るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』番外編 復讐(3)

 それから数日経っても、洋子は目覚めず、犯人の手がかりもつかめなかった。
「ったく、阿呆が。いい加減に目を覚ませ!」
「静かにして下さい、昨日から熱あるんですから!」
朝、出勤してきて直行で洋子の部屋に入るなり苛立った調子で怒鳴りつけた斎藤を、既に部屋にいた沖田が押さえている。どうやら昨夜はお夢と二人で泊まり込んだらしい。
「──熱? 夕方俺が来たときには──」
「あの後出たんです。触ってみますか?」
沖田の口調にも苛つきがある。疲れているのだろう。
「──いや、いい。見れば分かる」
息が荒いし、額には濡れ手ぬぐいが置かれている。どうやら傷口から熱を持ったらしい。
「それよりお夢は?」
「僕の部屋で仮眠取ってます。あの子が一番疲れてますからね、間違いなく」
この数日、お夢はほぼ付きっきりで洋子の世話をしていた。時折永倉や藤堂、原田に井上などが一刻ほどずつ交代してくれるのだが、一昨日までの夜は一人で見てきたのだ。
「──だろうな。では、俺は仕事に行ってくる」
「この数日、特に稽古が厳しいそうですが、ほどほどにして下さいよ」
「あの程度で根を上げる奴らが悪い」
最後だけは、普段の調子に戻って会話を交わした。



 顔を隠していた布を外して床に投げたのは、少年と言っていい年頃の者だった。扉を開け、奥に入る。再び閉じて大きく息をついた。
「何を考えているのだ、翁は」
その暗く閉ざされた空間で、少年はそう呟いた。
「蒼紫様──」
目の前では般若の面を被った男が、跪いている。
「──俺には、京都側の考えていることはよく分からんが」
と、蒼紫は不満げに言った。
「江戸城には、江戸城なりの流儀がある。不始末には責任を取る、という流儀が」
畠山静の一件は、江戸城側にとって不始末以外の何者でもない。ああいう形で自分が会うまで、静は病死した人間だった。そして剣を習い始めてたった半年の彼女に、物心ついた頃から武術や特殊能力を身につけてきた自分が負けたこと。静の、そしてその保護者たちの能力を、明らかに過小評価していた。
 そして今回の一件。御庭番衆は、彼女に新たな暗殺の手がのびているのを、事前に察知すら出来なかった。監察方の捜索活動を妨害している翁がどういうつもりか蒼紫には分からないが、少なくとも彼女の最も身近にいる者が行動を起こすのを妨害する筋ではない。江戸城側の認識では、畠山静の身柄は既に新撰組側に委ねており、今更奪回や殺害を計る必要もないのだ。
「ただ、姫が敵の手に落ちたりならず者に殺されたりせぬよう、必要とあれば自ら活動すべしということだけでな。彼らを妨害して何になる」
姫の危険が増すだけだ、と蒼紫は言い切った。そしてしばらくの間、黙って何事か考えている様子だった。やがてふと顔を上げ
「般若」
「はい、蒼紫様」
「今から手紙を書く。あの男に渡してくれ」
「──はい」
蒼紫はその空間に、自分で明かりをつけた。その下には机がある。
「──あの姫は、剣を習い始めてわずか半年で俺を倒した、そういう方だ」
むしろ、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
「そして、今の生き方をご自分で選ばれた。──負けた人間が、どうしてそれを妨害することが出来よう?」

 翌日の夕方。帰宅途中の斎藤は、妙な視線を感じた。
『──何者だ?』
洋子が目覚めない状況下では、彼女を襲った目的さえはっきりしない。最初から彼女個人を狙って襲ったのか、新撰組や幕府側の人間なら誰でも良かったのか。他の者の証言では襲撃側もあちこちの訛りが混じっていたらしく、どこから命令が来たのかさえ分からない状態である。そのため他の隊士たちも警戒していた。
 ひょっとしたら同じ一派かも知れないと思い、斎藤は歩きながら辺りの気配を伺う。視線の源を探り当て、必要とあれば斬るつもりだった。気づいたと悟られないために手は開けているが、事実上臨戦態勢である。
『──後方の脇道──入ったか』
問題はこれから敵がどう動くかだ。やや歩みを落として店を見物している振りをしながら、気配を探り続けた。いったん遠のいた気配が、また接近してくる。
 斎藤が急に駆けだした。脇道に飛び込み、抜き打ちで一太刀浴びせ──るはずだった。敵がその刀を、白刃取りしていなければ。

