5. 迷いと決意
治療室に戻ってきたアマランスは、暗い表情をしていた。
「殿下…」
アスターの声も聞こえていないかのように歩き、やや離れたところで座る。
「──アマランス」
ハーロックは声をかけた。フィメールのことも既に聞いている。
「悩むのは後にして、今はラフレシアを倒すことをまず考えろ」
「そうは言っても、問題はラフレシアを倒した後なんですよ。──自分の家族を見捨ててまで、私について欲しくはなかった。家族がラフレシアに殺されると分かっていて、それでも何の迷いもなく一個艦隊以上が私につくほど、心を失っていて欲しくはなかった」
アマランスは、自分の正しさを疑っているわけではないのだ。だが彼女個人の『正義』のために多くの同族が何の迷いもなく家族までもを捨て、裏切ることを望んでいたわけでもない。正義のためなら何をしてもいいということではないのだ。
「正義のために突っ走る方が、欲望に身を任せて堕落するよりよほど質が悪い。欲望は個人の力ではどうしようもないことが起きればそこで終わるが、正義のために突っ走る者には後に続く者がいる。己の正義を盲信して、他人のことを考えようとしない者が。それこそが本当の心の喪失だ」
ラフレシアの言うがままに侵略を続けることも、家族を見捨ててまで私につくことも、方向こそ違え土壌は同じ、と彼女は言い切って黙り込んだ。
「失われたものは取り戻せばいい。昔、マゾーンが本当に優しい心を持っていたんなら見込みはある。今のマゾーンとて、完全に心を失ってしまったわけではないからな」
ハーロックはそう言って、アマランスに歩み寄った。自分を見上げる彼女に
「心のことで悩むのは、ラフレシアを倒してしまってからでいい。差し当たってこうなってしまった原因のラフレシアを倒せ」
「──すみません、ハーロック」
と、マゾーンの王女は応じた。泣き笑いの衝動が見える。
「バカですよね、敵の心配するなんて。それも、かつて自分を裏切った敵の…」
「いや、それを言うなら俺たちも似たようなものだからな。気にするな」
結果的にとは言え、自分達を裏切った者のために戦っているのだから。
「良かったですね、アマランス殿下」
二人きりで話がしたい、とアスターが言うのでハーロックたちは治療室を出た。見送ってから口を開いてそう言う。
「あのように立派な人物とご友人になられて。ほっと致しました」
「別に友人になったというわけでもないが…」
アマランスは出入り口を見やって応じた。アスターは微笑んで
「少なくとも向こうは、殿下のことを対等な友人と考えていますよ。単なる同盟者でなく」
主君が言葉を失って、困った顔をしている。それを見て
「まあその付近は置くとして、衝撃砲のことです。修正プログラムのインストールの際に必要な暗号を、お教えしておきます」
万一の時のことを考えて、暗号まで用意していたらしい。いかにアスターがラフレシアに衝撃砲を渡すことを拒んでいるかの証明だ。
「暗号も数段階に分かれておりまして、最初が…」
声に張りがない。重傷を負った上にさっきからずっと喋り続けているのだ。
「大丈夫か、そんなに話してばかりで。すぐに必要なものでもない、少し休め」
「いえ、大丈夫です。それよりラフレシア様の動向が気がかりですから」
事を知ったラフレシアは、今度こそ本気で攻めてくるだろう。それがいつになるか、時間の問題だった。その前にプログラムをインストールしなければならない。おまけにプログラムは一艦ごとに個別でインストールする仕組みになっており、八十隻ほどの船が残っていてうち六十隻余りが衝撃砲を使用可能な状態では、それにかかる時間もバカにならないのだ。
アスターは最後に、念を押すように繰り返した。
「アルカディア号やパンゲア号のように、一隻で多数の艦隊と戦う船が持つ分においては衝撃砲は有益です。しかし一つの種が、正式の装備として採用するには危険すぎます。衝撃砲の理論上の最大攻撃力は、アルカディア号の最大攻撃力の倍以上ですから。科学力を過信して取り返しのつかない事態になった国や種に、マゾーンを加えたくないのです」
「分かった。そうしないようにするから、教えてくれ」
こうなったら早めに済ませて休ませよう、とアマランスは思った。
「何だと!? 第二近衛艦隊が、裏切った!?」
ラフレシアが声を上げた。
「はい、フィメール殿はお亡くなりになった模様ですが。恐らくフィメール殿を殺した者たちが裏切ったのでしょう」
その報告に、マゾーンの女王は考え込んだ。──おのれ、アマランスめ…!
