銀と鉄の時代 第一巻 戦争と闘争

   序文
 オイラープという、大陸と幾つかの島を含んだ地域がある。多くの国がその地域にあってそれぞれが独自の文化を誇っていた中に、ライン王国という国があった。
 もともと大小の諸侯が多く、王の権力が制限されていたその国ではあったが、オイラープ暦十二世紀の内戦によって完全に各地の諸侯が自立し、王は諸侯としての自分の領土内にしか権力を持ち得なくなっていた。
 それから約百年後に、この物語は始まる。

   第一章 ムールベック陥落

 新緑の候。長い冬を過ぎて木々の緑が鮮やかに浮かび上がり、上流からの雪解け水が勢いよく流れてくる川とともに、爽やかな初夏の風景を構成している。だが、望遠鏡で遠くを見つめる青年の目には、町を取り囲む城壁が映っていた。彼はしばらくその場に立っていたが、やがて振り返って歩き出す。自分についてくる別の男に
「なかなか堅固だな、シュタイル側の防衛も」
「ですが、この三ヶ月の篭城で、ムールベック内部の環境はかなり劣悪になってきているものと存じます。食糧も不足し始めていると聞きますし、近いうちに動きがあるかと」
「だろうな。こちらも警戒しておくか」
自分も濃紺の軍服を着ているその青年は天幕に入り、その場にいる数人の将軍──自分の親ほどの年齢だろう──に指示を出す。
「数日中にシュタイル軍に動きがあるだろう。警戒しておけ」
「承知いたしました」
彼らが頭を下げて立ち上がりかけた時、一人の兵士が駆け込んできた。
「バーベンブルク家領との国境付近に偵察に行っていた、ミュンツェル大尉が戻ってまいりました。お目通りを願っておりますが…」
「戻ってきたか。通せ」
将軍たちに命じた青年が、そう言った。年の頃は二十代半ば、髪はやや薄めの茶褐色で肌は白く、一見して顔は整っている。だがその琥珀色の瞳は底知れぬ深さを持っており、見据えられれば多くの者は畏怖に近いものを感じただろう。
 程なく現れたのは、二十歳ほどの若い士官を含む数人の兵士である。彼らは中に入ると膝まづいて頭を垂れ、中心の士官が声を出した。
「申し上げます。国境付近に国王軍が集結しつつあります。その数は現在およそ一万ですが、急速に増強されている模様にございます」
「何だと!?」
声を上げたのは、その場にいた将軍たちの一人である。青年の方は比較的冷静に
「して、最終的な国王軍の規模の予想は?」
「しかとは分かりかねますが、三万ほどかと思われます」
ほう、と青年は低い声で言った。そして更に
「急激に増強されていると言ったが、集結に何日ほどかかりそうか?」
「あと二日ほどで集結が終わるかと存じます」
「となると、作戦などの戦闘準備にもう一日かかったとして、三日後に出撃してくる可能性があるわけか」
恐らく、と士官の方は頷いた。青年の方は数秒考え込むような仕草をしたが、
「ミュンツェル大尉、大儀であった。下がっていい」
士官たちはそれで退出した。将軍たちの一人が
「いかが致しましょうか、アルプレヒト殿下」
青年を見上げて訊いた。こともなげに応じて言うには
「今日明日中にムールベックを攻め落とす。それしかなかろう」
その余りにも平然たる口調に、将軍たちは抗議した。
「そんな無茶苦茶な。これまで我々の攻撃を幾度もしのいで、三ヶ月も篭城していたのですぞ。ここは一度撤退すべきです!」
「この三ヶ月、予が他に何もしてないと思うか?」
アルプレヒトは言い放ち、傍付きの男に何事か指示した。彼は一礼して天幕から去る。戸惑っているらしい将軍たちに
「この作戦には不確定な要素もあるゆえ、今まで使わなかったのだが、事態がこうなってはやむを得まい」
将軍たちの中で最も若い一人が、慎重な口調で訊いた。
「その作戦とは、いかなるもので?」
「シュタイル側に、内応者がいる。──だが、問題はその情報が正確かどうか、またその者が本当にこちらに内応しているかどうかだ」
城壁に囲まれたムールベック市、その内部のことは所詮外からは確認できないし、また内応していると見せかけてこちらを騙している可能性もある。その場合、下手に攻撃すればこちら側が全滅しかねないのだ。将軍たちは顔を見合わせた後
「どういう立場の者なのですか、彼は」
「シュタイル公国では、歴代大臣を出している家柄の貴族だ。最近王妹で公爵夫人であるテンネル殿下の取り巻きが国政を専断しているのが、我慢ならないらしい──が」
「果たしてそう簡単に主君を裏切るものかと、アルプレヒト殿下はお疑いなのです」
天幕の外から、声がした。先ほどここを出た男に続いて、一人の青年貴族が歩いてくる。年の頃は二十代後半、髪は薄い褐色。背はやや低く幅も細めで、立派な体格の将軍たちの中にあっては不釣合いとも言える容姿である。だが蒼の瞳は鋭い光を放ち、油断ならない存在であることをうかがわせていた。
「──またお前か、オットー」
今さっきまでアルプレヒトに質問していた若い金髪の将軍が、嫌そうな声で応じた。

