シュベール年代記 6 それぞれの奮闘

   序

 宇宙暦八三四年十一月五日、一年以上シュベール帝国に滞在していたドルウィン帝国皇太子のアクトゥールは、無事に国境宙域を抜け、ドルウィン帝国の領内に入った。
 国境まで護衛していたシュベール帝国軍の近衛艦隊とも、ここで別れることになる。アクトゥールは世話になった礼を改めて述べ、ローザとの別れの言葉も口にした。
「この一年間、シュベールでは数え切れないほど色々なことを学んだし、フィリップという子供も授かることが出来た。全てシュベール帝国の国民が予とローザを温かく見守ってくれたおかげで、深く感謝している。特に皇帝皇后両陛下とテレジア殿下には、公私全般にわたって色々と世話になった。更に政府高官、こうして護衛を派遣してくれたシュベール軍、全てに感謝したいと思う。そしてローザ、あなたには本当にご迷惑をかけてしまった。申し訳ないが息子のフィリップを頼む。今までありがとう。必ず帰って来るから、待っていて欲しい。愛している。また会う日まで、さようなら」
 この映像は惑星ラミディアの宮殿まで中継され、フィリップを抱いたまま見ていた第一皇女のローザは泣き出した。皇后エレノアも涙ぐんでおり、皇帝アーウィンや彼の弟のフレデリックも何も言えない様子でじっと見ていた。
 第二皇女のテレジアは大学にいて、映像はローゼンワルツ館に帰ってから、ニュースでしか見ていない。それでも感動したが、泣いたり涙ぐんだりはしなかった。
「正直、心配になってきたわ。──予想よりも状況がひどいんじゃないかしら」
 以前、参謀本部で話した時とアクトゥールの様子が違うような気がして、彼女はそう呟いた。


   第一章 未解決案件

 シュベール帝国軍の近衛艦隊が、任務を終えて首都ラミディアの隣の惑星であるノーレに帰還した後、やっとまとまった時間が取れた参謀総長のクリランドは、第二皇女の住むローゼンワルツ館に向かった。
 彼女の自転車通学に関しては既に二ヶ月近く続いており、護衛のシェーネル中尉からは『帰りが遅れる時に照明が弱い所があるのが心配だが、基本的に問題ない』と報告が上がっている。周辺は高級住宅街なので、もともと変なことをする連中もほとんどおらず、テレジアの自転車通学はむしろ好意的に受け止められているようだった。
 今回のクリランドの訪問は、表向きは護衛態勢の変更について説明するのが目的だが、実はもう一つ、彼には個人的にテレジアに聞いておきたいことがあった。そのため、近衛旅団長のパミール・フォン・エレメントが忙しいのもあって、副官の運転手と二人だけで来たのである。
 クリランドはそろそろ四十だが、数年前と顔はほとんど変わっていない。薄い褐色の髪にエメラルドグリーンの瞳、軍人にしては柔和な顔立ち。物腰も紳士的で、テレジアが話しているときに口を挟むことはほとんどない。彼女がこの参謀総長に割と好感を持っているのも、そうした態度が一因だった。
「ベーオウルフ海賊団がローザ殿下をどう思っているかについて、テレジア殿下が何かお聞き及びと前に伺いましたが、覚えておいでですか?」
 担当する人数を数人減らすなど、護衛に関する概略の説明が終わった後、大事な話があるからと言って侍従たちを応接室から出し、クリランドはそう切り出した。テレジアは青い目を瞬かせて
「前に内容を話していませんでしたか?」
「残念ながら。人目があるので避けたいとの殿下のお言葉で」
 誰が聞いているか分からない、と仰せだった記憶もあり──と説明する。テレジアは一瞬黙った後で
「私が聞いたのは、キャプテン・ゲルハルトの意見だけですよ」
「それで十分でございます。──何かご記憶にございましたら」
 重ねて促す。テレジアはしばらく思い出していたが
「そう言えば、『あの女にシュベールの皇帝が務まるとはとても思えん』などと、無茶苦茶厳しい評価でしたね」
「──は?」
 暴言に近い言葉に、クリランドは戸惑った。──確かに、そういう内容なら三年前のテレジアが『人目があるので避けたい』と言ったのも分かるが、それにしても──。
「続いて出た言葉が『お前も姉か国か、覚悟しておけ』ですよ。今の姉を見たら、あり得ないでしょう」
「──は!?」
 それはつまり──と言おうとして、クリランドはゲルハルトの描く未来図に恐怖を覚えた。ローザ殿下をそういう風に見ていたとは。
「挙げ句に私の出番が増えると言われまして。もう、困惑するばかりでしたよ」
 クリランドは完全に絶句していた。その様子にテレジアは焦ったのか、小声の早口で
「あの、一応そのまま言ったんですけど、やっぱり黙っていた方が良かったですよね。クリランド総長も、聞かなかったことに──」
「いえ、貴重な情報をありがとうございました。私の脳内だけに留めておきますので、テレジア殿下におかれましてはご心配なく」
 その応答に、テレジアは数秒沈黙した。ややあって、その場にあった紅茶を飲むと
「くれぐれも内密に、お願いします。宇宙海賊とは言え、こんな評価が漏れたら色々影響があるでしょうから」
「はい。どうかご安心下さい」
 そう言った後、クリランドは大きく息をついた。
 彼の脳内では、ベーオウルフ海賊団の描く将来への予想が読めていた。そこから導き出される結論と方針は、それぞれただ一つ。
 ──テレジアの警護は、決して緩めてはならない。

