るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』番外編 復讐(2)

 これは普通じゃないな、と前野は思った。斎藤先生の荒れ方は。
 さっきから、というか今朝から全く手加減なしだ。もともと斎藤は稽古の際も余り手加減しない主義ではあったのだが、それでも師範という立場上、先手は相手に打ち込ませてやるなど最低限の配慮はしていた。それが今日は先手から自分が取り、相手が気を失うまで徹底的に叩きのめしている。実戦さながらというより、下手な実戦より本気で稽古しているのだった。まるで抜刀斎と決闘する直前のようだな、と誰かが言ったのを前野も聞いている。
『まあ仕方ないか。原因が天城先生だからな』
同じ三番隊で伍長を勤めている前野から見ると、天城洋と斎藤一の二人は、口では散々喧嘩しながらも実は仲がいい。特に戦闘時の息の合い方は抜群で、さすが師弟関係としか言いようがない。何のかんの言いつつ、一見しても見えないところで繋がっているのだ。前野は同僚だけに、その付近がよく分かる。そして斎藤の今の心理も。
『素直じゃないというか、斎藤先生らしいというか』
苦笑混じりにそう思う。恐らく人一倍気にはしているのだが、かといってずっと傍にいるのは自分が許さない。つけ上がるとか何とか、口では何とでも言えるのだろうが。
 ひときわ大きな音がして、伍長の一人が壁に叩きつけられる。三番隊の伍長で良かった、と前野は密かに思った。天城洋の代理として平隊士に稽古を付けているので、今日は前野だけは斎藤の被害者にならずに済んでいる。
「──おいおい、斎藤君。やり過ぎじゃないのか?」
そこに永倉が入ってきて、床を見回しつつ言った。
 床では数人が未だに失神状態で倒れており、その場にいる半数以上が疲れ切った様子で座り込んでいる。そしてその中央で、ほとんど息も乱さずに斎藤が立っていた。

 「仕方あるまい。俺がちょっと本気になればこの様だ」
「ちょっと本気、か」
意味ありげに呟いた後、永倉は斎藤に向けて笑って見せた。
「素直に言えよ。天城君が──」
「あいつは関係ない」
台詞の途中で否定され、永倉の笑みは苦笑混じりのものに変わった。
「ま、何はともあれ満足に稽古できる相手がいないと。──俺が相手してやろうか?」
言葉に詰まった様子の斎藤に、永倉は
「師範殿も大変そうだし、手伝ってやるよ。──おーい、平助」
「何だよ、新八っつあん。まさか審判しろってんじゃ」
「そのまさかさ。──あ、断るのか? 平助がそんな冷たい奴だとは思わなかったな」
「分かった分かった、手伝うからそんな顔するなって」
拗ねたような顔をしてみせる永倉に、藤堂は苦笑と微笑が混じったような顔で答えた。そして斎藤に向き直り
「じゃ、始めるぞ。──竹刀でいいのか?」
永倉の得意とする抜刀術、斎藤の牙突、いずれも竹刀向きの技ではない。
「そうだな、木刀にするか」
永倉は自ら木刀を二本取ってくると、斎藤に軽く投げた。受け取った側は竹刀を隅に投げ捨てる。そして二人は、普段つけない面を着けて正対した。
「永倉新八対斎藤一、開始!!」

 号令があってから数秒、二人は身構えたまま一歩も動かなかった。
 いつの間にか他の隊士たちは稽古をやめ、二人の試合を見つめている。二番隊と三番隊の組長同士の一対一など、滅多に見られるものではない。まして今日は二人とも面を被っている。本気の試合になるのは間違いなかった。
 永倉も一応師範格ではあるのだが、普段は道場の隅で斬撃や抜刀術の指導めいた稽古を行なっており、斎藤の平刺突中心の稽古とは気色が違う。模範稽古も斎藤と洋子の間でやるのが通例であり、ために普段は滅多にこの二人は稽古しなかった。その二人がやるというのだから、皆が真剣な表情で見入ったとしても無理はない。
「──行くぜ」
永倉が一瞬笑ったような声で言うと、次の瞬間には突進した。
 木刀同士の、やや低めの衝突音が道場に響き渡る。一秒ほど押し合った後、再び斬り結んだ。その後連続して斬撃が続く。一方が押し切ろうとしたのを他方が受け流して相手の体勢を崩させ、その一瞬に一撃を叩き込もうとするが、受け流された側も即座に反応して相手の斬撃を跳ね返す。そしてそのまま攻撃に転じるも、もう一方も全く同時に木刀を振り下ろし、再び激しい衝突音が響き渡った。
「──今、どっちがどっちだ?」
道場の中央付近の比較的狭い空間を、二人は互いに激しく入れ違って戦っている。もともと背格好も似ているし、面を被っているしで、よく知らない平隊士などは咄嗟に見分けがつかないのだ。
「ああ、えっと──また変わった」
二合打ち合うごとに、位置が変わる。ほどなく汗が服を伝って、床に流れ落ち始めた。
 激しい打ち合いは、まだ続いている。

