るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』番外編 木津屋騒動(2)

 「斎藤さんって、そんなにひどいことやってるんだ」
「そうですよ。雪乃さんには優しい素振りしてますけど、裏ではもうひどいひどい」
いつの間にか斎藤の話になり、洋子が雪乃に愚痴っている。いつの間にか雪乃の丁寧語は取れていた。
「一度とか、竹刀でぶっ叩かれて起こされましたからね。おまけに毎日の稽古ときたら全然手加減しないんです。もう傷だらけで、ほら」
洋子は腕を見せた。片腕だけで数カ所打ち身の傷がある。
「だから、雪乃さんも警戒してた方がいいですよ。斎藤さんはいつ本性見せるか分かりませんからね。仮面に騙されないように」
確かに斎藤の自分に対する態度と、洋子に対する態度にはかなり開きがある。そう思ってふと先日の不愉快な出来事を思い出した。
「そう言えば、私が文学師範に成り立ての頃。人が折角字を教えて上げてるのに、斎藤さんってばニヤついてるんだから。あの時はホントに腹が立ったわ」
「それって、すっごい失礼ですよ。自分がそうされたら絶対竹刀で脳震盪起こすほどぶっ叩くくせに、人に対してはそれですもんね。まったく」
人間失格、とさえ洋子は言い切った。
「私だったら、絶対そんなことした奴は部屋から出させますね。相手が誰でも」
「じゃあ、今度斎藤さんがそういうことやったら私も部屋から出そうかな」
それくらいやって当然です、と洋子は応じ、更にこう付け加えた。
「もし拒否したら、隣の部屋からでも私を呼んで下さい。協力しますから」

 斎藤さんの好きなものって知ってます? と洋子が訊いた。
「知らないわ。お酒が好きってのは知ってるけど」
「かけそばですよ。──これがまた大変でしてね」
味が薄いと言ってはしょう油を持ってこさせ、容器半分ほどをドバッと自分のソバにかけるのだ。確かに多少薄味なのは洋子も分かるが、容器半分はないだろうと思う。
「大体容器半分もかけたら目立つ目立つ。店中の注目の的ですよ。店の主人は睨みつけるし、私なんか恥ずかしくてもう、二度と同じ店には行けませんよ」
「そう言えば、ここの女将さんも斎藤さん用に特別濃い味の料理作ってるって聞いたわ。こんなののどこがいいんだろ、とかぶつぶつ言いながら」
やっぱり、と思う。彼のあの濃い味好きは異常だ。
「で、それって特別に代金取るんですか?」
「まさか。取れたら苦労しないんだけどねって、女将さんぼやいてたわ」
「あ、それ絶対取っていいですよ。大変ですもん、一人だけ特別に作るの」
葵屋にいた経験から、その付近は何となく分かる。
「あと、斎藤さんって酔うと暴れません?」
言われて雪乃は記憶を巡らせたが、思い当たる場面はない。というか酒が好きという割に、木津屋では飲んでないような気がする。
「へえ、そうなんですか。私と飲みに行った時とかひどいんですから」
一升開けるのはざらで、しかもその後必ず刀を持って暴れる。そう長い時間ではないから洋子が相手しているのだが、おかげで彼女自身は酒が満足に飲めない。
「ああいうのを内弁慶って言うんじゃないですか、ホントに。あの人私のこと何だと思ってるんでしょうね。ああもうむかつく」
相変わらず、洋子は斎藤には一回も勝ったことがない。井上、藤堂といった幹部には結構勝っているのだが、癖を知られているだけに勝てないのだ。
「そう言えば、洋子さんってここで酒飲んだことあったっけ」
「いいえ、ほとんどないです」
「じゃあ今度一回、斎藤さんと一緒にここに来たら? 斎藤さんもここではあんまり酒飲まないみたいだし、ゆっくり飲めるかもよ」
「ついでに二人で斎藤さんをいじめ抜きますか。酒の肴に」
賛成、と雪乃は言って笑いあった。

 更に話は展開して、斎藤の教養の話になった。
「大体、さっきの話だと斎藤さん、百人一首の存在も知らないんでしょう? 偉そうに師匠面するんじゃないって」
「そうねえ。別に古今和歌集を暗唱するんじゃないんだし、ちょっと幻滅よね」
「そうそう、あんな無教養な人に負けるなんて自分が恥ずかしいです」
もう、かなり言いたい放題である。外が暗くなるのも忘れて話し合っている。
「それで、どこをどうやればあの人をあんな風に出来るんですか?」
洋子はちょっと真顔で訊いた。斎藤を一度でいいから自分の思うとおりに操ってみたい。
「うーんとねえ、それは……」
 「雪乃ちゃん、今日お客が来るから夕食早めに食べててくれる?」
と、そこに下から女将の声がかかった。ふと周りを見回すと、夕日は見えなくなっている。ちょっと喋りすぎたか、と思っていると
「洋さんも食べなよ。まだ話したいことあるんだろ?」
というか、話さねばならないことがある。洋子は表情を改めていた。

