るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』番外編 それぞれの事情(1)

 沖田の紹介で入隊してきた新入り隊士は、なかなかの美男子だった。
「白野 楓か。変な奴ね」
妙によそよそしい。顔は屯所周辺の娘たちが噂するほど美男子なのだが、同僚たちとはほとんど会話も交わさず、仕事が終わればさっさと自室に帰って眠りにつくという。
 今は井上源三郎の下の伍長とは言え、洋子はかなり長い間見習い隊士の世話役だった関係で、新入り隊士の情報が入って来やすい立場にあった。元同僚の一人に彼についての話を聞いたところ、そういう返事が返ってきたのである。
 変な奴、と洋子は言ったが、無論上方の人間としてはの話だ。江戸では剣術の達人には無口な者が多く、そういう人間が師匠だったとしたら弟子の楓も影響を受けて無口になるかも知れない。ともかく年齢は彼女とほぼ同じという面で、周平に続いて気になる存在がまた増えたことになる。しかも剣の腕は助勤級と同等だという。
「沖田さんも、人が良すぎるからなあ」
楓は京都近郊の出身だというだけで、経歴など一切分からない。僕が責任を取るからと言って入隊を認めて貰ったのだが、もし長州や土州の密偵だったらどうなるのか。仕事は人並み以上にこなしているが、気に入らない。
「ちょっと手合わせしてみようかな」
最近では、洋子の腕も助勤の半分とは互角に渡り合えるまでになってきた。そう無惨な負け方はしないはずだし、ちょっとやってみるかと思って道場に向かった。

 「おおっ!」
道場の中から、声がした。どうやら模範試合をやっているらしく、開けっ放しの道場では周りに人だかりが出来ている。それを何とかかき分けて見える位置まで進むと、斎藤と楓が戦っていた。得物は木刀だが、気迫は真剣そのものだ。
 無言で突進する斎藤を、楓は待ち受けていた。最初の刺突の一撃を紙一重でかわすと、続く横なぎを受け止めてみせる。そのまま刀を擦りあげて斬りつけようとするが、そうはさせまいと斎藤も切っ先の方向を変えて突きおろす。瞬間楓は飛び離れ、反動を利用して再び接近戦を挑んだ。今度は乱撃で、連続して木刀同士のぶつかり合う音がした。
《──あの太刀筋、どこかで見た記憶が……》
洋子は記憶を探っていた。もうかなり前に、間近で見て、実際に戦った記憶も……。
《緋村と同じ、飛天御剣流だ!!》
思わず口走りそうになったのを慌てて我慢し、彼女は改めて二人を見やる。となるとさっきの乱撃は龍巣閃だ。そして今度は、龍…
   バキッ!!!
 またしても二人の刀が衝突し、双方とも木刀が真っ二つに折れて切っ先が飛んでいってしまった。はあはあと肩で息をし、なおも睨み合っている斎藤と楓に
「そこまで。刀が折れてしまっては戦えませんからね」
そう沖田が宣言する。ほっとしたのと感嘆とが混ざり合ったどよめきの中、二人は一礼してその場を離れた。と、土方が洋子にそっと声をかける。
「奴の流派、飛天御剣流と言うそうだ。知っているか?」
他の隊士とは反応が違うのを、目ざとく見つけていたらしい。洋子も小声で
「ええ。別の使い手を知ってます」
とだけ応じ、楓の方に向かった。

 「白野君、だったっけ。凄いね」
洋子が声をかける。騒ぎが終わってすでに稽古を再開した後だ。
「いえ、未熟者です」
「謙遜しなくていいよ。斎藤さんの剣の腕は、私が一番よく分かってるから」
一礼した楓に、洋子は言った。息を入れて笑顔で
「話は変わるけど、比古清十郎って知ってる?」
「はい。私の師匠です」
「じゃあ、兄弟子か誰かに緋村剣心っていなかった?」
咄嗟に黙り込み、相手を鋭い目で見据える。やっぱりね、と洋子は思った。
「さっきの技は龍巣閃でしょ? 違う?」
そこまで言われては、楓も観念するしかない。ふう、と息をついて
「──剣心を、ご存じでしたか」
「まあね。彼が長州に行く前、一緒に修行してた」
私も新撰組に入る前だったけど、と付け加えて、楓の反応を伺った。

