体力使うからな」
一気に言えた。何だ、と自分に苦笑した永倉に、沖田は
「ええ。でも──」
「ここは俺がついてる。心配しなくていい」
そう言って、ニヤリと笑ってみせる。沖田はふわっと微笑して
「そうですね。じゃあしばらくの間、よろしくお願いします」
その言葉の後、立ち上がって一礼して部屋を出た。見送った永倉は、視線を戻して一息ついて寝ている洋子を見つめ、
「お前も果報者だぜ、洋子。何たって天下の新撰組の一番隊と三番隊の組長が、性格変わるくらいお前の怪我のことを心配してるんだからな。──だから絶対に治せよ」
と、呟くように言った。


 「洋子さんが!?」
「ああ。俺が出てくるまで意識回復してなかったから、かなり重傷だと思うが──」
「そんな!」
お夢は、今にも泣き出しそうな顔である。原田が何とか取りなそうとして
「誰かついてるだろうから、万一のことがあっても──」
「あったら困ります!」
まさしく泣く寸前の声で言った。参ったな、と彼が思う間もなく
「とにかく今からそちらに行きますから!」
そう言って、寺子屋の中に駆け戻っていった。

 洋子さんに、死なれたら困る。
 あの日以来、二人で同居してきた。喧嘩したこともあるが、基本的に洋子さんは私を妹のように扱ってくれた。本当はただのお手伝いさんだから、自分が寺子屋など行けるはずもない。なのに洋子さんは行かせてくれた。自分が命がけで稼いできた金を、私に自由に使わせてくれた。そして、私の居場所も作ってくれた。
 あの時洋子が自分を誘ってくれなかったら、今頃どうなっていたかお夢には見当もつかない。禁門の変後の混乱で、野垂れ死にしていたかも知れないのだ。騒ぎに巻き込まれて、殺されていた可能性も高い。
『──いつだったか喧嘩した後、私が「ここ追い出されたら、島原か祇園で働いて生活しようかな」って言ったら、あの人本気になって怒ったっけ。私に向けてあんなに怒ったのはあの時だけだった』
その場にいない斎藤に向けて怒鳴り散らしたことは数知れずだが、お夢に怒鳴ったのはその時だけである。自分のことをそこまで大事に思ってくれていたとは気づかなかったお夢は、それ以来深く反省して妙なことは一切口に出さなくなった。
「ってか、大丈夫だって。ついた頃には目ぇ覚ましてるかも知れねえし、第一この前来た松本良順って凄い医者がまた治療してくれてるんだから、絶対に良くなるって。そんなに深刻になることでもねえだろ」
走って屯所に向かうお夢に、歩きながら原田は言った。と言っても寺子屋からここまで、ずっと隣にいるのだが。
「大体、あいつがすぐに死ぬようなタマかよ。斎藤に毎日あれだけしごかれて、今じゃ剣腕は俺たちと同等以上だ。それだけ体力や生命力もついてるはずだし、今までだってひどい怪我したけど快復してきたじゃねえか。そりゃあ心配なのは分かるけどよ」
お夢は返事をせず、ひたすら屯所に向かって急いでいる。顔が深刻になっていくのが見ていて分かった。聞いてねえなと舌打ちした原田は
「だから、今は取りあえず生きてるんだって、あいつは。そんな顔するのはホントに死んじまってからでいいだろ。早すぎるってんだ」
そんなことを喋っていると、遠くに屯所の門が見えてきた。門番の平隊士がお夢を見つけて一瞬緊張したが、傍の原田が合図したので一礼して平常に戻った。

 永倉は、駆け込んでくる子供の足音を聞いた。いきなり障子ががらりと開く。子供用の振り袖を着た少女が飛び込んできて、枕元に座りつつ
「洋子さん、大丈夫ですか!?」
「ああ、お夢か。誰かと思った」
え、となって振り返ると永倉がいる。びっくりして
「永倉さん! すみません、失礼しまして──」
「静かに。洋子が寝てるんだから」
お夢は、思わず自分の手で唇を塞ぐ。そして洋子の方を見つめ
「──生きてますよね」
「ああ、脈はある。そのうち目を覚ますだろう」
ふう、と息をついたお夢だったが、そのまま黙り込んでしまった。
「俺は、沖田君が昼食から帰って来たら道場に戻るからな。斎藤君の手伝いもある」
「──はい」
永倉には、道場の方からの音がいつになく激しく聞こえた。
『かなりの荒れようだな。早く行かないと全員叩きのめされるぞ』
心配しつつ、おかしかった。

 「沖田です。入りますよ」
「お、戻ってきたか」
永倉は立ち上がり、入ってきた沖田に席を譲った。
「──ああ、原田さんに聞いたんだね。心配しなくていいよ、僕がいるから」
お夢がいるのに一瞬驚いた沖田だったが、すぐに表情を戻して声をかけた。
「でも、洋子さんの着替えとか何とかはやっぱり──」
「俺は道場に戻るからな。何かあったら呼んでくれ」
ここは二人に任せよう、と思って永倉は部屋を出た。道場の、というか斎藤の様子の方が、今の彼には気がかりだった。

 

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