るろ剣インターネット版同人誌

『幕末秘話』番外編 夕暮れは…(2)

 斎鬼鹿沼流は、本来剣と鞘の二刀流である。道場などでは長短の木刀二本を使うのだが、実戦では一本の刀の剣と鞘だ。一方斎藤は早くも牙突の構えであり、本気だなと洋子は思った。──号令があってからしばらく、睨み合ったまま動かない。
 不意に斎藤が動いた。通常型で突進してくる。
 高槻は短い方の木刀で弧を描き、衝突する前に刺突を捌いて逸らせた。が、斎藤はすぐに横薙ぎに転じる。長い方の刀で受け止め、凄まじい音が響いた。更に高槻が短い方で攻撃しようとするが、斎藤は既に間合いの外にでている。
 低いどよめきが道場に広がった。
「どう見ます、天城先生」
「いい勝負だと思うよ。──ほら、斎藤さん」
斎藤が笑っている。強い者と戦っている時にだけ浮かべる、凄絶な笑みだ。
「さて、次はどちらがどう出るか──」
 呟いていると、今度は高槻が動いた。鞘に当たる短木刀を突き出して接近、それに合わせて斎藤が刺突をすれ違うように入れようとした刹那、
「消月剣!!!」
右切上の一撃。真剣で直撃されればこの場合、斎藤の右腕が切り落とされただろう。
 だが予想外に斬撃音が小さく、中には聞こえない者さえいた。高槻の攻撃を辛うじてかすらせる程度に留めた斎藤は、体勢を立て直すや否や再び突進する。相手の木刀が自分の攻撃を捌く前に決める腹だ。この付近の変化は抜群に速い。
 高槻は弧を描く向きを変えた。速度も上げ、刺突を寸前になって捌く。更に身体をそらして相手の刺突を避けきると、再び斬りかかった。斎藤も横なぎで応じる。
   バキッ!!! ──コーン…
 木刀が双方真っ二つに折れて、切っ先があらぬ方向へ飛んでいった。

 道場が静まり返る。洋子でさえ声が出なかった。
「──すっげえ…」
低い声で一人が呟いた。そこで道場の出入り口の扉ががたっと開く。
「おーい、斎藤君。何やってんだ」
何故かいきなり現れた青年が、そう呼んだ。
「それに天城君も。師範と師範代が揃って消えてれば世話ないぜ」
「──永倉先生!」
審判を半分以上放り出して、高荷が駆け寄った。
「お久しぶりです。覚えておいでですか、江戸の練兵館で──」
「ああ、高荷君か。君が来ていたとは驚きだなあ」
そこに咳払いの音がする。あ、と振り返ると鹿沼が傍に立っていた。
「こ、これは失礼いたしました!」
「いいんだよ。──私は鹿沼達三と申します。貴方は──」
「新撰組二番隊組長、永倉新八です。うちの剣術師範と師範代が、揃ってここにいるようなので迎えに来たんですが──」
ミイラ取りがミイラになったらしいな、と目的の二人を見ながら永倉は苦笑混じりに思った。というかもともと、ミイラがミイラを取りに行くようなものなんだが。
「だそうだ。お前は帰れ」
「斎藤さんこそ、さっさと帰って下さいよ。今ので私が遊んでないって分かったでしょうが。大体斎藤さんが勝手にこっちに来るから──」
   ガンッ!!!
「阿呆、もともと俺はお前を連れ戻しに来たんだ」
「だから、こっちは──」
「二人とも帰ればいいだろうが。とにかく、所構わず喧嘩するのはやめてくれ」
永倉が文字通り割って入った。斎藤の背中を押し、洋子の腕を引きながら外に出る。慌てて鹿沼が後を追い、門の所で追いついた。
「折角、師範自らがご来訪して下さったのだから、今度はこちらから参りましょう。数日中に藩士を連れて、そちらに窺います」
「あ、はい!」
洋子は嬉しそうに頷いた。斎藤は儀礼上一礼するが、口に出しては何も言わない。

 一日間をおいて、鹿沼は本当に会津藩士を連れて屯所に来た。二十人以上いる。
「いや、凄まじい気合いですな」
通りまで聞こえてくる、と鹿沼は奥の一室で言った。新撰組からは土方自ら接待に出ている。あと沖田、洋子。斎藤は道場から出てこない。
「うちの隊士が、そちらでお世話になっているようで」
「いえいえ、こちらにもいい刺激になっております。我が藩の藩士よりも強いお人ばかりで、羨ましい限りです。何と言っても、浪士相手には腕ですから」
 一際凄まじい怒号が響いたかと思えば、叩きつけられるような音とともに彼らのいる部屋が少し揺れた。そのすぐ後に永倉が入室の許可を求めてくる。
「失礼します。──おい、洋──」
入ってきた彼は、洋子の耳に何事か囁いた。
「──またですか。あの人はホントにもう」
「おいおい、どうした?」
土方が苦笑混じりに問う。洋子が答えていった。
「斎藤さんですよ。会津藩士相手に、実戦形式の荒稽古つけてるそうで」
「師範殿の荒稽古ですか、これは面白そうだ」
鹿沼はすっと立ち上がった。そのまま永倉の後について部屋を出る。洋子が少し焦った表情で、慌てて後を追った。