 「雪乃さん、夕食食べ終わったらちょっと新撰組の屯所に行ってて」
と、彼女は切り出した。ここが戦場になるかも知れない。
「──ああ、長州系浪士の宴会でしょう。大丈夫ですよ」
声の雰囲気が変わったのを自然と察したのか、雪乃にも敬語が戻る。
「大丈夫じゃないって。巻き込まれて死んだ人もいるんだから」
完全に立場が逆転している。食事を急いで食べながら
「前の誘拐騒ぎどころじゃないわ。浪士たちと三番隊との戦場になる」
「大丈夫ですよ。戦い始まったらどこかに隠れますから」
隠れると言っても、と洋子は思う。もし手当たり次第に押し入れや天井を突かれたりしたら命に関わる。それに、何かの拍子に刀がそこに刺さらぬとも限らない。
「第一、途中には斎藤さんが来るんでしょう? それまで籠もってれば後は何とかしてくれますよ。心配しなくても大丈夫ですって」
「でも…」
茶の最後の一杯を飲み干し、洋子は心配げに息をついた。
 「じゃ、取りあえずお膳を片づけてくるから」
そう言って部屋を出て、階段を下りる。もう外は真っ暗だった。
 玄関を通って台所まで行き、お膳を女将に渡して再び玄関に戻った瞬間。
《まずい!》
一気に階段を駆け上がり、二階のさっき自分たちがいた部屋に駆け込んだ。
「雪乃さん、そこの押し入れに隠れて!」
「え、ど、どうしたんです?」
「いいから早く!」
お膳を踏み倒しかねない勢いで、洋子は雪乃の手を引いて押し入れを開け、力任せに押し込んだ。そして襖をぴしゃりと閉める。
「私がいいって言うまで、ここでじっとしてること。いい」
返事は聞いてはいない。大小をはめ、階段の上の方で入ってくる人影を待っていた。
《──間違いない。あの二人だわ》
それは、つい先日再会を果たした二人だった。
 と、入り口で入ってこようとした人影の一つが止まった。傍にある階段の上の方を見上げる。洋子と目があった。
「久しぶり、というほど前から時間は経ってないね。緋村に桂さん」
一年半前に別れたときにはなかった十字傷が、彼の空白期を忍ばせる。
 客は、緋村抜刀斎と桂小五郎だった。

 

 「──下がっていて下さい、桂先生」
ゆっくりと階段を下りてくる相手を見据えながら、剣心は言った。
「室内だと何だから、外に出ない? 私とあんたでさしの勝負」
「結構だ」
剣心とて、無関係の市民を敢えて巻き込む気はない。何にしてもこれで雪乃さんは安全だなと思いつつ、洋子は相手に続いて路上に出た。
 双方身構える。洋子は『逆牙突』、剣心は無形の位だ。歩いていた市民がワッと声を上げて一斉に散った。それを横目で見て
「行くよ」
彼女は突進した。串刺しにした、と思ったときには相手がいない。
「上空か!」
この時、牙突参式はまだ完成されていない。咄嗟に洋子は刀の刃で剣心の龍槌閃を受け止めた。刀同士が衝突しあい、手が痺れる。が、次の瞬間
「くっ…」
洋子は右肩から脇にかけて鋭い痛みを感じた。構わず地上に降りた瞬間の剣心に突きを加える。軽いが確かに肉を突く手応えを感じ、そのまま更に一突きをしようと瞬間刀をひいたとき、相手は間合いの外に飛び下がった。双方傷自体は深くないものの、傷口から流れる血が早くも服を濡らしていた。
 次の瞬間、剣心が一気に間合いを詰める。龍巣閃だなと予測し、こちらも身構えて突進した。乱撃の間を縫って鋭い突きを入れ、数秒後には双方ともに飛び離れた。肩から胸にかけて、洋子には切り傷、剣心には刺し傷が幾つもできている。息が荒い。
《──刻五つには、まだかなり時間があるな…》
逆牙突の構えのまま、洋子は内心思った。斎藤や三番隊が来るまで、この場を持たせねばならないのだ。半月前の月が西の高い空に出ており、星もあるが、木津屋の明かりと比べると遙かに暗い。その明かりにしても敵の様子を知るに充分ではないが。
 剣心がまた攻めて来る。どうやら会合のこともあって焦っているらしいなと洋子は思ったが、その旋回しながら突っ込んでくる様子に目を剥いた。
「龍巻閃・旋!!!」
相手がどんな技で来ようと、洋子には一つしかない。この場合、逆牙突で相手が突っ込んでくるのを逆に串刺しにするか、それともこちらが腹を斬り裂かれて絶命するかだ。彼女が突進したところ、剣心は旋回を止めて牙突をかわした。横薙ぎに転じる刀をかわす動きをそのまま攻撃につなげる。
《しまった!》
龍巻閃の直撃を喰らう、と思った。が次の瞬間、剣心は飛び離れてそこにはいない。代わりに突きの切っ先が、視界の隅にあった。
「下がれ、洋。こいつは俺がやる」
聞き慣れた声に、肩越しで視線を向ける。
「──随分早かったですね、斎藤さん」
斎藤一が、この場に姿を見せた。

 その頃、押し入れに隠れていた雪乃は。
「なんか臭いな、焦げたような匂いが…」
襖を開けても敵はいない。なーんだ、と思って
「ちょっと台所行って見てこようっと」