彼女一人のせいで、今のマゾーンは混乱に陥っている。前科学技術庁長官のアスターが逃亡したという情報がいつの間にか漏れ伝わり、それに拍車をかけていた。不穏な動きをする者は捕らえて処刑しているが、この上に第二近衛艦隊が裏切ったという情報まで伝われば、後を追おうとする者たちとそれを阻止しようとする軍とで収拾のつかない事態になる。第二近衛艦隊が裏切ったとて、それ自体はマゾーンの軍事力にいささかの影響もないが、事が漏れて混乱が広がれば地球侵略どころではない。
既に計画は大幅に遅れ、地球上の『植物異常増殖』に合わせた侵略は事実上不可能に等しくなっていた。このままでは地球のマゾーンは全滅し兼ねない。いくら無気力で堕落した地球人たちとは言え、森に火を放つ程度のことはいざとなればやるだろうからだ。潜伏しているマゾーンはほとんどが燃えるマゾーンであり、火には弱い。もっと危険なのは、植物と戦っている間に万一地球人が気力を取り戻せばどうなるかということだ。一人であの機械帝国を滅ぼした地球人もいる。ごく少数でも危険だった。
「こうなったら一旦地球の方を一時的に止め、ハーロック及びアマランスの討滅に全力を挙げるしかあるまい。止めれば奴らは油断するだろうし、その油断こそが我らに最終的な勝利をもたらす」
ラフレシアはそう決断した。次いで
「全ての艦隊指揮官を召集せよ。アマランス及び例の地球人どもを、最終的に討滅するための作戦会議を開く」
アマランスさえ倒れれば、裏切りなど起きるまい。まずは原因を消すことだ。
「これで半分、か。ああ面倒くさい」
元来アマランスは物事を面倒くさがる少女ではないのだが、さすがに徹夜で三十回も同じことをやっていると飽きてくる。加えて更に同じ回数分だけ、この作業を繰り返さなければならないのだ。やっていることの重要性は重々認識しているが、ぼやきの一言もいいたくなる。
「えっと、第一の暗号はと」
各艦の艦橋に行き、そこから打ち込む。衝撃砲関係の修正プログラムのパスワードだ。と、そこにアルカディア号から通信が入った。
「そっちはどうだ、アマランス」
「今のところ順調です。ハーロック、修理の方の材料は大丈夫ですか」
海賊島の内部ドックで、損傷のひどいマゾーン艦は修理しているのだ。
「ああ。それはそうとヒドランゲアから通信が入った。転送するぞ」
いよいよだな、とマゾーンの王女は感じた。
「そうか、やはりな」
予想通り、ヒドランゲアの報告はラフレシアが全艦隊の主だった指揮官を召集したという事だった。アマランスとハーロックに焦点を絞り、まず彼らを全滅させるつもりらしい。
「それで、一つ気になる報告がありまして」
「ほう、それは何だ」
「何でも、ラフレシアは地球上の植物を異常増殖させているそうです。それを止めるとか止めないとか…」
「──分かった。それで、お前はあと何日あればこちらに着く?」
「少なくとも三日はかかるかと存じます。既にそちらに向かって急行しておりますが」
間に合うかどうかぎりぎりの線だな、とアマランスは判断した。
「あと、何やら見慣れぬ船、それも戦艦がそちらの空域に向かっているという…未確認ではありますが、そういう情報が流れております。ご注意を」
「戦艦が? この空域に?」
既に戦場となり、また近々より大規模な戦場となるだろう空域である。戦場で傭兵まがいのことをして、荒稼ぎでもするつもりだろうか。
「実物を見た者の話では、何やら見たこともない型の戦艦だそうです。ひょっとしたら大昔に滅んだ文明の船かも知れないという者もいますが…」
「分かった。注意しておこう」
戦場となる空域に、わざわざやって来るような船だ。そこいらの船よりは強いに違いない。
「では、こちらも移動しておりますので」
ヒドランゲアはそう言って、通信を切った。アマランスは数秒考え、差し当たってハーロックに地球上の植物が異常増殖しているらしいと伝えておく。