 「ホントに無茶苦茶荒いですよ、斎藤さんの稽古」
「客に告げ口する暇があったら手伝え、この阿呆が」
道場に入ると同時に、そう声がした。更に木刀まで飛んでくる。
「──模範稽古、ですか」
「分かってるんならさっさと来い」
こりゃひどいな、と道場の中央に向かいつつ床を見ながら洋子は思った。会津藩士二十人余りが、揃いも揃ってしばらく再起不能な状態で倒れている。鹿沼は別に怒っている素振りはなく、ただ苦笑混じりに倒れた者たちを見ているだけだった。
 が、その鹿沼にして藤堂のこの台詞には目を剥いた。
「時間無制限、降伏のみの一本勝負! 始め!!!」

 「──いつもああですからね。たまりませんよ、ホントに」
疲れ切った顔で洋子は言った。模範稽古の後で普通の稽古が始まり、更にその後の昼食の席である。全身に痣が幾つもあった。
「そうか、大変だね」
洋子行きつけの小料理屋で、出来立ての天ぷら定食を食べている。一人で食べるときは大抵ここか隣の店かだ。時々お夢も連れてくる。
 模範稽古はまさしく実戦である。いや、下手をすれば実戦よりもたちが悪い。
 実戦は真剣だから、腕を斬られたり刺突をまともに食らったりすれば否応なしに終わるが、模範稽古は木刀だけに終わらないのだ。立会人も、審判と言うより監視人である。
「あ、言っておきますけど私と斎藤さんだけですからね、ああいう無茶やってるの。誰も彼もやってるなんて思わないで下さいね」
「だろうね。大丈夫、自分の稽古の時は配慮するから」
「お願いしますよ、本当に。一昨日のあれ、噂になってるんですから」
「うちでもだよ。だから今日、あんなに来たんだ」
食べながら話し込む。鹿沼は何かを思いだしてククッと笑った。
「まあ、試してやるはずが揃って返り討ちにあってれば呆れるしかないけどね」
「すみませんね、ああいう人で。少しは手加減とか何とかすればいいんですが」
洋子は頭を下げる。鹿沼はそれを軽く制して
「別にいいんだ、手加減しないのは。私だって君とやる時は手加減しないから」
「でも、私とあの人たちとじゃ実力が違うでしょう。その付近をわきまえてませんもん、斎藤さんは。打たれろとは言わないけど、一太刀も受けないで叩きのめさなくても」
不満そうに唇を尖らせる。相手はそれを見てクスッと笑った。
「君が私の代わりに愚痴をこぼしてるみたいだね、これだと」
「──あ、言い過ぎました?」
洋子は頭を下げる。鹿沼は笑顔のまま
「そう言うわけじゃないんだけど。しかし君も、相当不満あるみたいだね」
「そりゃあもう、数限りなくありますよ。言っても無駄ですけど、言わないとこっちが収まりませんからね。──会津藩の人達が羨ましいですよ」
あーあ、と息をつく。どうしたのかと訊かれたのに答えて
「うちの斎藤さんに比べて、鹿沼先生はもちろんのこと高槻先生も時雨先生も、厳しいけど人間的に出来てますもんね。あーあ、最大の犠牲者が私と」
「そうかなあ。私なんてまだまだ未熟者ですよ」
「そうやって謙遜できる分だけ、先生は大人です。斎藤さんの場合、『俺が一番強いんだ』って顔に書いてありますからね、大きく」
食べながら話す。それを聞きながら、彼は斎藤のことを思いだしていた。
 ──一度、じっくり話し込んでみたい。

 

 それから数日後、鹿沼はひょっこり新撰組の屯所に姿を見せた。
「──あの、天城先生ならいませんけれど」
門番役の隊士が言う。鹿沼は落ち着いていた。
「ああ、知ってるよ。斎藤先生は?」
「いますけど──何用で?」
疑うように自分を見る。苦笑と微笑の間の顔になった。
「ちょっとね、話があるんだ」
 程なく斎藤が姿を見せた。鹿沼が一礼するので、斎藤も礼を返す。
「それで、話というのは?」
「今晩か明晩か、お暇がないかと思って」
さらりと言った。自分を見つめる斎藤に、鹿沼が言うには
「天城君が色々貴方のことについて話してくれるんですが、どうも彼は貴方のことが好きではないみたいで。何かと協力し合う関係の我々が、実は互いのことをよく知らないというのはいささか問題ではなかろうかと」
「──なるほど、では今晩にでも。場所にお心当たりは?」
「島原の料亭にでも、行きますか」
その入り口で合流することにして、鹿沼はすぐに帰っていった。

 鹿沼から直接に話を聞いた洋子は、帰り際に夕焼けを見て息をついた。
「何話すんだろ、あの二人」
鹿沼と斎藤は、強さの水準を除けばまるで違う人種だ。斎藤さんも鹿沼先生の礼儀と教養と気品と優しさを少しでも見習ってくれれば、かなりましなのにと彼女は思う。
「──実力だけはあるからなあ」
斎藤さんの場合、とまたため息をつく。だから文句を言っても聞こうともしないのだが、『能ある鷹は爪を隠す』という諺や謙遜の美徳という言葉は知っておくべきだろう。鹿沼はそういう面で大人であり、斎藤とは明らかに違う。
「斎藤さん、鹿沼先生に無礼なことしてなきゃいいけど」
数日中に、また洋子は黒谷に出かけることにしていた。鹿沼相手の方が、遙かにいい稽古ができるのだ。第一、師範代ともなれば教える方に忙しく、自分の稽古どころではない。
「鹿沼先生には、嫌われたくない」
と、洋子は呟いた。沖田の自然体とはまた違った、気品や教養から来る鹿沼の穏やかさが彼女は好きだった。