 こいつは何か考えてるな、と永倉は斬り結びながら直感的に悟った。ただ洋子がいないせいで苛立って、こういう稽古をしてるんじゃない。
「──そろそろ、お互い本気になるか」
言うと同時に、斎藤の斬撃を今までにない力で跳ね返して間合いを取る。数歩後退した斎藤は、永倉が構えを変えたのを見た。他の隊士たちがどよめく。
『──抜刀術、か』
その手で来るなら、こちらも相応に対するしかない。斎藤は木刀を一度軽く振ると、腰を落として左手の刀をぐっと引いて横に寝かせた。右手を刀の先端に軽く添える。
 また隊士がどよめいた。永倉の抜刀術対斎藤の牙突である。
「どう見ますか、前野先生」
「さあ。──一つ確実なのは、今までの打ち合いではお二人の実力が出てないって事だろうな。それ以上は俺の実力だと判断つかん」
『抜刀術は一度かわされたら終わりだが、牙突の場合は次がある。よって総合的には斎藤先生にやや有利──と、言いたいところなんだが。お前らもそれくらい自分で判断できるようになれ。人に解説求めるな』
言いつつ、内心前野はそう思っていた。

 中央の二人は、さっきから微動だにしない。身構えたまま、岩のように動かないのだ。周りも息を殺して、そんな二人を見つめていた。この道場のどこかにいるであろう土方さえ、一切干渉しようとはしない。
『──長く感じるな。そんなに時間は経ってないはずだが』
額の汗を拭いながら、前野は内心呟いた。
 旧暦の六月後半。風もない京都の夏は、本来何もしていなくても暑いくらいである。斎藤も永倉も、面を取れば汗だくに違いなかった。そして風のない暑さは、ただでさえ時間を長く感じさせる。審判役の藤堂がそっと息をついた、その瞬間。
 二人が同時に動いた。双方突進しつつ、永倉が抜刀術で仕掛ける。
 仕掛けられた瞬間、斎藤はカッと目を見開いた。直感的に体が動き、自分の牙突の先端にその刀身をはじかせて刀筋をそらせる。永倉が顔色を変えたのと斎藤の次の攻撃が繰り出されるのと、ほぼ同時だった。
  バシッ!!!
 斎藤の牙突をまともに食らい、永倉は一間ほど吹き飛んだ。

 「一本!!」
藤堂が宣言し、道場が一瞬にして沸き立った。
「すげえ、さすが師範だ。あの抜刀術をかわすとは」
などと平隊士が言う中で、前野や土方は密かにこう思った。
『かわす? ちょっと違うな。あれはそらしたんだ』
 仮に抜刀術をかわそうとしても、牙突の場合には構えが構えなので、敵の刀に当たる面積が通常の斬撃よりも多くなって不利だ。特に添え手である右手の籠手付近が狙い目で、であれば技自体が一撃必殺のこの場合、攻撃は先手に限る。
 が、斎藤は永倉の抜刀術の刀筋を読んでいた。そして高速であるが故に、ちょっとはじくだけで刀筋が大きく逸れることも。だが、高速で仕掛けられる敵の刀に自分の刀をかすらせてはじくのは、文字通りの刹那の機会である。それを捉えきれるかどうか、が勝負の分かれ道だった。
『大体あの系列の技は、本来洋子のなんだがな』
斎藤の「力で貫く」牙突に対し、洋子の『逆牙突』は技巧、というか貫く場所の正確さを重視する。敵が鎖帷子を着込んでいたとき、それごと心臓を貫くのが斎藤、それのない敵の首の部分を狙って突くのが洋子だった。攻撃の起点である手や足を狙うことも多く、攻撃範囲が狭い中であえて一点を狙うという意味では同じである。ただし、土方が内心呟いたように洋子の方がこういう系列の技は本来得意だった。
「──ふう。ああいう手で来るとはな」
そこで永倉が立ち上がり、むしろあっさりした口調で言った。
「しかしお前さん、ありゃあ完全に天城君の技だろ? 弟子の技は使わないんじゃなかったのかい、え?」
今度は、からかうような口調になる。斎藤は常の不機嫌そうな声で
「場面によっては使うさ。特に命がけの時はな」
「──で、二本目以降はどうする気だ?」
藤堂が、割って入るように訊いた。通常の稽古なら三本勝負だが、斎藤の場合は洋子相手だと降伏のみの一本勝負というのが常で、この場合どちらにするかと訊いたのだ。
「さあ。師範殿に訊いてくれ」
「俺は、一本だけで沢山だ。あんな真似が二度成功するとはとても思えん」
「──そうか」
永倉は苦笑混じりに応じた。
「実際、俺も実戦なら今ので戦闘不能だしな。──というわけで平助、終わりだ」
そして後は、普通の稽古に戻る。面を外して置きに行った斎藤に、永倉が声をかけた。
「一度きりの命がけの勝負か。稽古でやるようなもんじゃねえな」
「──何が言いたい」
斎藤の問いに、永倉はニヤリと笑って
「ま、お前の考えてることはお見通しってことだ。口でどう言おうとな」
「──ふん、好きにしろ」
斎藤は面を軽く投げて置くと、道場に戻った。

 

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