「ミーメが前にいた星と同じ…。植物が異常増殖して、みんな呑まれて行ってしまった…」
地球人より遙かに長い寿命を持つミーメは、天涯孤独のまま幾つもの星をさすらっていた。その中で最も長く住んだ星の住民が、異常増殖した植物に呑まれて滅んでしまったのだ。
「──そうか。ゆっくりは出来んな」
仮にこちらの攻撃に全能力を集中するために一時的に植物の活動をストップさせたとしても、いったん増殖し始めたものが急に止まるとは限らない。多少痛めつけられた方が地球人にはいい薬になるだろうが、それも程度ものである。
「あと、見たこともない形の戦艦がこちらに向かっているとか。確認はしていないようですが敵か味方か分からないので、注意するようにとのことでした」
分かった、と応じてハーロックは修理工場の方を呼び出した。戦闘で破壊されたマゾーン艦の残骸を回収し、再生して修理部品として使う。本来のアルカディア号の部品は型が合わず、また数も足りないのでこうするしかないのだ。
「魔地工場長、そっちはどうだ?」
「大丈夫だよ。お姫様に順調だと伝えててくれ」
金星のマゾーン基地には、自己修復能力のある機械があった。さすがに戦艦にまでは備わっていなかったようだが、代わりに部品の共通化が進んでいて移動用エンジンや通信機器、民生用などの部品は他船のもので代用できる。
「それにしても、実に見事なものだよ。マゾーンの機械は」
魔地は感嘆した。トカーガのゾルに貰ったコスモグラフを分析した時も感じたことだが、何しろ駆逐艦レベルの艦のエンジンが戦艦用にそのまま使えるのだ。ただエネルギーの使途がやや異なり、駆逐艦では重量が軽い分だけ高速移動が出来る。
「本当に主砲が追いつかなくなるかも知れないぞ、ハーロック」
「──そうか。とは言え…」
以前台羽がやったように、下手にいじれば反動が大きくなってしまう。かと言っていくら敵の単発砲撃では傷つかないとしても、一点に集中砲火を喰らえば無傷では済まない。
と、アルカディア号が低いうなり声のようなものを出し始めた。
「ああ、分かってる。お前は大丈夫と言いたいんだろう」
ハーロックが苦笑して言った。あたかもそうだと言わんばかりの音で応じる。
「どうやらコンピューターは俺に話があるらしい。ちょっと行って来る」
魔地との通信を切って、ハーロックは艦橋を出た。
「──そうか…。なるほどな、分かった。エンジン部だな」
と、中枢コンピューター室でハーロックは言った。相手はコンピューターそのものだ。
「マゾーン艦はそれで対処するとして、ラフレシアがどういう手で来るかだ」
全体としては、恐らく総力戦になるだろう。ただ、衝撃砲の装備によりこちらの攻撃力が格段に上がったのを知った後、ラフレシアがどうするか。一旦退くか、数にまかせて持久戦に持ち込むか。問題はそこだった。
「退かせた方が優位になるのは確かだな。初戦で衝撃砲の攻撃力を見せつけて、敵の先鋒を全滅させる。体勢を立て直すために退かざるを得ないような状況を作り出せればいいが…」
そうなれば、更に敵の混乱が広がる。まだ投降しようという者が出てくるかも知れないし、そうでなくとも所詮は多勢に無勢である以上、攻撃に関しては部隊を出させて各個撃破するというパターンを繰り返さざるを得ない。そして部隊と部隊の間には相当の時間的間隔が必要であり、その間隔を作り出すための手っ取り早い手段は前の部隊を早期に全滅させることだ。衝撃砲の攻撃力を最大限に生かし、先頭部隊を一瞬で全滅させられればそれも可能になる。
「問題はそう上手く行くかどうかだが…。そう言えば、副長は?」
「珍しく工場で手伝ってます」
と、有紀が形容しがたい笑み混じりの顔で応じた。映像を転送して
「何でも部品の宝庫らしいですよ、マゾーンの残骸は」