 オイラープ全体のほぼ中央に位置するライン王国の北部には、有力な諸侯国としてブランデン大公国という国があった。その国で四年前に即位した大公アルプレヒトが、その年のうちに『実弟フランツを担いで大公位の継承問題に干渉しようとした』として数カ国を名指しして攻め入ったのが、一連の戦争の始まりである。当初はその数カ国との戦争だったが、除々に戦火が拡大し、昨年末の段階ではライン王国の西南部の諸侯国の大部分が巻き込まれていた。
 そうした中で、ブランデンが屈服した諸侯国を併合し始める。形式的には全ての諸侯国は国王の臣下であり、本来ならばそうしたことには国王の許可がいるのだが、ブランデンは全く独自にそれを行なった。その結果、アルプレヒトの野心を警戒したバーベンブルク家、つまりライン王国の国王家が今年に入って戦争に介入することを決意し、国王アドルフ自らブランデンに宣戦布告したのだ。
 その結果、王妹を妃にしている同盟国であり、領土も両者の間に位置するシュタイル公国が、真っ先にブランデンと戦わなければならない事態になってしまう。ブランデンの陸軍三万によって、三ヶ月に渡り包囲されているのはシュタイル公国の首都、ムールベックだった。ブランデン軍は宣戦布告を受け取るや否や、もともとの戦場だった西南ライン地方から東ライン地方にあるこの都市まで、真冬の中を強行突破して包囲を開始したのだ。予想外の素早い移動に国王アドルフが援軍を送り損ねたこともあり、シュタイル側は篭城するしかなかった。現在、季節は初夏を迎えようとしている。
 元はと言えばブランデンもシュタイルも、ライン王国の一部を領有する諸侯に過ぎない。ただしブランデンは大公、シュタイルは公爵を君主としており、ブランデンの方が諸侯としての格は上だ。と言っても現状では、この格の差は相互の政治関係上、ほとんど何の意味も持たない。それぞれ外交主権を持ち、事実上独立した国家であるからだ。こうした諸侯国が、ライン王国には現在二百余りある。
 ちなみにこの当時のライン王国では、国王家であるバーベンブルク家自体が約百年前から全土を統治する能力を喪失し、事実上の支配地は王国の四分の一程度と、実質的には諸侯の一人に過ぎなくなっていた(それでも最大の諸侯ではあるのだが)。そのため国王と言えども相手を自分に従わせるには戦争しかなく、国境付近にはシュタイルへの援軍と見られる軍隊が続々と集結していたのである。

 「その貴族は、城壁の守備砲兵を預かっているらしい。先方が指定した合図を送ってくれれば応戦せずに見逃すと言っているのだが、信用出来るかどうかだ」
アルプレヒトはそう言った。将軍たちは
「なるほど…。信用して攻め入って、応戦されては元も子もないですし…」
「ここ数年のシュタイル政府内部の情報を集めている限りでは、公爵夫人の取り巻き、つまりバーベンブルク家側からの家臣たちに、不満を持っている者が相当数いるのは確実なのです。しかし問題は、だからと言って自分の主君を敢えて危機にさらすような者がいるかどうか──。王太子であったヨーゼフ殿下がお亡くなりになった今、次期国王がシュタイル公のアルベルト殿下か、お二人の間の姫君であるヒルダ殿下になることはほぼ確実ですし、それを考えれば不満も我慢できぬほどではありますまいが」
オットーと呼ばれた青年貴族が、詳しく説明した。
 要するに公爵夫人の取り巻きが国政を専断するようになったと言っても、それは次期国王の座とバーベンブルク家領が近い将来にシュタイル公爵のものになるためであり、客観的に見ればそれはある程度やむを得ないことなのだ。敵に与して主君に逆らうほどの理由になるかどうか、疑問視していたのはそのためである。
「とは言え事がこうなっては、やむを得まい。陽動に一万、作戦本体に五千ほどを使ってまずは城内の反応を見る。もし先方の言うとおりならば、残る一万五千も一気につぎこむ。詳しい配置だが…」
アルプレヒトと将軍たちは、作戦の細部を検討し始めた。

 

紹介ページへ戻る
第二巻のサンプルへ

通販方法紹介へ