 「何者だ、貴様は」
相手は一見、普通の町人である。それが完璧と言っていいほど見事に、自分の斬撃を白刃取りで受け止めていた。斎藤の声は険しい。
「──静姫を襲った者たちに関する情報、欲しくないですか」
小声で言われ、斎藤は無言で相手を睨んでいたが、ややあって刀を引いた。相手は心なしかほっとした様子で懐から手紙を差し出す。受け取ったと同時に消えた。
「──……」
斎藤は消えた男のいた場所を数秒見ていたが、何も言わずに手紙を懐にしまった。

 御庭番衆も今回の件では一枚岩ではないらしい、と斎藤は思った。
 静という名前を知っていたあの男は、明らかに人目を避けていた。その名前を知る者は、当の本人とその従兄弟を除けば、試衛館時代から居候してきた仲間と御庭番衆くらいのものである。他人には無意味なのに、何故人目を避けるのか。身内に聞かれることを恐れてとしか考えられない。
 手紙には、洋子を襲った一党の個々人の経歴や本拠地などが記されており、目的についても「恐らくこの前の暗殺未遂事件絡みで、実家の京都側の代理人が新たに依頼したのだろう」と書かれていた。新撰組の伍長を殺せば勤王派気取りできるから、腕の立つ浪士どもはすぐに乗ってくるのだと。
「この経歴は信用出来んが、本拠地の方は間違いなさそうだな」
「何の話です?」
女の声がした。同棲しているお妙が声をかけてくる。
「いや、何でもない。仕事の話だ」
斎藤は、家では仕事の話はほとんどしない。直属の部下の天城洋が重態であることさえ、言っていない。それ以前に、天城洋が実は女であることや彼女の過去も語っていない。ただ、江戸の試衛館時代によく剣を教えてやっていたとだけは言ってある。
「ただ、明日は遅くなる。帰って来れない可能性もある」
「お仕事ですか」
「そういうことだ」
こう言っておけば深入りしない。繕い物を始めたお妙に、斎藤はそっと息をついた。

 「──洋子は、まだ意識が戻らないのか」
「ええ…。皆さん心配して、しょっちゅう見に来るんですけど」
出勤直後と帰宅直前には斎藤が必ず来るし、永倉・原田・藤堂は暇を見つけて一日一回は必ず顔を出す。お夢や沖田、更には師範としての仕事で昼間は来られない斎藤の代わりに数時間ほど世話をすることも多く、色々薬を買ってきたり医者との繋ぎをしたりするのは井上の役目だ。昨日は早速、化膿止めと熱冷ましの薬を買ってきてくれた。
「しかし弱ったな。こいつが目覚めないことには」
土方の台詞に重なって、道場から凄まじい音が聞こえた。
「──斎藤君が、落ち着いてくれない」
洋子がこういう事態になってから滅多に道場に出ていない沖田は、同意するのに若干の時間がいった。気疲れで、頭の回転が鈍っているのもあるだろうが。
「そのようですね。けどさっきの斎藤さん、少し落ち着いてましたよ」
「そうなのか?」
「ま、昨日に比べたらですけどね」
沖田の言葉に、土方は部屋を出てからも思考を巡らせていた。

 夕方、洋子の部屋を出て自室に戻った斎藤は、障子の前で呼び止められた。
「斎藤先生」
「──前野」
声の主の姿に、斎藤は少し驚いた様子である。
「三番隊のことなら、俺に任せてください」
前野の言葉に、斎藤はその瞳を見つめた。
「天城先生ほど信用は出来ないかも知れませんが、俺だって一応伍長ですから。お二人がいなくなったときの代理くらいは出来ます」
「──あの阿呆よりはお前の方を信用してるぞ、俺は」
斎藤の台詞に、前野は苦笑する。この人はいつもこうなのだ。
「ですが、天城先生だから復讐しに行くんでしょう?」
今度は、相手は無言だった。前野は続けて
「いいんですよ、俺は裏方ですから。雑用は引き受けます」
「雑用とは思ってないさ。──だが」
「今は、天城先生の方が大事、と」
「少し違うな」
言い切った斎藤は、数秒間をおいて語り始めた。
「あいつは、不幸な星に生まれついた人間だ。実家から売られて、売られた先でも虐められて捨てられた。それを拾ったのが沖田君だった」
前野は、こうした話を聞くのは初めてだった。
「ま、その後色々あって俺が剣を教えることになったんだが。──あいつには、俺も鬼か悪魔のように見えてるらしい。こういう時でないと、証明する機会がない」
俺は、お前を売ったり捨てたりした奴らとは違うのだと。使えないからと言って、決して放り出したりはしないと。
「だからこれは、俺自身の問題だ。──あいつの怪我に気づかなかった、俺の」
「──分かりました」
前野は言った。こいつは叶わないな、と思いつつ。
「でも、どっちにしてもお二人がいない時の三番隊の統括は俺がやりますから。こっちのことは心配しなくていいですよ」
「分かった。頼む」
そう言って、斎藤はその場から立ち去った。

 

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