工場では、再利用後の廃材の前でヤッタランが仁王立ちしていた。
「この部品はみーんなワイのやど! 触れたらあかんど!」
「副長、お前なあ…」
呆れた表情の魔地工場長に、ヤッタランは
「いいやんけ。どうせ捨てるもんなんやし」
と満足げな表情である。相変わらずだな、と半ば呆れ半ばほっとしたハーロックは
「おい副長。まだそれ全部捨てるとは限らんから、あと少し取っててくれ」
声をかけて、取りあえず独占だけは止めさせた。実際マゾーンの科学技術では、どこかの配線を変えればまだ使えるという部品がありそうなのだ。ヤッタランは
「余ったらワイが貰うんやど」
と改めて宣言し、差し当たってその場を離れる。
工場では台羽も働いていた。マゾーンはおおむね顔の上部を覆っているので誰が誰かの判断は正直言って出来ないのだが、それでも話していると親しくなる。
「そうか、君のお父さんが我々の手にかかってな…」
部品の修理を担当しているところを見ると、目の前のマゾーンは科学者もしくは技術者らしい。アスターの部下だろうか、と思って話をする。
「ええ…。けどそんなに気にしなくていいですよ。あなた方は恨んでませんから」
少なくともここにいるマゾーンは、アマランスを大なり小なり慕っている。恨むならラフレシアの旗下にいるマゾーン、そして堕落した地球人たちだ。
「そうかい。そう言ってくれると有り難いが」
と、顔を台羽に向けて微笑んだ。微笑み返して
「アスターさんの部下の方ですか、貴方は?」
「ああ、そうだよ。マゾーンでは主な科学者や技術者はみんなアスター閣下の部下だからな。──やれやれ、とは言えこれから…」
いきなりため息をつく。どうかしたのかと事情を聞くと
「アスター閣下の死後、どうなるか不安で仕方ない。あの方が開発して、まだ日の目を見ていない技術が両手に余るほどあるんだよ」
と言う。台羽は驚いて
「アスターさんの死後と言っても、今日明日ではないでしょう。引き継いだり説明書を受け取ったりの時間くらいはあるでしょうに」
「いいや、今日明日のことなんだ」
と、目の前のマゾーンは深刻な表情で頭を振った。
「あの方は、宇宙病でもう寿命が長くない」
アマランスは、やっとのことで三分の二を終えた。インストールを始めてから既に丸二日経っており、さすがに疲労の色も窺える。
「大丈夫か、アマランス」
海賊島から、ハーロックの通信が入る。水程度は行った先で補給できるだろうが、睡眠ばかりは他のことで代用するわけにも行かない。
「大丈夫ですよ。移動時間中は寝てますから」
正確には仮眠程度のものだが、取りあえず休憩を取るようにはしているらしい。とは言え植物生命体の彼女が仮眠の積み重ねでどの程度休養が取れるものか、生物学的には疑問も残る。
「ヒドランゲアから短信が入った。パンゲア号はあと50時間前後でこちらに着くそうだ」
短信、とはこの場合文書形式の一方的通信を指す。二十世紀末から二十一世紀初頭にかけての電子メール的なものだ。普通の通信はこの時代、デジタル形式のテレビ電話が高度に発達したものが使われていた。ただ、簡単な連絡であれば短信で事足りるため今でもよく使われる。
「そうですか。で、ラフレシアは?」
「今のところ、目立った動きはない。会議が長引いているようでな」
「──必死ですね、向こうも」
全指揮官を召集したとして、実際にかかるのは最高十二時間程度だろう。それから恐らくぶっ通しで会議をやっているに違いない。
「ああ。それはそうと…」
ハーロックは言いかけて、珍しく口ごもった。
「どうかしました?」
「アスターが、植物性の宇宙病にかかったとか」
「何ですって!?」
かつて自分の親友の命を奪った病気である。ハーロックはそれが意味することを十分理解していた。そしてアマランスも、そうだったようである。
「面会謝絶、だと?」