 

 銀河のどこかで、道を歩いていた一人の青年がくしゃみを連発していた。隣を歩いていた赤褐色の髪の男が、青年の整った顔を覗き込んで
「おい、ティメル。大丈夫か? 風邪じゃないだろうな?」
「大丈夫──だと思いますよ。どっちかというと親父の方が心配だな。数日前からあんまり寝てないみたいだし」
「キャプテンなら大丈夫だろ。体は丈夫らしいから。それに新造艦の完成直前で工場にずっといるだけだから、完成したらまた寝るだろうし」
 先に相手の体調を心配した方が、そう応じる。一見して二十代半ばの、ティメルと呼ばれた濃い黄褐色の髪の青年は立ち止まって
「そうですね。しかし今度の艦は誰のになるかな。俺はガルーダ号もらったから、少なくとも五年は変わらないですし」
「さあな。そう言えば、アヴァロン号はどうなった?」
「今は多分、アセニア共和国にいると思います。そのうち帰ってきますよ」
「いや、改装の方だ。俺は実物を見てないからな」
 赤褐色の髪の方の発言に、青年は数秒ほど戸惑ったあと
「ケイト曰く、輸送船にするなら目立たない方が良いそうで、普段は完全に砲口を隠してます。内装は下層部の壁を取り払った程度ですけどね」
「そうか。しかしケイトがアヴァロン号を引き継ぐと聞いた時には驚いたな」
「そうですか? 前にも言いましたけど、俺たちには事前に教えてくれましたよ」
 ここは、宇宙海賊であるベーオウルフ海賊団の根拠地・ルンティング星だ。彼らの間でも、この半年余り色々と動きがあった。
 頭目のゲルハルトが、三月に造られたアムルゼス号を乗艦とするようになり、空いたガルーダ号を引き継いだのがティメルである。ティメルがもともと乗っていたアヴァロン号は、輸送メインの船にすることになっていたが、新しい艦長を女の乗組員であるケイトがすることに関しては、ガルーダ号の引き継ぎが済むまで非公表だった。
 ティメル曰く、アヴァロン号の主立った面々にはちゃんと話を通しており、全員が納得した上でのケイト着任だった。だが、抜擢と言っていい人事であり、他の艦には自分が艦長になれるかもと思っていた連中もいたので、戸惑う海賊たちも多かった。何しろベーオウルフ海賊団では、女性艦長は初めてである。
 そのケイトは、今は仕事に出かけていて、この星にいない。何を運んでいるのかはティメルも知らないが、船にも偽装工作はしているし、行き先がアセニア共和国なので大丈夫だろうと見られていた。

 一方、赤褐色の髪の男は、ベーオウルフ海賊団の幹部でミネルヴァ号の艦長のアランである。最近までドルウィン方面に出かけていて、ケイトとはすれ違いだった。ふと思い出したように話題を継ぐ。
「そう言えば、ドルウィンの皇太子がノヴゴロドに着いたらしいな」
「聞きました。あの皇太子迎えて、向こうがどう出るかな──」
 ティメルは後半部を小声で言うと、道ばたの手すりを後ろ手に握ったまま、何か考えているようだった。相手も隣に並ぶと
「前にシュベール行った時、皇太子の話聞かなかったか?」
「聞きましたけど、あの姉との結婚前後だから、褒めてばっかりで弱点とか欠点の話はなかったですよ。せいぜい気に入らない相手にはきついことを言うことがある程度で」
「作戦立てるのに役立ちそうな話はなしか」
「なかったですね。向こうはこの前戦った時の失敗を踏まえて作戦立ててくるはずだから、それを上回るようにすればいいだけなんですが」
 ティメルの台詞に、相手は顔を見据えて
「お前、『言うは易く行うは難し』って言葉、知ってるか?」
「知ってますよ。いずれにしても最近のドルウィン軍の情報は手に入ってるんだから、俺たちの方が有利だと思うんですけどね」
 そこに、薄茶色の髪を長く伸ばした男が通りかかった。話し声が聞こえていたらしく
「アランにティメル。二人ともさっきから何話してるんだ?」
「ドルウィン軍への対策をどうするかについてだが、こいつが難題言いやがるから──」
「難題って、向こうの作戦を上回るようにすればいいって言っただけですよ。皇太子も三年前から軍を指揮してないから、俺たちを相手するには経験不足だろうし」
「そもそも皇太子の役職は宇宙海賊対策本部長だろう。それも代理がいた上で。まず前線には出てこないと思うが」
 長髪の男は、ティメルの言葉にそう応じた。アランは上を向くと
「ウィレムの言う通りだといいんだが。──何か嫌な予感がするんだ」
「珍しいな、お前がそういう話をするのは。──根拠は?」
 ティメルの隣に並んで、ウィレムが訊いた。アランは遠くを見ながら
「もともと皇太子なんてのは、実際の仕事は何もしなくていい立場だろ。しかもドルウィンの皇帝は健康だし、代理で何かやるにはまだ若い。それを敢えてやる時点で、実は相当好戦的なんでないかと思ってな」
「好戦的──というか、責任感が強いとは聞いてます。シュベールでですけど」
 ティメルの言葉に、ウィレムは約一秒ほど考えたあと
「そうなると、部下がダメなら出てくるか?」
「──ま、そんなところだろうな」
 アランが応じる。今後、ドルウィン軍を余り徹底的に叩かない方が良いかも知れない。三人は内心、ほぼ同時にそう思っていた。