 「緋村は拾われたって言ってたけど、君も?」
「はい。師匠は子供も奥さんもいませんから」
短く頷く。聞かれたくない過去があるのか、楓はやや話をずらした。
「そう。で、やっぱり比古さんと喧嘩して?」
洋子としても、相手の過去を追求するつもりはない。関係のある話に移した。
「──はい。夜逃げのような形で出てきました」
どこまで知っているのか、と思いつつ楓は答える。どうせ剣心が喋ったのだろうが。
「そう。まあ、そっちも色々あるだろうし。君の腕なら伍長以上には確実になれるだろうから、頑張ってね」
洋子はそう言ってその場を離れ、平隊士たちの指導に当たる。黙って見送り、二条城から戻ってきた副長の迎えに出る楓の胸中は複雑だった。
 頑張って、と言われてもと楓は思った。自分は緋村の後を追って比古清十郎の下を出た。そして緋村と同じ側にいた人間なのだ。しかも京一郎さんという先輩を殺され、何を誤解したか自分が彼と戦っていると思ったらしい沖田に引き取られた。斬り抜けられるものならそうしたかったのだが、何しろ新撰組の精鋭が五人余りもいては殺されるのがオチである。情報を持って帰れば拒否はされまいと思って、こうしているのだが。
《とは言え、あれでは脱走は至難の業だな…》
さっきの模範試合を思い出した。今江戸に下っている近藤、留守を守っている土方、山南は実戦には滅多に出ないから除外するとしても、沖田のみならず永倉、斎藤といった助勤も剣腕は自分とほぼ互角だ。取り囲まれれば恐らく勝てない。
 ため息をついた楓の耳に、いきなり大声が聞こえてきた。
「そんなに人の教え方に不満があるなら、自分で直接教えればいいでしょうが!!」
天城 洋とかいう、さっき自分に話しかけてきた少年の声だ。
「大体斎藤さん、いつも真ん中でぼけーっと突っ立ってるだけじゃないですか。いつから道場主みたいに偉くなったんですか。沖田さんでさえ直接教えるの手伝ってくれるのに」
「阿呆。それとこれとは話が別だ。それにさっき手本は見せた」
斎藤が面倒そうに応じる。洋子は更に食ってかかった。
「ああ言う形で手本を見せるのと、実際に教えるのとは手間が違います! 色々気も使いますし、ずっと動いてるから体力も使いますし。ホントにもう…」
『またか』というのが、楓たち平隊士以下の実感である。いや、この場合洋子以外の全員が似たような思いだろう。特にこの数日は。
「──刺突の受け手くらいは、多少疲れてても出来ませんか?」
沖田が唐突に言った。無論斎藤にだ。
「基本的な型の指導は僕と天城さんがやるにしても、そろそろ実戦段階に入った人もいますからね。専門の受け手がいるでしょう」
「──分かったよ、沖田君。君が言うならそうしよう」
以後、かなりの隊士が洋子と斎藤の間を十度以上行き来することになる。

 それから数日経った、ある夕方。宿直なので食事を食べに出た洋子と楓は、そこで互いの師匠の不満をぶつけ合って盛り上がっていた。
「そうそう。それにさ、何かあればすぐぶっ叩くし」
「問答無用で脳震盪ものですからね。こっちだって理由があるのに」
「でもって阿呆だのバカ弟子だの言われるし。災難だよね、こっちとしては」
飯をかき込みながら喋りまくる。茶を飲んで息をつき、洋子は再び喋った。
「おまけにさあ、教え方も無茶苦茶だし。まともに習ったのは剣の持ち方だけだからね、私は。後はほとんど監視人」
「実際に食らった技から学び取ってこそ、実戦で役に立つとは言ってましたけど。あれでよく生き延びたものですよ。龍槌閃食らうわけですから」
「うわー、それ災難だわ。私も何度稽古中に意識失いかけたことか」
お互い悲惨ねえと言って苦笑する。笑うしかないとはこの事だ。
 そこで二人は、ほぼ同時に食べ終わった。飯のおかわり三杯、みそ汁二杯とかなりの量を食べている。まだ酒はなく、飲み気より食い気と言った感じだ。
「ごちそうさま!」
二人はそう言って席を立った。そして外を見た途端
「──出た。またこれだ」
洋子が呟く。彼女には珍しくないことらしい。
 雨がザアザア、このまま帰ったらずぶぬれは間違いないほど降っていた。

 「斎藤さんの悪口言ってると、必ず本人が来てぶっ叩くか帰りに雨か雪が降るかだもんね。 何でこうなるんだろ。別に悪いことしてないのに」
洋子はそうぼやいた。楓自身、比古との間では似たような目にあっている。苦笑して
「どうしますか?」
「──今日の宿直、斎藤さんもだからね。遅れたら確実にぶっ叩かれる」
濡れるの選ぶか気絶選ぶか、かなり究極の二者択一だなと洋子は考え、ふと思いついた。
「うちの家に来る? ここと屯所の中間くらいにあって、走れば行ける距離だよ。そこで着替えてる間に雨宿りして、小雨になったら屯所に戻ろう」
「──そうですね。じゃあ」
二人は息を吸い込み、一気に駆け出した。
 程なく洋子の家に到着し、扉を叩いて声をかけた。
「お夢、いる?」
「──洋子さん!? 何でここに……」
中から出てきたのは、可愛い少女である。町娘らしい服装だった。
「食事食べに外に出たら、雨に祟られてね。服の替え、ある?」
「ええ。──この人の分もですか?」
「頼むわ。私が連れだしたから」
洋子の言葉に、楓は困ったような顔をした。その表情を見てクスッと笑い
「ああ、分かってる。私と同じで、男装してるけど実は女なんでしょ?」
楓は驚愕の表情で、洋子を見やった。

 「実はある個人的な筋からね、話は来てたの」
言うまでもなく、個人的な筋とは御庭番衆の情報網である。身なり、声の質などから楓は女である可能性が高いという手紙が、昨日お増を通じて届いたのだ。他にも何やら浪士たちと接点はあったらしいが、詳細については分かっていないようで書いていない。
「まあその人たち、私が京都に来たときも見抜いてたから。分かる人には分かるらしいのよ、そういう事って。まあ安心して、誰にも言わない」
着替えながら話をする。雨はザアザアからしとしとに変わっていた。
「そうですか。参りました」
これは脱走無理だな、と楓は内心思った。
「沖田さんも相当鈍いよね。気づいてる気配ないもの」
洋子は言った。大体引き取って暮らし始めた時点で、気づきそうなものだが。
「まああの人は、家にも余り帰りませんから。着替えの時さえ一緒でなければ気づかれることもないですし」
医者は、紹介状を貰って一人で通った。彼が楓を女と知っても驚かなかったのは、先に洋子という実例がいたためかも知れない。
「じゃあ、屯所に戻るとしようか。お夢、明日ね」
「あ、はい。お二人ともお気をつけて」
雨は駆け足で通り過ぎていったようだ。着替え終えて二人が外に出たときは、星空が西の空から覗いていた。
 凄まじい速度で駆け出す二人を、お夢は見送った。