アマランスは危うく怒鳴り散らすところだった。ハーロックの話を聞いて、アスターの見舞いに行こうと思ったらこれである。となるとやはりそうか、といよいよ疑念を深める彼女に
「特にアマランス殿下には、修正プログラムのインストールが終了するまでお会い申し上げることは出来ないそうです。こうなれば誰も会えますまい」
何しろ、いざとなれば自艦の全てを閉ざすことも朝飯前の存在である。要は物理的に会えなくすればいいのだ。身分がどんなに高かろうと、閉ざされては訪問できない。
「仕方ない、取りあえずアスターの医療記録を寄こせ」
「それが、きれいさっぱり削除されてまして…。コンピュータに保存してある分は閲覧の暗号を書き換えてありますし、我々には…」
「だったら、技術者を呼んできて解読させろ。とにかく急げ!」
数日前の重傷に宇宙病による体力の消耗が加われば、アスターの命はそう長くない。そしてアマランスは、前に会ったときの張りのない声を思い出していた。
彼女は何度か、アスターが話すのを止めようとした。往年の声に比べて、かなり弱々しかったからだ。とは言えその時は重傷のために一時的に声量が落ちているのだろう、としか考えていなかった。まさか宇宙病とは思いもつかなかった。
《──恐らく、アスター自身自分の死期が近いのを悟って、私の側に逃亡しようとしたに違いない……。それも、私の艦隊である第二近衛艦隊と共に。あれを引き渡し、ラフレシアと互角に戦い得るだけの戦力にするために──》
ラフレシアを止め、マゾーンという種をより確実に生存させるためにだ。だがそのためにアスターは重傷を負い、ただでさえ短い残りの命を更に短くしてしまった。一方のフィメールは彼女のために敢えて部下に殺され、もう一方のアスターは不治の病をおして計画を立てた。
《──王となることは、こうまで人の命を失わせねばならぬものか…?》
ある程度の血を見ることは、帰ることを決意した時から覚悟していた。自分の命が失われることも。だが戦場で殺し合った方が、まだ気が楽だ。こんな形で同族が次々とアマランスのために命を投げ出すとは、思いも寄らなかった。
「アマランスさん、大丈夫でしょうか…」
「恐らく、悩んでいるだろうな」
アルカディア号の艦橋で、ミーメの問いにハーロックが答えた。
「だが、これを乗り越えなければあいつは先に進めない。自分のために命を投げ出す者の思いに、どう応えるか。選択肢は限られてる」
アマランスの精神的な弱さを、ハーロックは最もよく分かっていただろう。自分の正義をあれほど堂々と語りながら、裏切られた過去のせいでその『自分の正義』のために他者が命を投げ出すことまで想定できず、現実に戸惑い、自分が引き起こした結果に悩んでいるのだ。
「俺に言わせれば、突き進むしか道はないんだが。あいつ自身の問題に口出しできんさ」
彼女とて、数日中には激しい戦闘が始まるのは承知している。今更戦いをやめるわけにも行かない以上、突き進めるだけ突き進んで結果は終わった後で考えるしかないのだ。
「自分で決断するしかないんだ、あいつがな」
艦橋から宇宙を見やりながら、ハーロックはそう呟いた。
アマランスはため息をついた。アルカディア号の艦橋でハーロックが考えているようなことは、彼女自身百も承知している。今、この戦いを止めるわけには行かない。それはフィメールやアスターの思いを無駄にし、銀河の収縮や時の輪の歪曲を進めてマゾーンを結局は滅亡に追いやってしまうことになるからだ。それは絶対に許されない。
《──だが…。ラフレシアを滅ぼした後、どうするか…》
暗号の入力をある意味で機械的にこなしながら、アマランスはそのことを考えていた。心を失い、上位者に従うだけになってしまったマゾーンを統率して、果たして未知の惑星の開発などが出来るのか? そもそも心を失った知的生命体に、生きていく価値があるのか? 上位者に従うだけになった知的生命体からは、結局は何も生まれない。戦闘以外、彼らは何の役にも立たない。それよりはいっそ…。