 「ところで、ウィレムはどこ行ってたんだ? 俺とティメルは司令室からの帰りだが」
 ゲルハルトが工場で寝泊まり中ということもあって、司令室には息子のティメルがいることが多い。他の幹部たちも入れ替わり立ち替わり来るのだが、誰か一人を常時いさせるとなるとティメルが適任だ。今日はアランが来ていて、仕事時間も終わったので二人して帰る途中だった。
 他方のウィレムは、自分の髪を背中に流す仕草をしながら
「招待所だよ。クロコフとケネスが会うのに立ち会ってきた」
 さらっと応じるが、いずれもドルウィン軍の軍人だ。残る二人は顔を見合わせた。
「二人だけだと何を企むか分からないから。──まあ、実際には大した話はしてなかったけどね。二人とも、まだドルウィンに忠誠を誓ってるようだった」
 クロコフはカルベキス星系・惑星チェルカル周辺の宇宙空間にあった軍用コロニーの参謀長で、ケネスはまだオデッサ星系・惑星ヘルソンがメリトポリ公爵家の私領星だった時代、駐留連隊長だった男だ。それぞれの事情でこの星にいるのだが、来てからかなり長い期間が経ち、ドルウィン帝国のより正確な政治・軍事の状況も知った上で、忠誠を誓っているのに、ベーオウルフ海賊団側は少々困惑していた。
「クロコフはもともと偵察に来たような奴だから、祖国に忠誠誓うのはある意味で当然だよ。だけどケネスがね──。あれだけのひどい扱いを受けていながら、なおも忠誠を誓ってるのがちょっと理解に苦しむ」
 ケネスの場合、自分の妹が領主の息子であるディミール・メリトポリに殺され、そいつを捕まえようとした彼自身も、ディミールの逮捕に失敗して住民たちが殺してしまったという理由で、ノヴゴロドで処刑されるところだったのだ。普通なら、ベーオウルフ海賊団の側についてもおかしくない。
 ゲルハルトの『無理に転向させることもあるまい』という言葉で、放っておかれているが、実のところケネスたちが来てからそろそろ一年経っており、最終的な処遇を決める時期になっていた。用心のため、工場などは一切見せないようにしているが──。
「他の連中はどうだ? 何人か俺たちの仲間になりたがってるのもいると聞いたが」
 アランが話を続けさせる。ウィレムは頷いた後
「ディミールを実際に殺した奴らは、全員仲間になりたいと言ってる。ただ、また殺人事件を起こされたら困るから、犯罪歴のある奴に使うプログラムで矯正した後に仲間にする予定。あと自警団員の中からも結構希望者がいて、団長のクリムが迷ってるようだった」
「そうか。ケネスの部下のギダンはどうだ?」
「今のところ、帰国したドルウィンの皇太子が、どう出るか次第だろうと思う。これはクリムも同じ。皇太子が改革志向なのはみんな知ってるから」
 ルンティング星では、各国の情報が自由に得られる。シュベールからの情報では、アクトゥールは改革志向で、帰国後に何らかの行動を起こすことが期待されていた。そこにティメルが
「俺がシュベールで聞いた皇太子の情報と、その後の改革志向の話を考えると、多分何かすると思いますよ。どの方面か分かりませんけどね」
「──なら、帰りたがる可能性もあるかな。ケネスと一緒に」
 ウィレムは、招待所の方を見やりながら言った。そこに端末の着信音が鳴る。アランが気づいて
「俺のだ。──何? キャプテンが呼んでる? 今いる艦長級は全員集合? 分かった、ティメルとウィレムにも伝えておく。二人とも目の前にいるから。そっちはジョンとかに知らせろ」
 程なく通信を切ったアランは、残る二人に
「今からすぐに工場に来いだと。この星にいる艦長級は全員集まるように言ってる」
「今すぐ?」
 ティメルが戸惑ったような声を出した。
「ああ。──ま、そろそろ夕食時だしな。割と集まりやすいはずだ」
 端末の時計を見て応じる。ウィレムも含め、三人で工場に向かった。


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