るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』番外編 木津屋騒動(3)

 「お前は、桂小五郎の相手でもしてろ。こいつは俺がやる」
「他の隊士のみんなは、どうしたんです?」
既に、剣心と斎藤の間で睨み合いが始まっている。
「この付近を探索させてる。多分数人は捕まるだろう」
ふう、と洋子は息をついた。
「何をしている。早く行け」
と、入り口で立っていた小五郎がゆっくりと歩き出した。現在彼女たちがいる場所よりも更に木津屋から離れたところに行く。刀は腰に差したままだ。
「──分かりました」
もう一度息をついて、洋子はその場を離れた。

 「剣を抜いて下さい、桂さん」
自分自身は身構えて、洋子は言った。丸腰の相手を斬るのは気が進まない。
「いや、いい。剣客としての私は、もう死んだ」
目を瞬かせる彼女に、小五郎は応じて
「緋村が十字傷とともに負った、心の傷のために」
え、と思い、相変わらず斎藤と睨み合いを続けている剣心の、十字傷を見つめた。
 彼の傷は、人斬りとして敵を斬ったときに出来たのだと思っていた。心の傷とは関係がないと。だが小五郎は、呟くように説明する。
「──あの傷は、緋村が自分の妻を斬殺したときにああなったんだ。婚約者を殺されて、自分に復讐をしに来た女性……。その女性が緋村を愛してしまい、緋村を庇って死んだとき、不可抗力でな。──その暗殺を命じたのは私だ。だから刀を抜くことは出来ない」
「──そうだとしても、私が貴方に剣を向けるのを止める理由にはなりませんよね」
「まあそうだが。私にも、よける権利はある」
洋子は改めて身構える。相手は練兵館時代、敏速神のごとしと言われた男である。本気でやらなければ、傷一つ負わせることは出来まい。
「──行きます」
洋子は突進した。小五郎が紙一重でかわしていく。

 

 「雪乃ちゃん、ごめんよ。ちょっと料理に失敗してさあ」
裏口から入った台所は煙がもうもうと立ちこめ、魚やみそ汁が焦げたような匂いがする。
「外が騒がしいから様子を見に行ったら、その間にこれだよ。あの調子じゃあ宴会どころじゃないだろうけど、残りをうちらで食べられもしない」
勿体ない勿体ない、と女将は言った。外からは金属音が時折響く。
「じゃあ、取りあえず窓を開けて煙を外に出しましょう。焦げちゃった魚も捨てて」
そう言って、雪乃は甲斐甲斐しく手伝いを始めた。魚は捨てると言っても木々の根元に置いておくだけだ。七輪から箸で真っ黒焦げの魚を取り出し、一切れずつ外に運び出す。何切れ目かを運び出したとき、一際高い金属音がした。
「何だろ、今の音──」
表通りに向かう。そこで雪乃が見たのは、殺し合いをしている斎藤と剣心だった。

 《──あれが斎藤さん──?》
いつもの彼ではなかった。目の前にいる彼は、まさしく狼。あちこちから出血し、刀も血に濡れているが、それより何より気配が違う。ぞっとするほど冷たい目、狂気の混じったような雰囲気。殺人者というのは、時にこんな顔になると言うが…。
 雪乃が見ていると知ってか知らずか、一旦離れた二人はまた戦い始めた。
 怒号にも似た叫び声が上がり、金属音がして火花が散る。雪乃にはよく見えないが、血や汗が飛び散って地面を染めていた。
「!!!」
たまたま今、店の明かりでチラッと見えたのだが斎藤は口から血を吐いている。雪乃は不安で仕方がなくなっていた。もしかすると、斎藤さんが…。
 更に戦いが続き、敵の少年の姿がふっと消える。視線をさまよわせていると上空に気配を感じた。咄嗟に飛び出す。
「斎藤さん、危ない!」
「雪乃さん、来たらダメ!!」
声を聞きつけ、更に視界の隅で駆け寄ってくる女性を見て、洋子はそう叫んだ。今の斎藤に、恐らく雪乃の存在に構っていられる余裕はない。となると…
《緋村を止めるしかない!!》
「飛天御剣流・龍翔閃もどき!」
一年半以上前に見たきりの技で、細部など無論覚えてはいない。ただ現状では、対空迎撃用に使える技としてはこれしかなかった。刀を横に倒し、飛び上がって、落下する剣心の龍槌閃と真っ向からぶつかり合う。こういう形での迎撃は予想外だった相手は、刀同士が衝突した瞬間に体勢を崩し、洋子とともにもんどり打って落ちていった。