「アマランス殿下、アスター閣下のデータの解読結果が出ました!」
「すぐに転送しろ!」
転送されてきたものを一読して、彼女は深刻な顔で宇宙船の壁に寄りかかった。
「──あと数日の命…」
とにかくアスターを呼び出せというアマランスの命令で、やっとマゾーンの前科学技術庁長官は姿を見せた。数日前と比べても、明らかに痩せてやつれている。
「何故、病気のことを今の今まで隠していた?」
「私ごときの一身上のことで、殿下のお心を乱したくございませんでしたから」
アスターの返答は、到底彼女の納得するものではなかった。だが
「数日中に、ラフレシア様と殿下との間で決戦がございましょう。本当はその時戦死するつもりでおりました。そうすれば病気のことも悟られずに済むと」
「では、死ぬまで隠し通すつもりだったのか」
アマランスの怒気混じりの口調にも、平然と動じることなく
「はい。もともとこの病のことは、私も含めた数人のものしか知らぬ事です。別に他人に教えるまでのことでもなく、ただ己の死に場所を探していただけのこと。数日前に殿下が生きていらっしゃることを確認し、またラフレシア様に対してなされた演説の内容もお聞きいたしました。そして殿下になら、衝撃砲のことをお教えするに足ると考え、フィメール殿の艦隊ともども引き渡すことにしたのです」
「で、お前は戦死してラフレシアは殺され、めでたしめでたしか」
アマランスは苛立ちを爆発させる寸前だった。アスターが応じて
「落ち着いて下さい、殿下。──こうする以外にいかなる方法が取り得たでしょうか。銀河の収縮と時空の歪みは、現実として止めねばなりません。ラフレシア様を殺さねば止められぬと言うのであれば、殺すためにあらゆる手段を使うのは当然のこと。私の命を使うことでラフレシア様を殺せるのであれば、喜んで差し上げるのもまた当然です」
「──目的のためには手段を選ばず、か」
アマランスは遠くを見るような表情で呟く。確かに現在の銀河では、まず生き延びることが最優先にされている。彼女自身、放浪中は生きるために卑怯な手段も使った。
「そうです。殿下が最もよくお分かりのはず。アマランス殿下、加えて申し上げますが臣下が主君のために命を投げ出すのは当然のこと。いちいち気にしていては始まりませぬ」
言われた側は息をついた。アスターの言うようなことは、もともと百も承知なのだ。だが、その思考法の行き着く先は…。
「──分かった。だが、ラフレシアを倒したら私の好きにさせて貰う」
数秒後、マゾーンの王女は諦めたような声で応じた。
「ラフレシアは最後の侵略者となろう。彼女の死とともに、私は全てを終わらせる」
この台詞の意味を、この時正確に理解した者はいなかった。
「アマランス殿下は?」
アルカディア号に、ヒドランゲアから通信が入った。
「衝撃砲の修正プログラムのインストール中だ。転送するか?」
「あと何時間かかりそうだ?」
「あと二、三時間で終わる。ラフレシアの動向か?」
そうだ、と頷いて数秒考えたあと、ヒドランゲアは取りあえずの連絡事項としてラフレシアが五百隻規模の艦隊をこの空域に向かわせていると伝えた。
「ラフレシアの先頭艦隊がそちらに来るのと、パンゲア号がそちらに着くのとがほぼ同時だ。約十時間後になる」
「後続艦隊の規模は?」
「少なくとも、先頭と同程度だろう。詳細が分かればまた連絡する」
そう言って、ヒドランゲアは通信を切った。ハーロックは思案の色を浮かべる。
「──あいつは、結論を出しただろうか? 戦う決意を、固めただろうか?」
決戦まで、文字通り秒読みの段階に入った。もはや悩んでいる暇はない──はずだが、アマランスはまだ悩んでいそうな気がした。そしてハーロックとしては、彼女が自分で結論を出すまで口を出すのは躊躇われた。アマランスは、自分たちとは背負っているものが違う。その重みは他人には理解さえ難しいかも知れないし、まして口を出して減るようなものではないのだ。メーテルなら、或いは一声かけられたかも知れないが…。
「ハーロック、アマランスさんから修理中の船にプログラムをインストールしたいと連絡がありましたが…」
「──そうか」
取りあえず、こちらの事実だけは告げておくつもりだった。
「そうですか、分かりました」
海賊島で顔を合わせ、説明を聞いたアマランスは極めて事務的な口調でそれだけ言った。
「──結論は出したのか」
「ええ。まずはラフレシアを全力で倒し、それからは私の好きなようにさせて貰うと」
修正プログラムのパスワードを打ち込みながら応じる。淡々とした口調だった。
「お前の好きなように、か。分かった」
取りあえずはハーロックも承知した。が、何か心に引っかかる。
「──無茶はするな。それだけは言っておく」
「分かりました」
相変わらずの事務的な口調で、アマランスは簡潔に応じた。
数時間後、ヒドランゲアからアルカディア号の艦橋に通信が入った。インストール作業を終えたアマランスが最初から応答する。
「ヒドランゲア、話はおおむね聞いた。で、ラフレシアの動向だが」
「シェルピス率いる先頭艦隊五百が、あと数時間でそちらの空域に到着します。取りあえずそれで様子を見て、状況に応じて百隻単位の後続艦隊を投入するつもりのようですが」
「そうか、やはりシェルピスか」
名前に聞き覚えがあるようで、マゾーンの王女は少し思考した。衝撃砲のことを知らないラフレシアとしては、五百で足りると考えたのだろう。問題は先頭艦隊を倒したあとに投入される艦隊の規模と戦術だ。数に任せて波状攻撃されてはいくら個々の戦闘能力で優るとしても勝てない。シェルピスは倒さず、配下の艦隊だけを全滅させた方がいいか…?
「我々が到着するのもその頃でしょう。出来ますれば別方向からの奇襲という形で攻撃に参加し、その後合流いたしたく存じます」
「お前たちの行動に、シェルピスとやらが気づいてないとも思えんが」
ハーロックがそう言った。何だと、と言いたげに急に険しい表情をするヒドランゲアに
「ラフレシアも馬鹿ではなかろう。仮に所属不明のままだとしても、パンゲア号がこの空域に接近していることくらいは気づいていると考えた方がいい。そして当然、迎撃のための艦隊を別に用意しているはずだ。奇襲できればそれに越したことはないが、その前に…」
「しかし、進路上にはどこにも艦隊の布陣は…」
「これから配置するかもしれんさ。小惑星帯に紛れ込んでいる可能性もある」
「──……」
指摘され、ヒドランゲアは黙り込んだ。
通信が切れ、黙って話を聞いていたアマランスが口を開いた。
「可能性としては否定しませんが、シェルピスはそうまで気の効いた者ではないです。短気ですし、ラフレシアへの忠誠心と敵に対する残忍さは全艦隊指揮官中随一ですが」
「まあ、そうかもな」
相手の余りにもあっさりとした肯定に、彼女は二の句が告げなくなってしまった。
「第一パンゲア号の実力なら、二、三十隻の迎撃艦隊程度はそう時間をかけずに倒せるだろう。とは言えその程度の警戒もしていない奴に、お前の身を渡すわけにもいかんからな」
この台詞に、アマランスは相手の真意を悟って天を仰ぎたい心理に駆られた。要するに、パンゲア号の所在地をラフレシアが知っているかという問題に見せかけて、実はアマランスの居場所について交渉していたわけである。本人の見ている前で、全く気づかれることなく。
「一応、私のことなんですけどね」
「戦闘が済んだらちゃんと帰す。余計な心配はするな」
彼女はため息のようなものを漏らしたが、黙って頷いた。