 「──洋さん、大丈夫ですか?」
雪乃の声が聞こえる。どうやら無事だったらしい。
「お前と違ってその程度で死ぬような奴じゃない。放っといても自然に目を覚ますだろ。人の戦いに割り込みやがって、この阿呆が」
斎藤の、相変わらずの口調も聞こえる。むかついたが今起きると相手の思うつぼなので寝たふりをしていた。と、彼らとは反対側から立ち上がるような物音がする。
「さて、改めて決着をつけるとするか」
「ああ。お互いにな」
歩くような音に離れていく気配。雪乃が立ち上がるのを感じてヤバいなと思った洋子は、一気に起きて彼女の前に無言で立つ。巻き添えだけは避けねばならない。
「行くぞ」
斎藤の一声に、剣心が応じた。再び戦いが始まったと同時に雪乃は洋子から離れていく。
 雪乃はひたすら斎藤の身が心配だった。あれだけ出血して、それも吐血までして、普通なら無事なはずがない。今度敵の少年の攻撃を食らえば、命に関わる。そして過去の斎藤が死ねば、未来の「藤田五郎」を名乗る斎藤が生きているはずがないのだ。
 と、斎藤が攻撃をしかける。剣心も応戦し、凄まじい戦いになった。何合か斬り結んで飛び離れた瞬間、剣心が地面に刀を入れる。
「土龍閃!」
しかもそれに混じって、剣心が旋回しながら突進してくる。
「斎藤さん、あぶ…!」
「雪乃さん!」
いつの間にか二人の間が離れている。走り出す雪乃を見て、洋子は攻めてくる剣心に横から突きを食らわせた。斎藤は本気になると敵しか見えない。巻き添えが何人出ようとお構いなしなのは、共に戦っている洋子が最もよく知っていた。
 とっさに相手が飛び離れる。次の瞬間
「緋村! あんたその十字傷と同じ傷を、他人に負わせる気!!?」
こうなったら敵の良心に訴えて、この場を去らせるしかない。洋子はそう怒鳴った。相手の表情が明らかに変わる。
「戦いたいならいつでも応じてやるから、ここは退いて!!」
「──緋村、帰るぞ」
と、小五郎が言った。戸惑う剣心に続けて
「もう会合どころではないだろう。となれば用もない」
そう言って、すっと背を向けた。剣心は雪乃と斎藤と洋子の三人を交互に見て、黙って背を向ける。駆け出して小五郎に並んだ。
 「──雪乃さんさあ」
と、見送った後、一息ついて洋子は言った。
「斎藤さんは百回殺しても死なないんだから、いちいち飛び出さなくても大丈夫だって。死神さえ逃げるって、新撰組でも有名なんだから」
と、刀の鞘がかなりの勢いで、振り返った彼女の顔面に衝突した。
「それを言うなら、貴様は千回叩かれても懲りんだろうが」
「懲りるような悪いこと、やってませんからね」
平然と応じる洋子を見て、雪乃は笑い出した。

 

 その後三番隊の残りが来て、傷の応急処置を済ませた後洋子と斎藤はひとまず屯所に戻った。どうせ他の組長はいないだろうと思っていると、いるわいるわ。
「よう、斎藤。文学師範殿と木津屋で密会してたんだって?」
原田がからかうように声をかけた。斎藤は無視して中に入る。
「ま、浪士どもとやり合う羽目になったのも天の報いだな。俺たちには急用を思い出したとか言っておいて、師範殿には非番だもんなあ」
「──どこから聞いた」
さすがの斎藤も顔色を変えた。洋子は戻っていないはずだ。
「あれ、知らねえの? 永倉の奴がくじで負けた罰に、木津屋に行ってたんだよ。師範殿を連れて来ようってんで」
「──!!」
巻き添え喰らうのはごめんだ、とばかりに洋子はそっとその場を離れた。斎藤はそんな彼女にも全く気づかず
「そしたら洋が現れて、聞けば斎藤がいるって言うじゃねえか。しかも…」
「永倉! 貴様、どこにいる!?」
怒りの形相で呼ぶ。呼ばれた本人はゆっくりと部屋から姿を見せた。
「おう、斎藤。ご苦労さんだったな」
「そんな話はどうでもいい。どういう…」
「ほう。百人一首知らないこと、喋るぞ」
ぐ、と文字通り言葉に詰まる。永倉は平然と
「あと、師範殿の前だと猫被って酒飲まない話とかな。洋も可哀想に」
「──」
反論できない。あの二人が俺のいない間に喋ったことを聞きつけたに違いないが。
「それにだ。何でもお前、自分が素養ないの棚に上げて、師範殿が習字教えてくれる時ニヤついてたそうじゃないか。こういう事をやる奴は武士の風上にも置けん」
確かにそうだが、自分としての意味合いはかなり違う。
「更に、そば屋に行くと容器半分もしょう油ぶっかけて食ってるんだろ? 木津屋でも特別に料理作って貰って……。追加料金くらい払ってやれよな」
「──」
「ま、自業自得だ。大人しく最後まで俺たちと行動してればいいものを」
「自業自得ってよ、斎藤」
原田にダメを押され、肩を落として斎藤は自室に戻っていった。
 襖の向こうから、『斎藤組長』をネタにして笑っている声が聞こえる。